【蔵書自慢】The Grand History of The Prix de I'Arc de Triomphe (2)2006-09-26 00:13:39

The Grand History of The Prix de I'Arc de Triompheの1ページ
 1259年、聖ルイ王の妹イザベル・ド・フランスが、ブローニュの森のセーヌ河畔側、伐採後長らく放置されていた細長い(ロン)草地(シャン)と呼ばれていた土地に修道院を創設しました。

 ところが、敬虔な一生を送った創設者とは裏腹に、アンリ4世が修道女の一人を愛人にするなど、のちこの修道院は風紀上の問題が絶えなかったようです。特に1727年、オペラ座の歌姫マドモアゼル・ル・モールが修道院に身を引いたとき、この修道院の歌ミサの評判が立ち、オペラ座の合唱団まで応援に来た、復活祭前のテネブレの3日間のミサ行列は、パリの上流社会で大流行していました。貴族たちの馬車と見物人で、ジャンゼリゼ大道りからロンシャンまで数キロの道を埋め尽くした、と言われています。
 大革命時、修道院は取り壊されて、風車小屋1つだけが取り残されましたが、ほとぼりがさめる1797年頃には、ロンシャンへのパレードが社交行事として再び盛大になり、19世紀の中頃まで続いたそうです。


 フランスでは、ルイ14世時代から競馬が開催されましたが、ロンシャン競馬場ができたのは1857年です。パリから60キロ離れたシャンティーより近い土地を捜していた馬種改良促進協会が、白羽の矢を立てたのは、ロンシャンの修道院跡の広い空き地でした。
 ここでは1863年にパリ大賞典が創設され、そして、1920年にはついいまなお欧州最高のレースと言われている凱旋門賞が、開始しました。

 凱旋門賞は例の有名な風車小屋の前からスタートします。
 むかしもらった凱旋門賞史のビデオを見ても、テレビ中継も必ずと言ってもいいほど、風車小屋の姿をカメラの視野に入れ、スタートすると馬群はしばらくその陰に入って見えなくなります。大昔スーファミでウィーングポストかなんかのゲームで、凱旋門賞に挑戦したときに風車小屋の絵が出たときも感激しました。

 13世紀に創設された修道院、そして18世紀末からしばらく続いた「ロンシャン参り」の唯一の名残が、この風車小屋です。


 さて、「The Grand History of The Prix de I'Arc de Triomphe」は、Comradeが勝利を獲得した第1回1920年のレースから、Peintre Celebreが素晴らしい圧勝を収めたを1997年のレースまで、各年の凱旋門賞の出走馬、レースぶりについて、詳しく記述しています。文章をすべてを読み通すとなると大変ですが、暇なときに適当にページをめぐって、斜め読みするだけでも意外とおもしろいです。
 また、勝ち馬の5代血統表と、全出走馬の馬名、オーナー、騎手、父馬/母馬が付き、データとして素晴らしい価値があると思います。

 それと、貴重な写真も数多く含まれています。例えば、ミルリーフの年の凱旋門賞デーの競馬新聞や、1943年戦争のダメージを受けたままの状態の、例の風車小屋の写真とか。