いくつかの「落花流水」2013-02-09 18:00:35

 私の早とちりだった、ということなのでしょう。

 先日、金庸の武侠小説「鹿鼎記」で明史案を取り上げた原作の第一話が日本語訳版に収められていないことを書きました(http://tbbird.asablo.jp/blog/2013/01/19/)。しかし、訳者のあとがきを読むと、日本人に余りに馴染みの薄い歴史であり、見慣れない文人儒学者の名前がぞろぞろ出てきて政談を繰り広げるところが、大河活劇小説の冒頭としてとっつきにくい、という理由で本編から除き、代わりに最終巻の末尾に「外伝」として収録することにしたそうです。

 最終巻はまだ未見 (子供は現在和訳本全8巻中の第5、第6巻を図書館から借りて読んでいる最中)ですが、わけを聞いてもなお釈然としない感が否めません。
 「見慣れない文人儒学者」と訳者は言うが、歴史的に名が高く、江戸時代からわが国でもそこそこ知られている顧炎武、黄宗羲などが含まれています。それに、そもそもこの人たちがどういう人物なのかを知らなくても、ストーリーの流れを捉えるのになんら問題がなく、顧炎武は物語の終盤に再登場してくるし、後の章に繋がるオーバイの名前があがるし、なにより第一話の最後、重要なキャラである天地会の総帥・陳近南が颯爽と初登場しています。やはり余計な配慮をせず、原作通りの章立てのほうが良かったかと思います。


 *  *  *  *  *  *  *  *  *

 中森明菜を書いて(http://tbbird.asablo.jp/blog/2012/11/21/6639769)、ファンだったことを思い出し、私的プチ懐古ブームも相まって、いまさらいろいろと聞いています。
 その明菜さんに、「落花流水」というタイトルの曲があります。

  落ちてく花の気持ちがわかる
  もがく重みさえも忘れ
  目をいっぱいに見開いて立ってた
  力がぬけてゆく
  流れる水のように私を
  どこか遠く運んで
    :
    :

 良い歌です。
 しかし、思いました。この「落花流水」は、どういう意味でしょうか?

 丸谷才一のエッセイに書かれていることですが、日本語で「落花流水」は3つの使われ方があるようです:
 (1) ボコボコにやられる
 (2) 一方は気にあるのに他方は無関係
 (3) 残春の景色

 金庸の武侠小説「連城訣」にも「落花流水」が登場します。
 「南四奇」とも称される陸、花、劉、水の四人の苗字を繋げた語呂合わせに過ぎないですが、敵対する血刀老祖が「落花流水, 我打你們個落花流水!」と凄んだところの、二つ目の「落花流水」は、むろん(1)の意味です。
 最近の中国語はと検索をしてみても、この(1)の使い方が圧倒的に多いです。

 (2)の使い方は、やはり中国にもありますが、単に「落花流水」ではなく、「落花有意, 流水無情」、もしくは「落花有意隨流水, 流水無情戀落花」とまで綴る場合が多いようです。

 (3)の使い方は、日本ではこちらが多いイメージですが、中国語では逆にあまり数は見かけませんでした。有名なのは、李後主の「浪掏沙」あたりでしょう。

  獨自莫凭欄 無限江山
  別時容易見時難
  流水落花春去也 天上人間


 1918年(大正7年)に台湾へ赴任した、日本の第7代台湾総督明石元二郎は、日露戦争のときにロシアで機密工作を行い、日本の勝利に大き く貢献したとされる蔭の立役者です。
 実は、明石元二郎が参謀本部に提出した報告書の題も、「落花流水」でした。

 このスパイ・マスターの「落花流水」は、(1), (2), (3)のどれでしょうか?

 デー・ベー・パウロフ、エス・アー・ペトロフたちが著した「日露戦争の秘密」では、巻末の注に「意味不明」と記しました。ファットレル著「明石大佐とロシア革命家たちの接触」も、同様の扱いにしているそうです。
 報告書の本文に自作の漢詩数篇を収めた人物ですから、題名は明石元二郎が自ら付けたものだと思われますが、海外の研究者たちにとって、この東洋的な美感覚は、なかなか理解し難かったかも知れません。

コメント

_ 蓮 ― 2013-02-10 12:26:32

『広辞苑』には「落花流水」には相思相愛の意味があるように書いていますね。
またネットで花が男で水が女をあらわすというような解釈も読みました。
さらに岩波『国語辞典』では「落花流水、枝にかえらず」をひとたび破れた男女の仲は、再びもとどおりにはならないことのたとえ、ともあり、ぼくにはどうも使い方が難しい気がします。
それにしてもT.Fujimotoさんの博覧強記ぶりには驚きます。

_ why ― 2013-02-10 23:32:15

字面を見るととても素敵でロマンのある言葉ですが、受けた教育のせいか、私はやはり一番最初に思い浮かんだのは(1)の意味です。落花流水と言われたら、あらま、惨敗だったのねと受け止めてしまいます。ネガティブな言葉になりますね。
(2)の意味で使う場合、Fujimotoさんが書いたように「落花有意, 流水無情」というセットで表現する時だけのような気がします。ちょうど「魚心あれば水心」と真逆な意味になるのでしょうか。美しい字面なのに、これもなんとも寂しい解釈になりますね。
(3)の解釈は確かに「流水落花春去也天上人間」しか知りません。日本ではこちらが一般的だったのですね。勉強になりました。
ま、日本にしても中国にしても流水とか落花とかはセンチメンタルな感情につながりやすい表現であることは間違いないようで、まさに東洋の美的センスでしょうね。


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_ T.Fujimoto ― 2013-02-11 22:27:13

蓮さん、こんばんは。
知らなかったのですが、「落花流水」には相思相愛の意味もあるのですね?
すると、落花有意、流水有情、ということになるのでしょうけど、出典が高駢の詩より、となっていても、高駢の詩を読む限り相思相愛の意味が読み取れません。手持ちの中国語の辞書を調べてもそのような解釈がなく、日本に伝わってから生まれた使い方かも知れませんね。

_ T.Fujimoto ― 2013-02-11 22:41:38

whyさん、こんばんは。
私もまず思い浮かぶのは(1)の意味です。コテンパンにやられたか、そうでなくても、衰退した寂しい風景しか思い浮かびません。
日本人は(古の没落貴族から?)、枯れ枯れとして侘びしいさまを美と認める傾向があり、字面の上での美しい雰囲気を受け取って、幽玄の美として拡大解釈したかも知れません。
ちなみに、先程台湾の「成語辞典」を調べたら、「時間的逝去」を意味する使い方も出てきました(例文:「這一年之中,你我各各經了多少滄桑,這日月便如落花流水一般的過去了」)。寡聞にして知らなかったのですが、これは中国にもある使い方なのでしょうか?

_ why ― 2013-02-14 21:24:48

Fujimotoさん、こんばんは!
ちなみに私も先ほど中国商務印書館(権威ある真面目な老舗出版社です)から出版された『漢語成語小辞典』を調べてみました。
五代南唐李煜词《浪淘沙》:“落花流水春去也。”原形容暮春景色衰败。后常用来比喻被打得大败。例:旧世界打个落花流水,奴隶们,起来,起来!《国际歌》
と書いてありました。「インターナショナル」から用例を引っ張ってくるのはいかにも中国的なのかもしれませんが、しかし、解釈は台湾も大陸も同じなのではないかと思いきや、意外にもまるっきり同じでもありませんでしたね。
時間の流れる虚しさ侘しさを表現するのは読めば分かりますが、実際そういう使い方をするのは、本当に寡聞にしてあまり見たことがありませんね。
ほかにも台湾と大陸で使い方が違ってしまったものってたくさんあるのではないでしょうか。
例えば「私とあなた」の「和」を台湾では「han」と言いますよね。Fujimotoさんもそういう使い方をしていらっしゃったのでしょうか。四字成語ではありませんけれど、これは私にとってかなり斬新でした。

_ T.Fujimoto ― 2013-02-16 11:19:58

商務印書館といえば台湾にも台湾商務印書館がありまして、元々上海にあった商務印書館の分館だったようです。

> 例えば「私とあなた」の「和」を台湾では「han」と言いますよね。

辞書だとそうですが、実際は「her」と発音する人も多いような気がします。

李後主の「浪淘沙」に関する解釈も、たぶんそう差がないと思いますが、但し意味を細かく4つに分けてあります:
(1)形容衰敗零落的樣子,有如花殘落地,水流逝去。
(2)比喻春景零落消逝;即形容暮春殘敗的景象。藉以比喻時間的逝去。
(3)形容零亂或衰敗的不可收拾;即形容事物零落殘敗,亂七八糟的景象。
(4)比喻被打得大敗,七零八落的局面。

_ 中国蘭迷 ― 2013-02-18 23:06:54

遅レスにて失礼します。
(1)の意味があったとは恥ずかしながら初めて知りました。
私は「落花流水」というと、李香蘭さんの《蘇州夜曲》の歌詞「花を浮かべて流れる水の明日の行方は・・・・」がまず思い浮かび、相思相愛かどうかはともかく男女の情愛をイメージしていました。
《浮生六記》の巻二「閑情記趣」の中で墓参りの時拾った石や蔦や草を使って宜興の長方鉢に二人で盆景を作りながら「ここには“落花流水之間”と彫らなければいけない」と話す場面がありますね。林語堂の英訳ではどうなってるのかなと見たら“Where petals drop and waters flow”とそのまんまでした。この盆景は結局猫に台ごと蹴飛ばされて粉微塵に壊されてしまいますが・・・

_ T.Fujimoto ― 2013-02-19 23:49:12

中国蘭迷さん、ご無沙汰しております。
上でwhyさんが書かれましたが、現代の中国語ではもっぱら(1)の意味で使われていいるようです。そういえば、日本語ではあまりその使い方は見かけないな、と思ったのが、そもそもこの記事を書いたきっかけです。

「浮生六記」は、手元にあるのは台湾の大夏出版社から刊行されたもの (林語堂の「序」が付いている) ですが、確か仰る通り、「落花流水」が出ています。
「此処宜設水閣, 此処宜立茅亭, 此処宜鑿六字曰『落花流水之間』,......」
これは(3)の使い方なのですね。

で、「浮生六記」にもう一箇所「落花流水」を見つけました。
「閨房記樂」のなか、夫婦が唐詩について議論したときの話ですが、「李詩宛如姑射仙子,有一種落花流水之趣,令人可愛」とあります。
この「落花流水」はどういう意味なのでしょうか?

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