「サハラ物語」の日本語訳2011-11-05 22:40:05

 いつも通っている図書館に「サハラ物語」(三毛 著、妹尾加代 訳、筑摩書房、1991年3月初版)が置いてあるのを、いまさら気づきました。原作は三十年前に台湾で読みましたが、懐かしくなって、この日本語訳版も借りてみました。

 本作品は、三毛とそのスペイン人の夫ホセが北アフリカの砂漠で過ごしていた頃の生活記録ですが、中国語圏で長く人気を博したのは、その体験の珍しさだけではなく、作者の軽妙洒脱な文筆にもよるところも大きいと思います。
 しかし日本語訳版からは、残念ながら、あまりその面影は伺えません。

 普通の日本語の文章としても、冗長だと思える表現や意味が不明確な箇所が散見されます。
 比較のために、ネットで見つけた中国版(http://www.millionbook.net/gt/s/sanmao/shldgs/index.html)を引用していますが、正規版ではなさそうで、タイプミスなどもあるかも知れません。


-(日本語訳)-
翌日また見に行くと、それはくるみ程の大きさに腫れあがり、彼女は痛がって破れたむしろの上にころがってうなっていた。「だめだわ、病院に行かなくちゃ」私は母親に言った。


 「破れたむしろ」をわざわざ強調するところが気になりました。

-(原文)-
第二天再去看她,她腿上的癤子已經腫得如桃核一般大了,這個女孩子痛得躺在地上的破席上呻吟,“不行,得看醫生啦!”我對她母親說。“


 なるほど、「破席」とはありますが、これは慣用語のようなもので、省略してもよさそうです。

-(日本語訳)-
半年あまりたつと、私はハンティの家族はもう大変仲良くなっていて、ほとんど毎日いっしょにお茶を沸かして飲んでいた。ある日、お茶を飲んでいる時のこと、ハンティと彼の妻のグーバイだけが部屋の中にいたが、ハンティが思いがけないことを言った。
「うちの娘はもうすぐ結婚する。あんた都合の良い時にあれに言ってやってほしいんだ」


-(原文)-
半年多過去了,我跟罕地全家已成了很好的朋友,几乎每天都在一起煮茶喝。有一天喝茶時,只有罕地和他的太太葛柏在房內。罕地突然說:“我女儿快要結婚了,請你有便時告訴她。”


 この「お茶を沸かして飲んでいた。」も、好みの問題かも知れませんが、沸かさず飲むお茶がないし、冗長だと感じました。
 まあ、ここまでは目くじらを立てるほどの内容ではありません。

-(日本語訳)-
「それは承知したよ。だがとにかく裁判所へ行って、どういうふうに手続きのしかたを聞かなきゃ。きみの国籍の問題もあるし」二人で結婚後の私の二つの国籍について、よく話しあった。


 日本語自体、さほど違和感はありませんが。

-(原文)-
“這個我答應你,但總得去法院問問手續,你又加上要入籍的問題。”我們講好婚后我兩個國籍。


 「講好」を「よく話しあった」と訳すのは、正確だと思えません。
 ここでは、二重国籍を残すことにふたりで決めた、という程度の意味ではないでしょうか。

-(日本語訳)-
この時は迷宮山に迷わなかった。三十分行ったが、そこではなかったので引き返した。


 「迷宮山」と三毛たちが呼んでいるのは、砂漠に聳え立ついくつかの大きな砂丘です。しかし「そこではなかったので」のところ、意味が不明です。

-(原文)-
迷宮山這次沒有迷住我們,開了半小時不到就跑出來了。


 なるほど、「不到」を誤訳されたかも知れません。

(試訳)
 「このときは迷宮山で道を迷うことなく、三十分足らずで出てこれました。」

-(日本語訳)-
それはもう四隅がすりきれてしまった写真で、西洋の服装を身につけたアラビヤの女が写っていた。均整のとれたスタイルに大きな目をしていたが、決して若くはない顔にゴテゴテと厚化粧が塗られていた。


-(原文)-
這是一張已經四周都磨破角的照片,里面是一個阿拉伯女子穿著歐洲服裝。五官很端正,眼睛很大,但是并不年輕的臉上涂了很多化妝品,一片花紅柳綠。


 「五官很端正」をわざわざ「均整のとれたスタイル」に置き換えなければならない理由がわかりません。実際、その後に「胖腿下面踏了一雙很高的黃色高跟鞋」と続いているだけに、スタイルは均整が取れているか、かなり微妙です。

-(日本語訳)-
私は「待ってね」と言うと、家にとんで帰り、最高単位の総合ビタミン剤を十五粒持ってくると、ハティエットに渡した。「ハティ、あなた羊を殺すことができる」と聞くと、うんうんとうなずく。「まず彼女にこのビタミン剤を飲ませてやるの、一日二、三回ね。それからマトンのスープを作って飲ませてやってちょうだい」
このようにして十日もたたないうちに、そのハティエットの形容によると死にかかっていたいとこは、自分で歩いて私のところにやって来て、しばらく座って帰っていくほど元気になった。


 ここまでくると、突っ込みどころが満載で、ほとんど小学生の作文になってしまいました。「あなた羊を殺すことができる」など、まさか能力を確認しているわけではないでしょうね。

-(原文)-
“等一下。”我說著跑回家去,倒了十五粒最高單位的多种維他命給她。“哈蒂,殺只羊你舍得么?”她赶緊點點頭。“先給你表妹吃這維他命,一天兩三次,另外你煮羊湯給她喝。”這樣沒過十天,那個被哈蒂形容成正在死去的表妹,居然自己走來我處,坐了半天才回去,精神也好了。


-(日本語訳)-
ホセが車を買うと、私はたちまちその「夢の白馬」が大好きになった。それでしょっちゅうこの白馬を連れて町へ出て用事を片付けたり、時には職場までの私の「夢の王子さま」を迎えに行くこともあった。


-(原文)-
等到荷西買了車子,我就愛上了這匹“假想白馬”,常常帶了它出去在小鎮上辦事。有時候也用白馬去接我的“假想王子”下班。


 アフリカで運転免許を取得する話の枕ですが、「夢の王子さま」、「夢の白馬」と訳してしまうと、ニュアンスが大きく変わってしまいます。  若干難しいかも知れませんが、「假想」はあくまでも仮想であって、仮にそうだと置き換えているだけで、白馬に乗る王子さまと現実の車に乗る夫とは、やはり隔たりはあるかと思います。

ウイスキーを飲んでハワイへ行こう2011-11-09 23:55:33

 ウイスキーを水で割ったりするのは日本人の悪い習慣、酒を造った人に失礼だと、諄々と諭してくれたのは、大学研究室の先輩です。

 もうひとつ聞かされたのは、ウイスキーの造り方は途中までビールと同じ、ワインの蒸留酒がブランデーで、ビールの蒸留酒がウイスキーだと言って、原理的には間違いないだそうです。
 だいぶ昔の話ですが、つい真偽を確かめず、どちらかと言うと、その蒸留しないほうに心が傾き、酒を作った人に礼を失うこともあまりなく、今日に至っています。
 それが年を取って、「生命の水」と昔は言われている、その蒸留したほうも、なんとなくちょっと頂きたくなったこの頃です。


 明治44年、後のサントリーである寿屋がはじめて純国産品として発売したヘルメス・ウイスキーは、アルコールに色をつけて香料を入れた程度の代物だったそうです。
 「赤玉ポートワイン」で成功した鳥居社長は、国産ウイスキーを作ろうと人材を探していたときに出会ったのが、スコットランド帰りの竹鶴政孝でした。ともに腰をすえてウイスキー醸造の研究に没頭し、10年近い歳月を経て、サントリー・ウイスキーを世に送りました。後に竹鶴は寿屋から離れ、大日本果汁株式会社を設立しましたが、国産ウイスキーのもう一方の雄「ニッカ」は「日果」、つまり大日本果汁株式会社の略です。

 寿屋のほうは、1963年にサントリー株式会社に商号も変更しましたが、まだ寿屋だった頃の、その宣伝部には、いま思うと錚々たる顔ぶれが並んでいました。
 のちに作家となる開高健、山口瞳、イラストレーターの柳原良平などです。

 この三人がチームを組んで、世に出した広告は次々とヒットしました。柳原良平がデザインしたトリスのキャラクターである「アンクルトリス」が人気を博し、「人間らしくやりたいナ」というキャッチコピーも、大いに流行したそうです。
 1961年(昭和36年)9月11日の朝日新聞には、人々が目を剥くような広告が載っていました。アンクルトリスが首に花のレイを掛け、トリスで乾杯している絵には、ヤシの木、フラダンスを踊る女性、サーフィンをする男性が配され、山口瞳が考えた「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」のキャッチコピーが、大きく踊っていました。

 まだ海外旅行が自由化されていなかった時代で、親父がその頃にもらったパスポートには、外務大臣の直筆サインが入っていたぐらいです。
 南国ハワイとなれば、もう夢のまた夢の向こうにある遠い楽園だと思われたのでしょう。
 それが抽選だとは言え、330円のトリスを飲めば行けるんだと言われたら、人々のハートががっちり掴まれたのは当然かも知れません。なにしろメーデーのプラカードに「本格的レジャーよ、やって来い!」と要求が書かれた時代です。

 しかし、安いウイスキーに海外旅行が当たるのはやりすぎたと、公正取引委員会のほうがクレームを付けたそうです。

北極へ行ってウイスキーを飲もう2011-11-10 23:21:28

 「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」が大きな話題を呼んだのは、いまから50年前です。
 懸賞で海外旅行が当たるのは、いまとなってはどうということはなく、公正取引委員会からクレームが入る話も、当然ながらありません。

 現にサントリーさんのホームページに行ってみたら、「カナディアンクラブ」で「カナダの旅が当たる」、というプレゼントキャンペンがちょうどいま実施されていることに気づきました。


 アルコール類の宣伝は派手なのが多いですが、この「カナディアンクラブ」は、手元の「酒 面白すぎる雑学知識」(青春出版社)によれば、かつてとんでもないキャンペーンを行ったことがあります。
 方法自体は単純です。世界中のあちこちに、木箱に入ったカナディアンクラブを隠し、そのウイスキーを発見できた者に差し上げる、それだけの話です。

 問題はその場所です。
 ベネズエラのエンジェル滝、アリゾナ州の廃坑、マンハッタンの高層ビルのてっぺん、などです。

 しかし、1967年から1981年まで続けられたこのキャンペーンで、隠された木箱22コのうち、少なくとも16箱は発見されました。
 場所を考えれば、思いのほか高い発見率です。
 例えばキリマンジャロの山頂で、デーンマークのジャーナリストが探険中になにものかに足がとられ、転んでしまいましたが、立ち上がって見たら、それがカナディアンクラブの木箱だった、という話も伝わっています。

 さすがにこれは無理だろう、というのもあります。
 北極に隠されたのが、その最もたるものです。なにしろ飛行機のうえから、眼下の広大な氷原にめがけて投下しただけですから。

TPP交渉に日本は参加すべきか?2011-11-23 22:31:36

 とタイトルでは書いていますが、その答えをここで導き出すつもりはないです。紛らわしくてすみませんが、僕が書けるのはもっと単純な話だけです。

 それはそうでしょう。日本の国益で判断しようとすれば、経済素人の僕から見ても、とてつもなく複雑な計算が必要なはずで、専門家たちがいろいろ議論しながら容易に答えを出せないでいるのも、むべなるかな、です。


 但し一方で、人類全体の幸せを長い目で見れば、貿易等の障壁を低くしたほうが、なにかと便利で効率的だと思えます。

 原始時代、人々はほぼ自給自足の生活をしていましたが、経済の発展に伴い、分業化が自然に進み出してきました。食べ物を作れる人が食べ物を作り、それを運ぶ人たち、販売する人たちが現れてきます。絵を描ける人が絵を描き、それを印刷する人、流通する人が現れてきます。役割分担することで専業性が高まり、効率化が図れるためでしょう。
 僕は神奈川県の小田原市に住んでいますが、僕がいまの生活を継続するために必要なものすべてを、この小田原市内だけで作れるとは思えません。神奈川県全体で考えても難しいかもしれません。恐らく毎日いろいろな物資が県外から運ばれて来ています。どんなふざけた市長、県知事がいても、市益、県益のために、その物流に関税のような障壁を作らないだろうと、素人ながら考えます。
 国と国の間だとそうは行かない、そうは思わないのは、ほかの国の人を、この国にいる人間はまだ連帯感を持っていなく、信用できないからではないでしょうか?

 それを間違いだと決め付けるつもりはありません。
 進化の過程に存在しえる感情で、防衛本能が働くのも理解可能です。そういう意味でいろいろなタイミングの判断が確かに必要かも知れません。


 しかし、僕は小田原市民であり、神奈川県民であり、日本国民であるうえ、なにより地球で暮らす人類の一員です。
 大きな流れとして、人類の行動範囲が徐々に広がり、互いの利害関係は共通になってきています。こちらで汚染された水はあちらにも流れてゆくし、あちらで起きた戦争はこちらに住む人の知り合いを傷つけることもあります。
 地球温暖化、放射能汚染、地震、洪水......大多数の幸福を追求していくために、力を合わせて解決しなければならない問題が生じています。そのような大きな課題を、人類全員は叡智を合わせて解決していくべきだと思います。

 諸々の過程で、いろいろな軋轢が起きるのは想像できます。局面局面で利害関係が一致しないのも当然にあるのでしょう。しかし、徐々に人類は良い方向に進まなければならないし、進んでいると思いたいでし。基本的に、隣人が10を持って、自分が100を持っている世界よりも、隣人が300を持って、自分が200を持っている世界を、僕は好ましい、うれしいと思っています。
 なにしろ、手持ちが100も増えていますから。

ラビリンスゲーム2011-11-24 23:32:34

 「ラビリンスゲーム」は、スウェーデンのBRIO社が1946年に発売した玩具です。

 木製の箱の中にプレートで迷路が区切られ、コースのあちこちに開いている穴にボールを落とさないように気をつけながら、ゴールまでにボール運ぶゲームです。
 簡略したり難易度を下げているものが多いですが、似たようなゲームを遊んだことがある人は多いのではないでしょうか?
 こちら本物を触ったことがありますが、素人ではとても歯が立たない、極めて攻略が難しいものです。


 ところが、世の中には達人というのがいるものです。


 2つのボールを同時にゴールさせたこの繊細なコントロールは、神業だと言ってもいいぐらいです。(ゴール時間は世界記録らしいです)