ジュール・ヴェルヌの小説に陶淵明の詩2008-10-12 05:31:00

 小学校の前期日程が終わり、子供が持って帰ってきた連絡票に、「読書タイムでは、ものすごい厚い本を黙々と読み、友達からすごいねと感心されています。」という、先生のお言葉が載っています。

 厚い本とは、きっと、図書館のリユース・コーナーで拾ってきたジュール・ヴェルヌです。子供は夢中になり、「十五少年漂流記」、「八十日間世界一周」を読み終え、いま「海底二万里」も第2部の途中まで行っているようです。


 Wikipediaによれば、ヴェルヌの日本への紹介は、1878年、川島忠之助が「八十日間世界一周」の前編を翻訳刊行したのが最初だそうです。また、これは日本における最初のフランス語原典からの翻訳書だとも書かれています。
 「さらに1896年、森田思軒が英訳からの重訳であったが『二年間の休暇』を翻訳して「十五少年」という標題で雑誌『少年世界』に連載し、単行書として刊行した。」とあとに続きました。
 英訳本からの重訳であれば、1884年に太平三次が「海底旅行」(「五大洲中海底旅行」と題し)、1885年に三木愛花と高須治助が「地底旅行」(「拍案驚奇 地底旅行」と題し)、1886年井上勤が「月界旅行」(「九十七時二十分間 月世界旅行」と題し)など、それぞれ先鞭をつけていたはずです。
 まあ、森田思軒が「鉄世界」、「秘密使者」に続いて紹介した「十五少年」が流行り、多くの読者を獲得したのは確かだったようです。

 その森田思軒の日本語版「十五少年」を、あの梁啓超が「十五小豪傑」のタイトルで中国語に訳し、1902年に自ら主催した「新民叢報」で連載していました。
 フランス語(原文)→英語→日本語→中国語と、伝言ゲームのように訳されたわけですが、梁啓超は「訳後語」で、「この訳書をジュール・ヴェルヌに読ませても、本来の価値を減じたとは思わないだろう」と書き、いささか無謀ではないかとこっちが思うほどの自信を見せていました。


 フランス語(原文)→英語→日本語→中国語という翻訳ルートは、その時代では普通だったようです。
 日本でもよく知られている魯迅も、二十代前半、周樹人という本名で、「月界旅行」と「地底旅行」を日本語版から中国語に訳したそうです。

 それもかなり自由な意訳だったようです。
 文体は文言で、伝統的な「章回小説」のスタイルを採用し、終わりのところで「欲知後事、請聴下回分解」というように結ぶだけでなく、毎回にそれらしい章題を付けています。
 例えば、「月界旅行」全14回の第一回は「悲太平會員懷舊 破寥寂社長貽書」、第二回は「搜新地奇想驚天 登演壇雄譚震俗」、第三回は「巴比堪列炬遊諸市觀象臺寄簡論天文」......という具合です。

 凄いことに、その第一回の本文中にも、
 「精衛銜微木、將以填滄海、刑天舞干戚、猛志固常在」という陶淵明の詩が出てきます。

 戦争で五体満足ならぬ重傷を負いながらも雄心いまだ死せざる大砲クラブの会員を讃えるため、魯迅が勝手に挿入したわけです。
 井上勤の日本語訳版にはなく、英語訳版にはなく、ヴェルヌの原作にもあるわけがないです。

 ジュール・ヴェルヌに読ませて、本来の価値が減ったと思うかどうか、誰にもわからないでしょう。

コメント

_ 月の光 ― 2008-10-12 08:57:35

海底2万マイルは読んだ記憶がありますが、フランスの作品だったんですね。だからナディアの第一話はパリから始まっていたのかな?
最近、同一作者の異訳者文を読んで、その作者の人格が全然違う事にショックを受けたばかりです。冷静に考えれば、違う文化、違う時代を乗り越えて翻訳する作業自体、翻訳ではなく再編集なんですよね。

_ 小象 ― 2008-10-12 13:21:54

ジュール・ヴェルヌというと「八十日間世界一周」を読んだことがあります。
ジュール・ヴェルヌを読める小学生なんて尊敬してしまいます。自分の場合は漫画、参考書がほとんどでした。

_ 小象 ― 2008-10-12 13:23:02

ジュール・ヴェルヌというと「八十日間世界一周」を読んだことがあります。
ジュール・ヴェルヌを読める小学生なんて尊敬してしまいます。自分の場合は漫画、参考書がほとんどでした。

_ why ― 2008-10-12 23:59:12

梁啓超は翻訳もしていたとは知りませんでした。ついでに調べてみたら、横浜の山手にある中華学校もそもそも梁啓超の呼びかけで開校されたとか。
私は梁啓超より、その息子である建築学者の梁思成氏に興味があって、いろいろ読みあさったことがあります。堅実で温厚な性格の人だったらしいです。夫人林徽因は建築学者であり、詩人でもあった才媛で、美しい人でした。当時の中国では考えられないようなオープンな夫婦関係は今でもエピソードとして残っています。

_ T.Fujimoto ― 2008-10-13 03:13:52

月の光さん、そうです。作者のジュール・ヴェルヌはフランス人です。
ところが、1902年中国の「新小説」に「泰西最新科学小説・海底旅行」と題して連載されたとき、原著者は英国の「蕭魯士」と書かれ、さらに「新民叢報」17号の広告では「法國的欧露士著」となってしまいました。
主人公で語り手のアロナックスが、作者になってしまったようです。

いいかげん、もしくはよく言えば、大らかな時代でしたね。

_ T.Fujimoto ― 2008-10-13 03:20:25

小象くん、足はもう全快ですか?勉学にスポーツに趣味、流麗な文章も含めて、いつも感心しています。
ちなみに僕も最後まで読んだヴェルヌは「八十日間世界一周」だけで、いまのところ、小学校二年生の子供に負けている状態です。

_ 花うさぎ ― 2008-10-13 09:14:17

私はヴェルヌの中で読んだのは、「十五少年漂流記」だけです。確かに小学生の時に読みました。その後、抄訳ではないものが、「二年間の休暇」という題名になって出版されたときにそれも読みました。

小学生時代には、そういうものの他に、デュマだとか、ディッケンズだとかも大抵読みましたが、それは私が優秀だったからではなくて、そのころには子供向けのそういう読み物が普通の田舎の書店にもたくさん普通に置いてあったからではないかと思います。

最近、子供に本を買ってやろうとしても、書店の子供向けの書棚から、そういう本はほとんど姿を消して、「ハリーポッター」だとか、「西の国の魔女」だとか、「ずっこけ三人組」だとか、ばかりになりました。

なので、うちでは子供にはAMAZONで本を買ってやるようにしています。

_ T.Fujimoto ― 2008-10-13 09:47:05

whyさん、梁啓超は実に様々なことにチャンレンジした行動派らしく、翻訳もその一環だったのでしょう。
徳富蘆花が訳したカミーユ・フラマリオンの「世界の末日」も、飲氷室主人は中国語に重訳して、「世界末日記」の題で出したようです。(1902年)

林徽因というと、徐志摩の伝記かなにかで出てくるのを覚えています。結局、徐志摩と林徽因は結ばれず、陸小曼と再婚したのですが、検索したみたら、そのときの「證婚人」が梁啓超だったようです。

_ T.Fujimoto ― 2008-10-13 09:58:41

花うさぎさん、「十五少年」は日本で最初に出た森田思軒の訳に付けられたタイトルですね。その元の英訳本もそうだったかどうかわかりませんが、ジュール・ヴェルヌの原作では「deux ans de bacances」、つまり「二年間の休暇」が本来の題名でしたね。

最近ではヴェルヌやデュマとか、普通の本屋では売っていないですか?近所の本屋が閉まって、新刊書店はご無沙汰になってしまいました。
さすがに図書館に行くとありますが、それも確かに古そうなのが多いかも知れません。

_ xing ― 2008-10-13 21:24:26

「地底探検」はヴェルヌではないんですね?誰の作品だろう?
徐志摩・林徽因・張幼儀・陸小曼の人間関係を描いた「人間四月天」のドラマにすっかりハマって涙ボロボロでした。

_ xing ― 2008-10-13 21:26:04

アッ、これもヴェルヌだった。

_ T.Fujimoto ― 2008-10-14 00:11:08

xingさん、「人間四月天」はそうすると、この人間関係図から見て、徐志摩を中心に描いたドラマなのでしょうか?
一世を風靡した詩人、その生涯は幸せだったのでしょうかな...

_ 秋葉ゑこう ― 2008-11-24 02:04:33

陶淵明をググっていてたどり着きました(笑)
「ジュール・ヴェルヌの小説に陶淵明…」ちょっと興味があって開きましたが、中文版への魯迅の挿入ですか面白いですね。
「十五少年」は、小学生の頃の愛読書でした(笑)「ロビンソンクルーソ」「スイスのロビンソン」漂流サバイバルものを好んで読んでいたことを思い出しました。ありがとう…

_ T.Fujimoto ― 2008-11-24 14:33:07

秋葉ゑこう様、はじめまして。
陶淵明を検索してこの僻地に辿り着くとは、さぞ落胆されたのでしょう。紛らわしいタイトルですみません。
ところで「スイスのロビンソン」はなんでしょうか?聞いたことがあるような気もしますが...

_ 秋葉ゑこう ― 2008-12-02 08:57:43

こんにちは。亀レスかもしれませんね。陶淵明の話は興味深かったです。がっかりなどはしておりません。
「スイスのロビンソン」は、昔の講談社の「少年少女世界文学全集」に入っていた、もしかすると「家族ロビンソン」という邦題の小説です。スイス人の牧師と家族が、移住するために乗った船が嵐で沈没して小島に流れ着いて、サバイバル生活をするという内容で、旧いアメリカのTV番組「宇宙家族ロビンソン」の元ネタだったと思います。ではまたの機会に…

_ T.Fujimoto ― 2008-12-05 23:55:35

秋葉ゑこうさん、フォローして頂き、ありがとうございます。
Googleしてみたら、いろいろな情報が出てきました。「スイスのロビンソン」は下敷きにしていた「ロビンソンクルーソ」に負けないぐらいの名作でしたね。

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