【現代の通人】 その2、内田百閒2007-06-23 00:42:36

.
 内田百閒は夏目漱石の門下生の小説家ですが、その随筆がおもしろいです。
 時々こっちに行ったり、あっちに行ったり、なんだか危なっかしい乗りですが、そこは(たぶん)作者一流の計算であって、最後はちょんと前後呼応、意味深長に結んでくれることが多いです。


 借金先生とも呼ばれ、その作品に借金にまつわる話が多いです。
 氏は友人や銀行から借金するわけでなく、相手は泣く子も黙る高利貸しです。
 旧制中等学校在学当時に父の死により、実家の造り酒屋が没落したのがたぶん最初ですが、それだけではなく、東大卒業後に士官学校等の教官を務め、当時としては結構な高給取りになったにもかかわらず、またもや高利貸しに手を出していました。
 元金二百九十七円が、つもりにつもって二千四百七十円、どうにも返せなくなっていたようです。

 当人がそれほど苦にする様子もなく、差押を受けても、飄々として、借金そのものを楽しんでいた風さえあります。
 高利貸しを取り締まる話が出ると、反対しました。
 「彼らが自粛すると借りる側がこまる。高利貸しに頼らねばならない弱者を救済するというなら、その弱者を牢屋に入れればよい。金の調達ができず首をくくるのだけは助けられるだとう。」と、へそながりを言いました。


 鉄道が好きで、鉄道紀行「阿房列車」のシリーズが有名です。
 時には、目的地に着いた途端にトンボ帰りすることもあり、ひたすら大好きな汽車に乗るためだけの旅行を実行していました。
 お酒も大好物で、「阿房列車」の行き帰りも、ずっと酒を飲んでいたようです。

 郷里・岡山で中学生の頃から琴を学び、昭和12年には、同好を集めて「桑原会」を発足しました。
 「青葉しげれる」はその音楽エッセイです。

 「一体に道楽は本業よりもきびしいものであって、本業は怠ける事が出来るけれど、道楽にはその道がない。」とうそぶき、夏には裸で琴に向かい、道楽に励んだそうです。