ふしぎの国の言葉あそび2009-04-19 22:45:20

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 図書館のリユース・コーナーから頂いてきた「ふしぎの国のアリス」を、子供と一緒に読みました。

 この日本語訳には注釈があっちこっちににあり、小さい時は中国語訳も一度ばかりでなく読んだはずですが、作者の遊び心を、いまになってなるほどと気付くところがたくさんありました。

 とりわけ英語の言葉遊びがいろいろあって、駄洒落の数々もそうですし、英語の熟語や慣用表現がわからないと、そもそもなぜ帽子屋、三月うさぎ、にせウミガメといった人物が登場するかがわからないでしょう。
 まあ、そういうのは翻訳者泣かせというのでしょうか。最善を尽くしながら、最後は割愛(もしくは無視)するか、詳しい注釈を別途つけるか、そのどちらかになるのではないでしょうか。


 「ところで、あの赤ん坊はどうした?もうすこしで、聞くのを忘れるところだったよ。」とチェシー猫が尋ね、「赤ん坊は、ぶたになちゃったわ。」とアリスが答えたあと、です。
 一度消えた猫が、また突然また現れて、「あんたは、さっき『ぶた』って言ったのかね、それとも『ふた』っていったのかね?」と聞いていました。

 この部分には注釈がなかったんですが、調べると、英語の本文では "Did you say ‘pig’ or ‘fig’? " だったそうです。
 さすがに「ぶた」か「イチジク」(fig)か、と訳すわけにはいかず、訳者は「ふた」に取り替えたようです。


 これ、実は「ぶた」と「ふた」のような似ている言葉であるだけでなく、作者のルイス・キャロルがアリスたちとよく遊んでいた一種の言葉遊び「タブレット」、その一部だそうです。

 Cohenのキャロル伝によると、この遊びは1877年にキャロルが発明したもので、アルファベットを1つずつ変え、なんらかの意味を持たせながら、ゴールの単語へと変換していくゲームです。
 豚(pig) を猫(cat)に変換するときに、pig → fig → fog → dog → dot → pot → pat → cat というのがその回答例です。

 head(頭)からtail(しっぽ)へ変える例も出ています。(http://www.kt.rim.or.jp/~snark/carroll/index.html
 head → heal → teal → tell → tall → tail


 この遊び、日本語でもできるのではないでしょうか?

 例えば、「あたま(頭)」から「おしり(お尻)」でどうか、遊んでみます:

 あたま(頭) → あたり(当たり) → あさり(浅蜊) → まさり(勝り) → まつり(祭り) → おつり(お釣り) → おしり(お尻)

 ほかにも辿り着けるパターンがありますね:

 あたま(頭) → あくま(悪魔) → はくま(白麻)→ はくり(薄利) → はしり(走り) → おしり(お尻)


 それと、「かのじょ(彼女)」を「おくさん(奥さん)」に変える方法も考えました。

 かのじょ(彼女) → かいじょ(解除) → かいじん(怪人) → かいにん(懐妊) → たいにん(退任) → たいさん(退散) → たくさん(沢山) → おくさん(奥さん)

 かのじょ(彼女) → かんじょ(寛恕) → かんしょ(官署) → かくしょ(各所) → かくしん(確信) → かくさん(拡散) → おくさん(奥さん)

 まあ、奥さんになる前に先に妊娠するかどうか、という2つのパターンでした。

コメント

_ sharon ― 2009-04-21 08:43:00

五味として順に乳→酪→生酥→熟酥→醍醐と精製され一番美味しいものとして、
こういう醍醐味を味わえるのも通訳の極意でしょうね。
遊び心が大事なんだな。

_ T.Fujimoto ― 2009-04-22 07:41:44

sharonさん、通訳ではないですが、遊戯人生、人生遊戯、どちらにしろ遊び心は大事ですね (笑)

しかし、すごい偶然ですが、ただいま読んでいる本(地図のファンタジア、尾崎幸雄)にも「醍醐」の語源が出ています。牛乳がヨーグルト、バターを経て、最後はチーズ(醍醐)に至る過程ですね。

_ why ― 2009-04-29 18:31:55

語呂合わせの翻訳って、本当に訳者泣かせですね。でも無責任な言い方になりますが、なんだか面白そう。
NHKの教育チャンネルは週に何度かアメリカのホームコメディーを放送しているようですが、昔はいつも楽しみに観ていました。翻訳は唸るほど上手いですよね。ツボをしっかり押さえていて、あれはちょっとやそっとではできないワザです。

_ why ― 2009-04-29 18:45:49

上のコメントで気づきましたが、そういえば、うちの田舎では牛乳のことを、「SU」と呼ぶことがあります。「酥」と同じ発音ですが、偶然なのかしら。
地方の言葉には、意外と古い言葉が残っていたりするんですよね。死語の標本のようなものに時々出会うこともあります。
またまた故郷の言葉を引き合いに出してしまいますが、「取灯児」という言葉があります。北京土語辞典には収録されていますが、もう使う人はほとんどいないでしょうね。うちの祖父はずっと使っていました。
マッチのことです。

_ why ― 2009-04-29 23:17:45

なんだか寝ぼけてしまったせいか、ピントはずれのコメントをしてしまいましたね。読み返すと我ながらちょっぴり恥ずかしい。
大変失礼しました。
お昼寝はほどほどにしなくては。トホホ。

_ T.Fujimoto ― 2009-05-01 00:30:34

whyさん、なるほど訳者泣かせであると同時に、上手い訳者の腕の見せ所でもあるわけですね。
アメリカのホームコメディーは、台湾にいた頃はそれなりに見ていました。唸るほど上手いかどうか、残念ながらこちらも原語がわからないから判断できなかったのです。

_ T.Fujimoto ― 2009-05-01 01:11:03

whyさん、牛乳のことを「SU」と呼ぶことがあるのですか?
クーミスの「ス」とは関係ありますか?
いや、こちらはアルコール成分を含む発酵乳を指すことが多いらしいので違うのかな?英語の「sour」も「酸っぱくなる」という意味ですし、フランス語でもパン、スープの酸っぱくなったものを、surirの過去分詞を使ってle pain suri, la soupe surieと言うらしいです (「フランスことば事典」)。日本語の「酢」の語源は、口に入れたときのスっとする感じだと言われていますが、どうなんですかね...

_ T.Fujimoto ― 2009-05-01 01:29:54

あ、ピントはずれのコメント、すみませんでした (^^;)

でも確かに地方の言葉には古い使い方が残っていたり、逆に新しい言葉の源になったりもしますね。

例えば、「とても」は元々否定を伴う文でしか使われなかったのですが、「とても安い」など肯定文で使うのは、明治の終わりころ、旧制一高の生徒たちがアルプス登山に出かけた際、長野県の方言から持ち込んだそうです。(「ことばの海を行く」)
「超楽しい」、「超疲れた」といった、近年になって流行ってきた「超」の表現は、井上史雄教授によると、元々静岡県内で使われていた方言が、神奈川県を経て東京に入ったとか。(「日本語ウォッチング」)
言語地理学、あるいは人文地理学というか、おもしろいですよね。

_ 花うさぎ ― 2009-05-01 09:12:45

>地方の言葉には古い使い方が残って

それで思い出すのは、関西の人が使う「よう××せん」というような言い方ですね。可能を示す「能く(よく)」という言葉が残っているのですね。
他にもいろいろありそうですね。

_ T.Fujimoto ― 2009-05-02 08:53:23

花うさぎさん、なるほど、「よう××せん」という使い方は意外に古風なんですね。
本籍は関西だったが、これはようわかりませんでしたわ ...

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