【翻訳練習】懐かしい曲「Summer of '69」2013-02-01 17:59:00

 極私的な、80年代音楽ブームは、なお続いています。

 こちらは、Bryan Adamsの「Summer of '69」 です。


 もうちょっと後の「Have You Ever Really Loved a Woman?」は、いまも携帯電話に入っていますが、私にとってのBryan Adamsは、やはり1980年代の「Heaven」やこの「Summer of '69」が原点です。
 原詩は、 こちら です。


最初の本物のギターは
安物雑貨店で手に入れた
指に血がにじむほど弾きまくった
'69年の夏のことだった

学校の仲間らとバンドを作り
そりゃ一所懸命やったよ
やがてジミーが抜け ジュディが結婚し
うまくいくわけがないと 知るべきだった

いま振り返れば
あの夏は 永遠に続きそうだった
できることならば
いつまでもあのころのままでいたかった
人生で一番の日々だった

不平をこぼしても仕方がないさ
働きはじめたのだから
ドライブインで夜をぐったりと過ごし
そしてその頃 君に出会った

君の家の玄関前に立ち
いつまでも待っているわと 君は言った
おれの手が 君に握り締められたとき
絶対いましかないと 気づいていた
人生で一番の日々だった
あぁ

遠い'69年の夏に

おれらは 時間を無駄にした
おれらは若くて じっとしていられなかった
もっと落ち着かなければならなかったんだ
永遠に続くものは きっとありゃしない
永遠なんて

そしていま時代は変わった
過去に去来したすべてをじっくりと見つめることができる
おんぼろのギターを手に取るとき 君のことを思い出す
どうしてうまくいかなかっただろうね

君の家の玄関前に立ち
いつまでも待っているわと 君は言った
おれの手が 君に握り締められたとき
絶対いましかないと 気づいていた
人生で一番の日々だった

あぁ、遠い'69年の夏に
おぉ、'69年の夏だった
あぁ、おれとあの子がいた'69年
おぉ~
夏、夏、'69年の夏だった

いくつかの「落花流水」2013-02-09 18:00:35

 私の早とちりだった、ということなのでしょう。

 先日、金庸の武侠小説「鹿鼎記」で明史案を取り上げた原作の第一話が日本語訳版に収められていないことを書きました(http://tbbird.asablo.jp/blog/2013/01/19/)。しかし、訳者のあとがきを読むと、日本人に余りに馴染みの薄い歴史であり、見慣れない文人儒学者の名前がぞろぞろ出てきて政談を繰り広げるところが、大河活劇小説の冒頭としてとっつきにくい、という理由で本編から除き、代わりに最終巻の末尾に「外伝」として収録することにしたそうです。

 最終巻はまだ未見 (子供は現在和訳本全8巻中の第5、第6巻を図書館から借りて読んでいる最中)ですが、わけを聞いてもなお釈然としない感が否めません。
 「見慣れない文人儒学者」と訳者は言うが、歴史的に名が高く、江戸時代からわが国でもそこそこ知られている顧炎武、黄宗羲などが含まれています。それに、そもそもこの人たちがどういう人物なのかを知らなくても、ストーリーの流れを捉えるのになんら問題がなく、顧炎武は物語の終盤に再登場してくるし、後の章に繋がるオーバイの名前があがるし、なにより第一話の最後、重要なキャラである天地会の総帥・陳近南が颯爽と初登場しています。やはり余計な配慮をせず、原作通りの章立てのほうが良かったかと思います。


 *  *  *  *  *  *  *  *  *

 中森明菜を書いて(http://tbbird.asablo.jp/blog/2012/11/21/6639769)、ファンだったことを思い出し、私的プチ懐古ブームも相まって、いまさらいろいろと聞いています。
 その明菜さんに、「落花流水」というタイトルの曲があります。

  落ちてく花の気持ちがわかる
  もがく重みさえも忘れ
  目をいっぱいに見開いて立ってた
  力がぬけてゆく
  流れる水のように私を
  どこか遠く運んで
    :
    :

 良い歌です。
 しかし、思いました。この「落花流水」は、どういう意味でしょうか?

 丸谷才一のエッセイに書かれていることですが、日本語で「落花流水」は3つの使われ方があるようです:
 (1) ボコボコにやられる
 (2) 一方は気にあるのに他方は無関係
 (3) 残春の景色

 金庸の武侠小説「連城訣」にも「落花流水」が登場します。
 「南四奇」とも称される陸、花、劉、水の四人の苗字を繋げた語呂合わせに過ぎないですが、敵対する血刀老祖が「落花流水, 我打你們個落花流水!」と凄んだところの、二つ目の「落花流水」は、むろん(1)の意味です。
 最近の中国語はと検索をしてみても、この(1)の使い方が圧倒的に多いです。

 (2)の使い方は、やはり中国にもありますが、単に「落花流水」ではなく、「落花有意, 流水無情」、もしくは「落花有意隨流水, 流水無情戀落花」とまで綴る場合が多いようです。

 (3)の使い方は、日本ではこちらが多いイメージですが、中国語では逆にあまり数は見かけませんでした。有名なのは、李後主の「浪掏沙」あたりでしょう。

  獨自莫凭欄 無限江山
  別時容易見時難
  流水落花春去也 天上人間


 1918年(大正7年)に台湾へ赴任した、日本の第7代台湾総督明石元二郎は、日露戦争のときにロシアで機密工作を行い、日本の勝利に大き く貢献したとされる蔭の立役者です。
 実は、明石元二郎が参謀本部に提出した報告書の題も、「落花流水」でした。

 このスパイ・マスターの「落花流水」は、(1), (2), (3)のどれでしょうか?

 デー・ベー・パウロフ、エス・アー・ペトロフたちが著した「日露戦争の秘密」では、巻末の注に「意味不明」と記しました。ファットレル著「明石大佐とロシア革命家たちの接触」も、同様の扱いにしているそうです。
 報告書の本文に自作の漢詩数篇を収めた人物ですから、題名は明石元二郎が自ら付けたものだと思われますが、海外の研究者たちにとって、この東洋的な美感覚は、なかなか理解し難かったかも知れません。

影武者2013-02-17 22:13:07

 韓国映画の「王になった男」は、先週末からロードショーが始まりました。僕は見ていませんが、聞けば、朝鮮時代に王の身代わりになったひとりの賤民を主役に据え、気難しく乱暴だった王とは違う人間味のある王の姿を見せた話だそうです。

 で、思い出したのは、隆慶一郎の「影武者徳川家康」です。


 1902年、徳富蘇峰の民友社から「史疑」という本が刊行され、初刷500冊はたちまち売り切れたが、以降はまったく増刷されなかったそうです。というのも、本が出たすぐに徳川家の子孫たちが買いあさり、そして圧力かけてすぐに絶版させた、という噂です。
 作者は村岡素一郎です。
 新田義貞の子孫の江田松本坊という流浪の僧が駿府に来て、源応尼という巫子の娘と関係し、その男女の間に徳川家康が生まれました。家康は小さいうちに銭5貫で駿府八幡小路の願人坊主に売られ、決して今川家の人質というような身分ある武士の子ではない、というのが「史疑」の主張です。

 丸谷才一によれば、隆慶一郎は「史疑」に触発され、「影武者徳川家康」を書きましたが、ここで銭5貫で願人坊主に売られたのは本物の徳川家康でなく、その影武者だった男、という設定になっています。
 関ヶ原の乱戦のなか、本物の家康が殺されて、影武者がやむを得ずそのまま指揮を取り、ついそのまま本物にさせられました。
 本物の家康が子供嫌いだったのに対して、影武者のほうは子供が好きで、ゆえに側室たちの人気を博した、という挿話もありました。
 徳川家康になった元影武者の男が、最晩年になって、近い家臣についに語ってしまった幼い時の実話が記録に残り、それを発掘して本にしたのが村岡素一郎、という推測なのでしょう。

 なかなかおもしろいものです。


 The Beatalsのポール・マッカートニーと言えば、Sirの称号を贈られ、ギネスにポピュラー音楽史上最も成功した作曲家と認定されましたが、実は影武者であるという説を、僕は高校生の頃に読みました。
 細かくは覚えていませんが、1966年11月、ポール・マッカートニーは自動車事故で重傷を負って入院しましたが、実はそのとき、彼は死んでしまいました。残されたメンバーは人気の凋落を恐れ、カナダ人の某をポールの影武者に仕立てた、という話だったと思います。
 まあ、いわゆる都市伝説の部類でしょう。

 しかし、徳川家康の話もそうですが、事実だとしても、後々までの彼らの活躍を見ると、影武者のほうにむしろ才能があったかも知れません。


 ところで、「影武者」を中国語では何と言うのでしょうか?

 替身?
 漢高祖の例など、中国の歴史上にも影武者がたくさん存在したが、それを的確に表す言葉が存在しない、と丸谷才一がそのエッセイに書いています。

【翻訳練習】懐かしい曲「My Hometown」2013-02-22 23:27:14

 そろそろおしまいにしようかと思いますが、最後にもう一曲紹介させてください。
 Bruce Springsteenの「My Hometown」です。

 

 Bruce SpringsteenとMark Knopflerは、その時代の僕のヒーローです。
 渋くて格好いいと、単純にそう思いました。


オレが8歳の頃、親父の新聞を買いに、
よく小銭を握り バス乗り場のほうへ走っていた。
古くてでかいビュイックの運転席で、
おやじの膝に座り 町を走り回ったとき、
オレの髪をくしゃくしゃに撫でながら言った。
息子よ いいかい、よく見ておくんだ、これがお前のふるさとじゃ。
これがお前のふるさと。
お前が生まれ育った場所、
これがお前のふるさとじゃ。

'65年の頃、オレの高校にも緊張が高まり、
黒人と白人の間に数え切れないほどの衝突が起きていた。
なすすべなど 何もなかったさ。
土曜の夜、信号で2台の車が止まり 後部座席に銃が置いてあった。
ショットガンの一撃で、言葉がかき消された。
やっかいな時代が オレのふるさとにやってきた。
オレのふるさと。
オレが生まれ育った場所、
オレのふるさとに。

いまではメインストリートさえ、あるのは閉め切った窓と空っぽの店ばかり。
もうはや誰もここにやって来なくなったようだ。
線路の向こうの敷物工場もまもなく閉鎖される。
仕事はみなよそにもって行かれたと、現場のおっさんが言った。
もう誰もお前のふろさとにはもう戻ってこないさ。
お前のふるさと。
お前が生まれて育った場所、
お前のふるさとに。

オレとケイト、昨夜はベッドで横になりながら、
ここから出て行くことを話し合った。
荷物を積み込み、たぶん南のほうに向かうだろう。
オレは35歳になり、いまじゃオレにも息子がいる。
昨晩 ハンドルの前に息子を座らせて言った。
息子よ いいかい、よく見ておくんだ、これがお前のふるさとだ。