桃花源記からの随想(1)2007-06-29 00:01:55

 whyさんのコメントで、陶淵明の「桃花源記」を思い出しました。
 その昔(ほぼ四半世紀前 ^^;)、学校の先生に全文を覚えさせられましたが、すでにほとんどの記憶が欠落してしまいました...

 で、思ったのは、なぜ「桃」でなければならないか、です。

 やはり大昔、大学時代に読んだ「遊びなのか学問か」という本のなかに、この話題について論じた文章があったようで、当時の読書ノートになぐりがきが残っていますが、肝心な作者名はわからなくなりました。


 さて、漢詩のなかに「桜」を題材にしたものはほとんど見かけない、という話題が whyさんのブログにあがってましたが、古詩で「桃」について書かれたものなら、相当数は多いと思います。
 王維の「桃花復含宿雨 柳緑更帯春煙」とか。
 作者がわかりませんが、「人面不知何處去 桃花依舊笑春風」というのも、なかなか印象深い一句です。

 さらに古い例として、「桃之夭夭 灼灼其華」が、「詩経」にあります。
 この詩では、桃の花の美しさ、実の大きさ、葉の茂ることを、若い娘への祝福に喩えています。実もあり花もあるものとして、桃がその代表格ですので、結婚や新婦の象徴に用いられているそうです。


 花と実の次となれば、幹と枝でしょうか。
 桃の木は大した建材になるわけでなければ、楽器に用いられるわけでもなく、あまり役に立たないような気もします。しかし一方で、古代の中国人にとっては、なにか重要な意味を持っているようです。

 「左伝」昭公四年、魯大夫申豊が季武子の問いかけに対する答えには、すでに桃の木の「避邪」の効果を論じていました。また、「禮記」にも似たような話があったそうです。
 なぜそのような効果があるかは本文になく、「桃」は「逃」と同じ発音、「凶」から逃れるゆえと、後世で注釈を付ける人はなんだか苦しい?解説をしています。
 わけはともかく、この説は、歴史が古いなのは確かなようです。

 また、言い伝えによると、漢土の東の「度朔山」(もしくは「桃都山」)の山頂に桃の大樹があり、木の東北の方角に鬼の出入り口があり、両側に「神荼」、「鬱塁」というふたりの神様が立っていているそうです。
 二柱の神様は、人間に害を及ぼす悪い鬼を捕まえてくれるので、人間の世界も倣って、新年のときは門の両側に桃の木で作った人形を置き、厄から逃れ、凶運を取り除くのでありました。

 桃の木が元来持つ能力にが「神荼」、「鬱塁」と再結合して発展したわけですが、後の時代になると、木像が桃の木に描かれた絵に簡略され、最後は紙の上の像だけになってしましました。
 ただ、神様の手に桃を載せ、この紙を「桃符」と呼ぶことで、かろうじて伝承時代の古い記憶を残しています。

(続く)

コメント

_ tianshu ― 2007-06-29 19:51:29

こんばんは!

 私の故郷では、いまでも、新生児を初めてお外に連れて出かけるとき、その子に必ず桃の枝を身につけさせる習慣があります。また、孫とお嫁さんと大事にするお婆さんは、必ず桃の枝を家の窓やドアに吊り下げ、よそからの「不吉」を祓うのです。
 また、母から聞いた話ですが、一番よいゆりかごは、12種類の木で作られたのです。中には桃の木が欠けてはいけません。
 ・・・・・・・・いろいろありますが、急には思い出せません。今年の夏母にまた聞いてみたいと思っています。

_ T.Fujimoto ― 2007-06-30 00:39:24

tianshuさん、こんばんは。
とても興味深い話、ありがとうございます。
ここでも、桃の枝は魔よけ、厄よけのシンボルとなるわけですね。

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