The Age of Empires II からスペイン人の獣(その1)2006-11-23 10:12:36

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 すべてのPCゲーム、テレビゲームを含めても、一番多くの時間を費やしていたのは、恐らくThe Age of Empires II (The Age of Kings)とその拡張パック(The Conquerors Expansion)です。
 一時期(と言っても2,3年間も渡って)、会社の昼休み時間も、このゲームの部内オンライン対戦で盛り上がっていました。

 きっかけは僕が最初手に入れた、The Conquerors Expansionの英文体験版。たぶん2000年の10月頃です。
 製品版も買おうとしていたら、日本語版はまだ発売されていなかったので、まずそのベースであるThe Age of Kingsだけ購入しました。結局は、しばらくそのバージョンで遊んでいたので、The Conquerorsに乗り換えたのは、それから1年以上も経った後だったと思います。
 戦い方で、本人としては領主ラッシュが好きですが、実は比較的に得意なのは内政のようで、攻め自体はかなり雑です。リプレイを見ると、かなり無駄死が多いです。仲間内ではそれでも戦えますが、Chocoa経由でその筋のゲーマーと対戦すると、大体やられてしまいます。

 で、もちろん対COM戦も含むノーマルゲームが中心ですが、キャンペーンモードも多少やりました。
 特に、最初にやった体験版は、The Conquerorsの新文明であるマヤとアステカを紹介していた関係もあり、モクテスマキャンペーンが気になっていました。


 モクテスマキャンペーンでは、アステカ帝国の国王モクテスマII世に仕える司令官になって、部族間の不和を平定し、ヘルナン・コルテス率いるスペイン軍を倒すことが目標です。

 いうまでもなく、史実通りだとこの使命は成功せず、コルテスはごく小人数の軍隊を率いていただけにもかかわらず、なんとわずか2年間、広大なアステカ帝国は完全に滅ぼされました。

 アステカ各部族間のいざこざが背景にあったが、それに加えて、理由のひとつとして語られているのは、「9の風の日」にやや白い肌に黒い服をまとった神ケツァルコアトルが東の海より現る、というアステカ古来の伝承があったことも、大きくアステカ人の戦闘意欲を影響していました。
 それと、もう1つ、スペイン人の獣として、ゲームのなかでも登場している「馬」が、見たことのない原住民を、ひどく怖がらせたようです。

 以下、その2(http://tbbird.asablo.jp/blog/2006/11/23/965722)に続きます。

The Age of Empires II からスペイン人の獣(その2)2006-11-23 11:19:37

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 その1(http://tbbird.asablo.jp/blog/2006/11/23/965689)からの続きですが、AOE II拡張パックのタイトル「The Conquerors」は、通常ヘルナン・コルテス率いるスペイン軍を指しますが、コルテスの時代ではまだConquerorsを名乗っていなかったようです。

 写真は、手元にある「The ENCYCLOPEDIA of the HORSE」(Dorling Kindersley出版)という本に出ているConquerorsのページです。

 記録によると、コルテス軍の内訳は600のスペイン人、250のインディアン人、そして16頭の馬となっています。この程度の人数でアステカ帝国を崩壊させたのは、もちろん圧倒的な火力によるところが大きいが、馬たちの貢献も大きかったと言われています。
 その時代のアメリカ大陸には馬がいなかったそうで、初めて馬を見た原住民たちには恐ろしい何かに見えたのでしょう。コルテスの話として、「Next to God, we owed the victory to the horse.」というのが残されています(むろん元から英語とは思えませんが)。
 それぐらい、彼たちの貢献は大きかった、という話です。


 最初の16頭の馬については、すべて記録に残っています。それは11頭の牡馬と 5頭の牝馬、そのなかにコルテス本人が騎乗していたEl Morzillo号も含まれていました。
 写真のページによると、El Morzilloとは"The Black One"の意味らしいです。

 1524年、コルテスはEl Morzilloを騎乗して、Hondurasまで遠征していました。道中は深い森と悪路で、ついにEl Morzilloが足にけがをし、前に進めなくなりました。コルテスは仕方なく、馬を原住民たちに託し、そして再会を約束しました。

 けがをしたEl Morzilloは原住民のところに預かられました。インディアンたちは、白人と、そしてこの奇妙な動物を懼れ、できうる限りのもてなしをしました。伝えによると、彼は馬を華麗な宮殿に置き、選びすぐれた果物とチキン(^^;) を供えたらしい。El Morzilloはしかしこの敬意と食べ物を感謝することはなく、やがて死んでしまいました。

 迷信な原住民は果報を恐れ、結局単純な発想により、El Morzilloの像を作りました。湖の中にそれを置き、雷と閃光の神Tziunchanとみなして祭っていたそうです。
 ここで、馬と雷の神との結びつきは個人的に興味深いものがあります。この結びつきはなぜか世界中で見受けられて、ことにインド=ヨーロッパ語系を中心にとしてしばしば報告されています。
 恐らく馬の蹄音が雷鳴に連想されているためでしょう。


 実は思わむ形で、El Morzilloの話に後日談がついています。

 手持ちの「馬と人の文化史」(J・クラットン・ブロック著、東洋書房)にも、簡単ながら、同じ話が載っています。

 1697年、スペインから来た伝教士たちが奥地の湖で、原住民の人々が崇拝しているTziunchanという神像を発見しました。
 神の栄光に対する熱い熱意に満ちた伝教士たちは、この異教的な偶像崇拝には容赦しませんでした。
 「岩を掴んで、その像をこなごなにした」だと。

 彼らは自分がつぶしたのは先人たちのコンクェストを成功させた、勇気ある馬たちの魂だとは、夢にも思わなかったのでしょう。