馬娘婚姻譚ほか ― 2014-07-27 10:44:02
.
「昔あるところに貧しき百姓あり。妻は無くて娘あり。又一匹の馬を養ふ。娘此馬を愛して夜になれば厩舎に行き寝ね、終に夫婦に成れり。」
「遠野物語」(柳田國男)でに出てくるこの怪談を、現代風にアレンジしたのが、最近読んだ、井上やすし著「新釈遠野物語」(新潮文庫)の中の一篇「冷やし馬」です。
馬がシロで、娘が青江、語り手である犬伏先生が、青江との縁談を村長に断った場面が面白くて、笑えます。
「青江とはなら結婚してもよいといまでも思っています。だけど青江には別に好きな男がいますよ。とうていまとりますまい。」
「青江に好きな男......?」
「正確に言えば、好きな牡です。」
「......」
「シロと青江は相思相愛なのですよ。」
村長は怒ったような顔になって、「犬伏先生もずいぶん手の込んだ断り方をなさる。」
と言い捨て、畳を蹴って出て行った。
「遠野物語」は、「ある夜、父はこのことを知り、て、そのつぎの日に娘には知らせず、馬を連れだし桑の木につり下げて殺したり。......(娘が)死したる馬の首にすがり泣きいたりしを、父はこれをにくみ斧を以て後より馬の首を切り落せしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇り去れり。」と続いていくので、とても笑い話では済みませんが。
これがオシラ様の成り立ちだそうです。
冒頭の写真は、ずいぶん昔に入手した書物ですが、「馬娘婚姻譚」(今野圓輔著、岩崎美術社)は、「オシラ祭文」を中心に整理した論文です。
この話もオシラ遊びの祭文も、もとは中国から伝わってきたものだと思われます。
上記の本も、「捜神記」、「太古蠶馬記」、「神女伝」の記述を併記していますが、馬皮蠶女、馬頭娘、どれも同工異曲です。(http://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%9A%95%E5%A5%B3)
なるほど、話の後半の、馬が死んで、馬皮が娘をさらって昇天し、やがて蚕となるくだりは、まさにオシラ祭文の筋と一致しています。ところが、中国の話の「父を連れ帰った者に嫁がせる」という話は日本側の伝承にないです。
代わりに、「遠野物語」もそうですが、オシラ祭文のどれも、娘が飼馬のあまり立派なのにほれ、お前が馬でなく人間だったら夫婦になろう、と言ったのをきっかけに、馬が娘に想いかけるようになったと語られています。
「蚤虱 馬の尿する 枕も」
松尾芭蕉の歌です。
昔、中部地方から東北地方にかけて、農家の馬屋は母屋の中の土間続きにあり、枕元に馬が小便する音で目が覚めるのであります。
馬屋のにおいも家に染み付いているでしょうし、人と馬の距離が近く、人馬同居は普通の田舎風景だったと思われます。
「それが朝夕の世話は、若い娘や嫁たちがあたるのである。やさしく愛ぐむ人たちの情は、物言わぬ馬にも通ずるのが自然であろう。」という奥州五戸で育った能田さんの文章が、ひとつのヒントになるかも知れません。
ちなみに、「人・他界・馬」(小島瓔礼編著、小嶋東京美術)に収録されている「魔の馬の足跡~中央アジアの宗教表象からユーラシアへ」に、古代インドの「リグ・ヴェーダ」の時代から行われていた牡馬の犠牲祭アシュヴァ・メーダ」の話が書かれています。犠牲の馬を殺したとき、祭主である王の第一妃が馬によりそい、祭官がその馬と妃を布で覆う儀式があるそうです。
この儀礼は、一歩移行すれば、女を馬の剥ぎ皮でくるむという形になり、また、それは天の岩屋の神話の、斑馬の皮を投げつけられた機織り女の姿でもある、と、この著者は説いています。
「昔あるところに貧しき百姓あり。妻は無くて娘あり。又一匹の馬を養ふ。娘此馬を愛して夜になれば厩舎に行き寝ね、終に夫婦に成れり。」
「遠野物語」(柳田國男)でに出てくるこの怪談を、現代風にアレンジしたのが、最近読んだ、井上やすし著「新釈遠野物語」(新潮文庫)の中の一篇「冷やし馬」です。
馬がシロで、娘が青江、語り手である犬伏先生が、青江との縁談を村長に断った場面が面白くて、笑えます。
「青江とはなら結婚してもよいといまでも思っています。だけど青江には別に好きな男がいますよ。とうていまとりますまい。」
「青江に好きな男......?」
「正確に言えば、好きな牡です。」
「......」
「シロと青江は相思相愛なのですよ。」
村長は怒ったような顔になって、「犬伏先生もずいぶん手の込んだ断り方をなさる。」
と言い捨て、畳を蹴って出て行った。
「遠野物語」は、「ある夜、父はこのことを知り、て、そのつぎの日に娘には知らせず、馬を連れだし桑の木につり下げて殺したり。......(娘が)死したる馬の首にすがり泣きいたりしを、父はこれをにくみ斧を以て後より馬の首を切り落せしに、たちまち娘はその首に乗りたるまま天に昇り去れり。」と続いていくので、とても笑い話では済みませんが。
これがオシラ様の成り立ちだそうです。
冒頭の写真は、ずいぶん昔に入手した書物ですが、「馬娘婚姻譚」(今野圓輔著、岩崎美術社)は、「オシラ祭文」を中心に整理した論文です。
この話もオシラ遊びの祭文も、もとは中国から伝わってきたものだと思われます。
上記の本も、「捜神記」、「太古蠶馬記」、「神女伝」の記述を併記していますが、馬皮蠶女、馬頭娘、どれも同工異曲です。(http://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%9A%95%E5%A5%B3)
なるほど、話の後半の、馬が死んで、馬皮が娘をさらって昇天し、やがて蚕となるくだりは、まさにオシラ祭文の筋と一致しています。ところが、中国の話の「父を連れ帰った者に嫁がせる」という話は日本側の伝承にないです。
代わりに、「遠野物語」もそうですが、オシラ祭文のどれも、娘が飼馬のあまり立派なのにほれ、お前が馬でなく人間だったら夫婦になろう、と言ったのをきっかけに、馬が娘に想いかけるようになったと語られています。
「蚤虱 馬の尿する 枕も」
松尾芭蕉の歌です。
昔、中部地方から東北地方にかけて、農家の馬屋は母屋の中の土間続きにあり、枕元に馬が小便する音で目が覚めるのであります。
馬屋のにおいも家に染み付いているでしょうし、人と馬の距離が近く、人馬同居は普通の田舎風景だったと思われます。
「それが朝夕の世話は、若い娘や嫁たちがあたるのである。やさしく愛ぐむ人たちの情は、物言わぬ馬にも通ずるのが自然であろう。」という奥州五戸で育った能田さんの文章が、ひとつのヒントになるかも知れません。
ちなみに、「人・他界・馬」(小島瓔礼編著、小嶋東京美術)に収録されている「魔の馬の足跡~中央アジアの宗教表象からユーラシアへ」に、古代インドの「リグ・ヴェーダ」の時代から行われていた牡馬の犠牲祭アシュヴァ・メーダ」の話が書かれています。犠牲の馬を殺したとき、祭主である王の第一妃が馬によりそい、祭官がその馬と妃を布で覆う儀式があるそうです。
この儀礼は、一歩移行すれば、女を馬の剥ぎ皮でくるむという形になり、また、それは天の岩屋の神話の、斑馬の皮を投げつけられた機織り女の姿でもある、と、この著者は説いています。
コメント
_ why ― 2015-11-03 23:21:21
_ T.Fujimoto ― 2015-11-07 14:22:28
whyさん、こんにちは。
「狼图腾」は知りませんでした。"图腾"はトーテムの中国語音訳ですよね?
ケビン・コスナーの"Dance with wolves"とは、また描く角度がきっと違うのでしょうね。
脱線してしまいますが、ライアル・ワトソンの描くアフリカでは、トーテムを「シボコ」を呼び、部族ごとに統一するそうです。「おまえは何を踊るのか」と聞かれて、「私はフクロウを踊る」という答えが返ってきたら、その人はフクロウをシボコとする共同体の出身者であることがわかるようです。
「狼图腾」は知りませんでした。"图腾"はトーテムの中国語音訳ですよね?
ケビン・コスナーの"Dance with wolves"とは、また描く角度がきっと違うのでしょうね。
脱線してしまいますが、ライアル・ワトソンの描くアフリカでは、トーテムを「シボコ」を呼び、部族ごとに統一するそうです。「おまえは何を踊るのか」と聞かれて、「私はフクロウを踊る」という答えが返ってきたら、その人はフクロウをシボコとする共同体の出身者であることがわかるようです。
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://tbbird.asablo.jp/blog/2014/07/27/7399566/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
この文章とあまり関係ありませんが、草原の過酷な環境で暮らす人々と馬や狼との関係を描いた内容です。
それにしても、馬頭娘、ちょっと感心できませんね。それよりはやはり『遠野物語』のほうが温かみがあって好きですね。