わがまま2011-03-27 21:23:06

 「わがまま」の意味を辞書で調べてみました。
 自分勝手、ほしいまま、自分の思いどおりに振る舞うこと、またはそのさま、だそうです。
 利己的な意味を含むことが多いですが、そうでない場合に使われる実例もあります。

 以下は失礼ながら、ほとんど1996年の「週刊現代」での、浅田次郎さんのコラムから抜粋したものです。


 「私は隣席のその人の業績を知らず、お名前も存じ上げなかった。授賞式に続く盛大なパーティの席上で粗相があってはならない。そう考えて控室で配布された要項の小冊を、不躾ながらその人に悟られぬように読んだ。」
 「略歴はこう記す。
 昭和二十八年三月、当時北海道大学医学部内科医局に籍を置いていたその人は、前年の十勝沖地震の津波による大きな被害を受けた地域に、新妻を伴って赴任した。期間は一年間という約束であった。」

 「しかし荒廃した釧路日赤病院分院に到着したその人が見たものは、津波の惨状と夥しい結核患者と、救いがたい貧困であった。半分以上の住民が保険すら加入しておらず、自由診療という僻地である。
 昼も夜もなかった。その人は東西二十キロ、南北五十キロに点在する十六集落の八千人の住民を、たった一人で守らねばならなかった。医師一人につき八百五十人が平均と言われていた時代である。しかも設備はなく、衛生環境は劣悪であった。
 その人は勇敢に戦った。一年の半ばを雪と氷にとざされる荒野のただなかで、あらゆるものを相手に戦った。そして寸暇を惜しんで釧路の病院に通い、専門外の外科や産婦人科や眼科の医術を学んだ。」

 「七年の歳月が過ぎた。昭和三十五年、二度目の大津波が村を襲った。多くの人命を奪ったチリ沖地震津波である。
 壊滅的な被害であった。三十代の半ばにさしかかっていたその人は、ひとりの医師ではどうすることもできない惨状の中で決意した。
 もう札幌には帰らない、と。
 そして、妻と子らに詫びた。
 私のわがままを許して欲しい、と。」

 「それからその人は、さいはての大地に根を下ろした。着任から四十二年を、八千人の命とともに生きた。
 略歴に続く短文に、その人はこう書いていた。
 家内や子供の夢をくだいて四十二年。札幌ははるか遠いところになってしまった。(中略)ただどんな小さな集落でも人が居れば医療があると考えて生きてきた。今回の受賞は全く望外であり、私の我が儘を許してくれた家内や子供達へ素晴らしい贈物を吉川英治先生がしてくれたかも知れない。ありがとうございましたー。」


 「明日、帰ります。患者さんたちが、私を待っていますから」
 むっつりと笑わぬ顔で、受賞の言葉をこのように結んだその人とは、平成7年第29回吉川英治文化賞受賞者のひとり、道下俊一さんです。1年間の約束だった赴任期間が結局47年間に及び、退職して道下さんが札幌に戻ったのは75歳ぐらいでした。

 NHKのプロジェクトXの番組でも取り上げられていたそうです。(http://www.sdu.co.jp/m6_19.html

コメント

_ 蓮 ― 2011-03-27 23:47:16

ブログというものはだいたい読んだひとがコメントをのこせるようになっていますね。
これはこれで便利な機能だとは思いますけれど、良い文章にめぐりあったときは、コメントを残すよりも文章の与えてくれた余韻にひたっていたい、あるいはだいぶ時間がたってから、コメントしたくなる、そんなときもありますよね。
今回の文章を読ませていただき、そんなことをふっと思いました。

_ T.Fujimoto ― 2011-03-30 00:23:39

蓮さん、こんばんは。
リンク先の文章を読んだら、現地の患者さんの言葉が頭から離れません。「今度来た先生は、盲腸まで出来る。釧路まで行かなくて済むぞ。」と噂したり、「先生、ここに居てけれ!」と絶叫したり、僻地の人々にとって、先生は神だったかも知れません。それを本人は「只自分で選んだ道を歩んで来たに過ぎない」と言って、その「わがまま」を家族に詫びました。

人間の偉さは、富みや名声だけでは計れないですね。

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