The Age of Empires II からスペイン人の獣(その2)2006-11-23 11:19:37

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 その1(http://tbbird.asablo.jp/blog/2006/11/23/965689)からの続きですが、AOE II拡張パックのタイトル「The Conquerors」は、通常ヘルナン・コルテス率いるスペイン軍を指しますが、コルテスの時代ではまだConquerorsを名乗っていなかったようです。

 写真は、手元にある「The ENCYCLOPEDIA of the HORSE」(Dorling Kindersley出版)という本に出ているConquerorsのページです。

 記録によると、コルテス軍の内訳は600のスペイン人、250のインディアン人、そして16頭の馬となっています。この程度の人数でアステカ帝国を崩壊させたのは、もちろん圧倒的な火力によるところが大きいが、馬たちの貢献も大きかったと言われています。
 その時代のアメリカ大陸には馬がいなかったそうで、初めて馬を見た原住民たちには恐ろしい何かに見えたのでしょう。コルテスの話として、「Next to God, we owed the victory to the horse.」というのが残されています(むろん元から英語とは思えませんが)。
 それぐらい、彼たちの貢献は大きかった、という話です。


 最初の16頭の馬については、すべて記録に残っています。それは11頭の牡馬と 5頭の牝馬、そのなかにコルテス本人が騎乗していたEl Morzillo号も含まれていました。
 写真のページによると、El Morzilloとは"The Black One"の意味らしいです。

 1524年、コルテスはEl Morzilloを騎乗して、Hondurasまで遠征していました。道中は深い森と悪路で、ついにEl Morzilloが足にけがをし、前に進めなくなりました。コルテスは仕方なく、馬を原住民たちに託し、そして再会を約束しました。

 けがをしたEl Morzilloは原住民のところに預かられました。インディアンたちは、白人と、そしてこの奇妙な動物を懼れ、できうる限りのもてなしをしました。伝えによると、彼は馬を華麗な宮殿に置き、選びすぐれた果物とチキン(^^;) を供えたらしい。El Morzilloはしかしこの敬意と食べ物を感謝することはなく、やがて死んでしまいました。

 迷信な原住民は果報を恐れ、結局単純な発想により、El Morzilloの像を作りました。湖の中にそれを置き、雷と閃光の神Tziunchanとみなして祭っていたそうです。
 ここで、馬と雷の神との結びつきは個人的に興味深いものがあります。この結びつきはなぜか世界中で見受けられて、ことにインド=ヨーロッパ語系を中心にとしてしばしば報告されています。
 恐らく馬の蹄音が雷鳴に連想されているためでしょう。


 実は思わむ形で、El Morzilloの話に後日談がついています。

 手持ちの「馬と人の文化史」(J・クラットン・ブロック著、東洋書房)にも、簡単ながら、同じ話が載っています。

 1697年、スペインから来た伝教士たちが奥地の湖で、原住民の人々が崇拝しているTziunchanという神像を発見しました。
 神の栄光に対する熱い熱意に満ちた伝教士たちは、この異教的な偶像崇拝には容赦しませんでした。
 「岩を掴んで、その像をこなごなにした」だと。

 彼らは自分がつぶしたのは先人たちのコンクェストを成功させた、勇気ある馬たちの魂だとは、夢にも思わなかったのでしょう。

コメント

_ chococo ― 2006-11-24 22:19:18

T.fujimotoさんはじめまして、紅楼夢ブログのchococoと申します。ご来訪ありがとうございました。ブログのコメントの返事が遅れて申し訳ないです。。
(上の記事と関係のない話で恐縮です。。。)葬花のエピソードは物語に出てきますが、林黛玉がその時に読んだ詩だけをピックアップした記事を「紅楼詩詞」の書庫に出してあります。
物語もご紹介しようと思っているのですが、忙しくてなかなか進まないのが現状です(^^;)コメントをいただきどうもありがとうございました☆

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