戦車のスクラップ ― 2011-09-15 05:54:10
半藤一利の随筆で読みましたが、東京タワーの特別展望台より上の部分は、戦車のスクラップで建造されたそうです。
いや、そのままというわけではないでしょうが、朝鮮戦争の終結で米軍の戦車がいっぱい余り、払い下げというので、日本の業者が三百輌も買い取り、スクラップが製鉄会社に引渡したそうです。そのスクラップを溶かして作った鉄骨が、東京タワーの建設に使われたそうです。
* * * * *
豊葦原瑞穂の国に生まれきて
米がないとは不思議なはなし
大正七年の米騒動の際に詠まれた歌ですが、太平洋戦争の頃、耐え難い飢餓を我慢しながら、改めて歌われたそうです。
「奢侈品等製造販売制限規則」の断固実施が内閣で決定されたのは、昭和15年の7月、世に言う「7・7禁令」です。あれもダメ、これもダメ、欲しがりません、勝つまでは、なのであります。
「ぜいたくは敵だ!」の看板1500本が、東京中心部の街頭に立てられたのがその年の8月1日、官庁・会社・百貨店などの食堂から米食は全面的に廃止されました。
永井荷風の日記「断腸亭日乗」のその日の記載が、おもしろいです。「今日の東京に果たして奢侈贅沢と称するに足るべきものありや。笑ふべきなり」
贅沢は敵だ!と言いながら、東京を歩き見回したところ、敵らしい敵はどこにも見当たらなかった、という笑えるような、笑えないような話です。
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戦車は、いまのお金にすれば1台で数億円はするそうですが、それでも奢侈品には入らなかったのでしょうかね。
いや、そのままというわけではないでしょうが、朝鮮戦争の終結で米軍の戦車がいっぱい余り、払い下げというので、日本の業者が三百輌も買い取り、スクラップが製鉄会社に引渡したそうです。そのスクラップを溶かして作った鉄骨が、東京タワーの建設に使われたそうです。
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豊葦原瑞穂の国に生まれきて
米がないとは不思議なはなし
大正七年の米騒動の際に詠まれた歌ですが、太平洋戦争の頃、耐え難い飢餓を我慢しながら、改めて歌われたそうです。
「奢侈品等製造販売制限規則」の断固実施が内閣で決定されたのは、昭和15年の7月、世に言う「7・7禁令」です。あれもダメ、これもダメ、欲しがりません、勝つまでは、なのであります。
「ぜいたくは敵だ!」の看板1500本が、東京中心部の街頭に立てられたのがその年の8月1日、官庁・会社・百貨店などの食堂から米食は全面的に廃止されました。
永井荷風の日記「断腸亭日乗」のその日の記載が、おもしろいです。「今日の東京に果たして奢侈贅沢と称するに足るべきものありや。笑ふべきなり」
贅沢は敵だ!と言いながら、東京を歩き見回したところ、敵らしい敵はどこにも見当たらなかった、という笑えるような、笑えないような話です。
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戦車は、いまのお金にすれば1台で数億円はするそうですが、それでも奢侈品には入らなかったのでしょうかね。
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