【蔵書自慢】金庸作品集2006-09-20 22:41:58

金庸作品の一部(中国繁体字版)
 初めて金庸の武侠小説を読んだのは、4半世紀以上も前、まだ台湾の小学校に通っていた、3年生か4年生だった頃です。政治的な要素により、台湾では禁書になっていた金庸作品が、ようやく解禁になって、家で取っていた新聞(中国時報)が「倚天屠龍記」の連載し始めた時代です。

 その頃、新聞での連載小説はほとんど読んでいましたが、「倚天屠龍記」にそれまでになかった衝撃を受け、僕はたちまち小さな金庸信者となりました。それから暫く、新聞が来るのを毎朝、首長く待っていた日々が続きました。
 ある日、小さな信者はある衝撃的な事実を知りました。台湾の新聞では作品解禁に合わせて、金庸の最新作品を連載し始めたのですが、香港などではその「倚天屠龍記」はすでに連載が完了し、台湾でもようやく単行本が出版されたとのことです。
 大人の小説を買う年令ではなかったが、さすがに毎日新聞を待つのがばかばかしくなり、結局、とりあえず親の会社の人から借りることができました。
 「倚天屠龍記」だけではなく、そのあと、「射鵰英雄傳」の一部も借りたと思います。(いや、当時借りていたものは、確かに「大漠英雄傳」というタイトルだったと思います。)

 知人から借りる以外、第2の入手ルートを開拓したのは小学校高学年になってからだと思います。
 その第2のルートというのは、「貸本屋」でした。

 子供の足で5、6分ぐらいの近所に、小さな貸本屋がありまして、学生証を質に、せっせと武侠小説や漫画を借りて帰って読むか、親の目を憚れ、そのまま店の椅子に座って読んでいました。
 あやふやとなった記憶を辿ると、当時の台北の貸本屋の「品」は、日本漫画の中国語訳海賊版が半分ぐらいで、あとは武侠小説が3割、瓊瑤作品をメインとする愛情小説が2割ぐらいだった、かと思います。
 貸本屋で金庸作品の大部分を読みました。発禁され、台湾で出版できなかった時代、友人の小説家の名を借りて出された作品も含まれていました。「射鵰前傳」という、王重陽のことを書いた、その後の金庸作品全集では見当たらず、はたして本人の作かどうかもわからないものも、確かに読んだはずです。
 この時代、古龍、司馬翎などの作品も読みましたが、武侠小説なら、やはり金庸が一番だと思いました。

 不思議なことに、武侠小説は一冊も買ったことはなかったです。
 というか、父も母もあまり本は読まず、当時の家には本なんぞほとんど置いていなかったと記憶しています。僕も、わずかな例外を除き、教科書以外の本を買うようになったのはだいぶ後、少なくとも中学生になってからじゃないかと思います。

 写真の金庸本は、日本に戻って大学を卒業してから、改めて買い始めたものです。台湾に行ったときに購入したものもあれば、神田の中国図書店で買ったものもあります。
 たぶん、ほとんど少年時代に読んだ作品を再読する、というな感じですが、ハラハラ、ドキドキの気分は変わりませんでした。

 いま、金庸作品はほとんど武侠小説の経典となって、ノーベル文学賞を、という声まで聞こえています。が、思うに、武侠小説は武侠小説であり、伝奇、冒険活劇として捉えるのが正しい読み方です。少年の心を失って、学究的な論評、文学的な詮索をしすぎると、却ってその価値を理解できなくなるのではないでしょうか。

【蔵書自慢】The Grand History of The Prix de I'Arc de Triomphe (1)2006-09-23 16:17:00

The Grand History of The Prix de I'Arc de Triompheの外観
 ディープインパクトの凱旋門賞挑戦まであと1週間と迫った。
 例年に比べてもメンバーがそろっているし、普通に考えると休み明けで初海外レースがかの凱旋門賞になるのは厳しいですが、僕が競馬を見てきた19年間、数々な名馬のなかでもディープインパクトは一番多くの驚きを与えてくれた馬です。新たな驚きが訪れるを楽しみに、いまからドキドキしています。


 1920年から1997年の凱旋門史を書いた「The Grand History of The Prix de I'Arc de Triomphe」は、1997年英国のGenesis Publications Ltd.から出版された書物です。当時、「Pace Maker」という英国の競馬月刊誌を定期購読していて、雑誌の広告で見て予約したものだと記憶しています。

 とにかく、これは極上の美しい書物です。
 背と角を革装、表紙の部分をボード(厚板紙)装としたクォーター・バイディング風の装幀、さらにボードでできたスリップケースが付き、伝統ある欧州手製革装本の風格を漂わせています。本文はセピア色のモノクロページがメインで、カラーセクションのページも2カ所に分かれて配置しています。
 Normal Edtionは限定2000冊の出版で、すべて作者Authur Fitzgerald氏と紹介文を書いたフランスのMonsieur Jean Romanet氏の肉筆サインが入り、そしてシリアル番号が振られています(僕が持っているのは、No. 461です)。

 Normal Edtionのほかに、さらに Champions' Copies と称するフル革装本も作られていました。シリアル番号20~97が青い革、1920~1997が赤い革で装幀され、Champions' Copiesの表紙は1920年から1997年各年の凱旋門賞馬の馬名が22K金で印字されています。(そのため、凱旋門賞が中止になった年のシリアル番号39,40,1939,1940は抜けている作りです)

 このChampions' Copies はやはり魅力的ではありますが、少々値が張り、告知が来たのはNomal Edtionを購入した後だったし、入手するのは断念しました。

【蔵書自慢】The Grand History of The Prix de I'Arc de Triomphe (2)2006-09-26 00:13:39

The Grand History of The Prix de I'Arc de Triompheの1ページ
 1259年、聖ルイ王の妹イザベル・ド・フランスが、ブローニュの森のセーヌ河畔側、伐採後長らく放置されていた細長い(ロン)草地(シャン)と呼ばれていた土地に修道院を創設しました。

 ところが、敬虔な一生を送った創設者とは裏腹に、アンリ4世が修道女の一人を愛人にするなど、のちこの修道院は風紀上の問題が絶えなかったようです。特に1727年、オペラ座の歌姫マドモアゼル・ル・モールが修道院に身を引いたとき、この修道院の歌ミサの評判が立ち、オペラ座の合唱団まで応援に来た、復活祭前のテネブレの3日間のミサ行列は、パリの上流社会で大流行していました。貴族たちの馬車と見物人で、ジャンゼリゼ大道りからロンシャンまで数キロの道を埋め尽くした、と言われています。
 大革命時、修道院は取り壊されて、風車小屋1つだけが取り残されましたが、ほとぼりがさめる1797年頃には、ロンシャンへのパレードが社交行事として再び盛大になり、19世紀の中頃まで続いたそうです。


 フランスでは、ルイ14世時代から競馬が開催されましたが、ロンシャン競馬場ができたのは1857年です。パリから60キロ離れたシャンティーより近い土地を捜していた馬種改良促進協会が、白羽の矢を立てたのは、ロンシャンの修道院跡の広い空き地でした。
 ここでは1863年にパリ大賞典が創設され、そして、1920年にはついいまなお欧州最高のレースと言われている凱旋門賞が、開始しました。

 凱旋門賞は例の有名な風車小屋の前からスタートします。
 むかしもらった凱旋門賞史のビデオを見ても、テレビ中継も必ずと言ってもいいほど、風車小屋の姿をカメラの視野に入れ、スタートすると馬群はしばらくその陰に入って見えなくなります。大昔スーファミでウィーングポストかなんかのゲームで、凱旋門賞に挑戦したときに風車小屋の絵が出たときも感激しました。

 13世紀に創設された修道院、そして18世紀末からしばらく続いた「ロンシャン参り」の唯一の名残が、この風車小屋です。


 さて、「The Grand History of The Prix de I'Arc de Triomphe」は、Comradeが勝利を獲得した第1回1920年のレースから、Peintre Celebreが素晴らしい圧勝を収めたを1997年のレースまで、各年の凱旋門賞の出走馬、レースぶりについて、詳しく記述しています。文章をすべてを読み通すとなると大変ですが、暇なときに適当にページをめぐって、斜め読みするだけでも意外とおもしろいです。
 また、勝ち馬の5代血統表と、全出走馬の馬名、オーナー、騎手、父馬/母馬が付き、データとして素晴らしい価値があると思います。

 それと、貴重な写真も数多く含まれています。例えば、ミルリーフの年の凱旋門賞デーの競馬新聞や、1943年戦争のダメージを受けたままの状態の、例の風車小屋の写真とか。

ディープインパクトの単勝に1万6000ポンド2006-09-29 17:07:40

 英語がまったくしゃべれない日本人と見られる方が、ブックメーカーを相手に、凱旋門賞でのディープインパクトに16,000ポンド(約350万円)を賭けたそうです。
 単勝の倍率は4倍、確かにディープは日本で走る限る、とても望めそうにないオッズですが。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20060929k0000e050027000c.html

 タイキシャトルがフランスに遠征したときも、しこたま単勝馬券を買った日本がいたらしいですが、それにしてもあるところはありますね、お金が。