【馬関係の本】「馬券なかりが競馬じゃない」 (和田晴 著)2007-04-26 02:16:37

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 1994年3月北海道新聞社より発行された1冊です。

 作者の和田晴(わだ・きよし)さんは、北海道大学農学部に在籍した学生時代から国体の馬術大会に出場された経歴を持ち、北海道庁に就職された昭和23年が道営競馬始まる年に当たり、道営競馬をその創生期から関わり、後は道営競馬の開催執務委員長、事務所長などを歴任された方です。
 従って、豊富な知識に裏打ちされた文章が素晴らしいだけでなく、さまざまな体験談も極めて貴重な資料だと言えましょう。

 ほんの一部ですが、本文から特に印象深い記述を並べてみます。

・道営競馬草創時の騎手採用筆記試験は、受験希望者の相当数が文字が読めないため、試験官が問題を読み上げる○×形式にした。

・最初は競走馬の資源が不足していて、現在日本競馬の主流である平地駆歩レースだけでなく、実は騎乗速歩レースが番組の半分を占めていた。従って、審判員はキャンターやペーサー(側対歩)など異歩法を判定する必要もある。

・昭和23年の道営競馬は、まだ写真判定がなく、着順はすべて審判員の肉眼で判定されていた(写真判定のカメラは昭和28年に導入)。微妙な判定になったレース後は、柵を越えて審判台にかけあがり、物言いを付けてきたヤクザまがいな兄ちゃんもいた。

・道営競馬開始当時は、帯広(1周1600M)、岩見沢(1周1250M、移転)、旭川(1600M、移転)、北見(廃止)、室蘭(1周1000M、廃止)、小樽(1周1300M、廃止)各競馬場を使っていて、新設の小樽競馬場以外は、戦前からある施設であった。

・昭和52年に亡くなった千島武司ジョッキーの勝負服(青地に白の山形)は永久欠番にした。

・昭和初期、馬はまだ陸上運搬の大きな動力であり、作者の少年時代は小樽市内でも馬車を引くばん馬が多く働いていた。

・昭和42年アメリカの畜産事情を視察する旅に出たとき、シカゴで日本ではすでに廃止された速歩競走を見たが、トロッティングとペーシングのレースが約半々だった。(速歩の本場・フランスや日本では異歩法とされているペーサーを調教していた)。

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_ 帝王競馬 !3日間黒字なし⇒全額返金+10万円! - 2007-04-27 00:16:48

3日間で黒字がなければ、全額返金+10万円??年間勝率99%!年間回収率19700%!それが帝王競馬!!!

_ 不思議日記 - 2007-04-27 16:08:14

一つ一つの競い合いを競走と呼び、一日の競馬開催でいくつかの競走が行われています。

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