13勝13敗 ― 2008-12-02 00:09:02
鳥の王 ― 2008-12-06 00:33:09
何年か前に読んで、この題材を下敷きにして絵本を作ろうと考えたこともありました。
行動力のない僕などよりはるかに早く先鞭をつけた方がいたようです。
<http://tabbrowser.info/douwa.html>
最後に鳥の王が現れるところも含めて、僕としては多少イメージが違う部分もありますが、それはそれで、素敵な童話に書き替えられていますな。
行動力のない僕などよりはるかに早く先鞭をつけた方がいたようです。
<http://tabbrowser.info/douwa.html>
最後に鳥の王が現れるところも含めて、僕としては多少イメージが違う部分もありますが、それはそれで、素敵な童話に書き替えられていますな。
レンタルビデオ屋さんと貸本屋さん ― 2008-12-16 22:00:40
小学生の頃、家の最初のビデオはのちにほとんど絶滅になったβ(ベータ)デッキでした。
いまから30年以上も前、台湾にビデオなるものが入ってきたばかりで、台北市内でもレンタルビデオ店がほとんど見当たらない時代です。店が存在しないだけで、レンタルビデオ屋さんがちゃんといて、行商人のように、向こうからやってきていました。
家に上がってくるなり、黒いスーツケースを開けて、お客さん、どれがお好みですか。
水戸黄門や子連れ狼、土曜ワイド劇場に水曜サスペンス、演歌の花道と8時全員集合、全日本プロレスと新日本プロレス。日本の一週前のテレビ番組、それがコマーシャルも含めてそのまま録画されたという、とびきり新鮮な海賊版ビデオがずらり並んでいました。
1週間に1回ぐらいのペースでまわってきていたが、それ以外でも電話で呼べば都合は付けてくれます。顧客の好みに気を配ってくれる上、次回のリクエストもできるから、便利と言えば便利でした。
行商人タイプのレンタルビデオ屋さんは、しかし長くは続かず、しばらくするとレンタルビデオ店が町のあっちこっちに現れてきました。のちにケーブルテレビが解禁されて一気に勢いが萎えてしまったが、それまでは本当にたくさんの台湾人がレンタルビデオ店に日々通っていて、日本やアメリカや香港の番組を見ていたわけです。
中学生の頃、ほとんど僕がビデオを借りに行く係りなので、よく覚えていますが、初期のレンタルビデオ店では、まず客が入会金代わりに1000元で2本のビデオを買い取り、その後は1回で15元ほどで店にある新しいビデオと交換できる、そういう仕組みでした。
菓子パン1コが5元の時代でしたから、いま考えると、えらく高価なビデオカセットでした。
なぜこんな昔話を思い出したかというと、「お江戸でござる」(新潮文庫)を読むと、江戸時代の貸本屋とよく似ているのにびっくりしたからです。
江戸時代の貸本屋も、腰から頭まで本の束を背負って、顧客先に出向くのが基本であったようです。
お堅い実用書・教養書を除けば、草紙のような読み物はほとんど買うのではなく、江戸時代の人は貸本で読んでいました。
ヒーロー物、恋愛物、ミステリー。お客さん、今度こんな本が入りましたよ、といい場面をちらっと見せて、ネタバレにならない程度であらすじを聞かせるそうでした。
実は小学校の頃、僕も家の近くにあった貸本屋に通っていました。
置いてあるのは漫画、武侠小説、恋愛小説の類でしたが、店のなかで読むなら問題ないとして、家に持って帰るには保証金が必要でした。僕が通っていた店では代わりに「学生証」を預けてもよかったのですが、大事な学生証を預ける後ろめたさもあったが、子供時分の僕たちにとって保証金はちょっとした大金でした。
江戸時代では草紙類でも、1冊が現在のお金で1万5千円から2万円くらいはしたそうで、簡単には買えないわけです。が、ちょっと田舎に行くと、その1冊か2冊かをお客さんが買って、あとで貸本屋と交換するという、まさに僕がレンタルビデオ屋さんで経験したあのスタイルも、江戸の世にはできていたらしいです。
江戸で最大のベストセラー作家が柳亭種彦であり、13年間にかけて38巻も出した「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」は、それぞれの巻がすべて1万部を超えるベストセラーになっていました。「源氏物語」をベースにしたラブストーリーですが、1冊を何十人もまわして読んだ江戸時代の貸本文化を考えると、いまのミリオンセラー以上の勢いです。
連載中に「種彦先生が病気だ」という噂が広まると、続きが読めなくなるのではないかと心配して、著者の平癒を、江戸中の女性たちがいろいろな神仏に願掛けしたほどでした。
幕末近くでは、江戸市内だけで800軒ほどの貸本屋があって、合わせればと数十万人の読者がいたそうです。江戸市民の生活と密に関わるだけでなく、重要な文化伝達の担い手でもあったと言えましょう。
いまから30年以上も前、台湾にビデオなるものが入ってきたばかりで、台北市内でもレンタルビデオ店がほとんど見当たらない時代です。店が存在しないだけで、レンタルビデオ屋さんがちゃんといて、行商人のように、向こうからやってきていました。
家に上がってくるなり、黒いスーツケースを開けて、お客さん、どれがお好みですか。
水戸黄門や子連れ狼、土曜ワイド劇場に水曜サスペンス、演歌の花道と8時全員集合、全日本プロレスと新日本プロレス。日本の一週前のテレビ番組、それがコマーシャルも含めてそのまま録画されたという、とびきり新鮮な海賊版ビデオがずらり並んでいました。
1週間に1回ぐらいのペースでまわってきていたが、それ以外でも電話で呼べば都合は付けてくれます。顧客の好みに気を配ってくれる上、次回のリクエストもできるから、便利と言えば便利でした。
行商人タイプのレンタルビデオ屋さんは、しかし長くは続かず、しばらくするとレンタルビデオ店が町のあっちこっちに現れてきました。のちにケーブルテレビが解禁されて一気に勢いが萎えてしまったが、それまでは本当にたくさんの台湾人がレンタルビデオ店に日々通っていて、日本やアメリカや香港の番組を見ていたわけです。
中学生の頃、ほとんど僕がビデオを借りに行く係りなので、よく覚えていますが、初期のレンタルビデオ店では、まず客が入会金代わりに1000元で2本のビデオを買い取り、その後は1回で15元ほどで店にある新しいビデオと交換できる、そういう仕組みでした。
菓子パン1コが5元の時代でしたから、いま考えると、えらく高価なビデオカセットでした。
なぜこんな昔話を思い出したかというと、「お江戸でござる」(新潮文庫)を読むと、江戸時代の貸本屋とよく似ているのにびっくりしたからです。
江戸時代の貸本屋も、腰から頭まで本の束を背負って、顧客先に出向くのが基本であったようです。
お堅い実用書・教養書を除けば、草紙のような読み物はほとんど買うのではなく、江戸時代の人は貸本で読んでいました。
ヒーロー物、恋愛物、ミステリー。お客さん、今度こんな本が入りましたよ、といい場面をちらっと見せて、ネタバレにならない程度であらすじを聞かせるそうでした。
実は小学校の頃、僕も家の近くにあった貸本屋に通っていました。
置いてあるのは漫画、武侠小説、恋愛小説の類でしたが、店のなかで読むなら問題ないとして、家に持って帰るには保証金が必要でした。僕が通っていた店では代わりに「学生証」を預けてもよかったのですが、大事な学生証を預ける後ろめたさもあったが、子供時分の僕たちにとって保証金はちょっとした大金でした。
江戸時代では草紙類でも、1冊が現在のお金で1万5千円から2万円くらいはしたそうで、簡単には買えないわけです。が、ちょっと田舎に行くと、その1冊か2冊かをお客さんが買って、あとで貸本屋と交換するという、まさに僕がレンタルビデオ屋さんで経験したあのスタイルも、江戸の世にはできていたらしいです。
江戸で最大のベストセラー作家が柳亭種彦であり、13年間にかけて38巻も出した「偐紫田舎源氏(にせむらさきいなかげんじ)」は、それぞれの巻がすべて1万部を超えるベストセラーになっていました。「源氏物語」をベースにしたラブストーリーですが、1冊を何十人もまわして読んだ江戸時代の貸本文化を考えると、いまのミリオンセラー以上の勢いです。
連載中に「種彦先生が病気だ」という噂が広まると、続きが読めなくなるのではないかと心配して、著者の平癒を、江戸中の女性たちがいろいろな神仏に願掛けしたほどでした。
幕末近くでは、江戸市内だけで800軒ほどの貸本屋があって、合わせればと数十万人の読者がいたそうです。江戸市民の生活と密に関わるだけでなく、重要な文化伝達の担い手でもあったと言えましょう。
抽象的な学問は抽象的に学ぼう、でしょうか? ― 2008-12-20 09:30:00
数学の抽象的な概念や記号を、いきなり子供に理解させるのは容易ではありません。
割り算を教えるときにキャンディを兄弟たちに分け与えたり、分数を教えるときはリンゴやピザを切ったりします。具体例を用いて教えるのは当たり前のように思われてきました。
しかし、です。
ちょっと古い記事ですが、身近な具体例の利用は数学学習の助けにならない、と書かれたものを見かけました。
<http://health.nikkei.co.jp/hsn/hl.cfm?i=20080501hk000hk>
「学んだことを試すテストには文章題が優れた手段となるが、教えるための手段としては有用とはいえない」ともあります。
どうでしょうね。
具体例の助けを借りて失敗するのは、深い思索をせず、簡単にわかったように思い込んだ結果ではないかとも思えます。難しい概念を真に理解するためには、やはりそれなり苦労して模索、、咀嚼する必要があるのでしょう。
割り算を教えるときにキャンディを兄弟たちに分け与えたり、分数を教えるときはリンゴやピザを切ったりします。具体例を用いて教えるのは当たり前のように思われてきました。
しかし、です。
ちょっと古い記事ですが、身近な具体例の利用は数学学習の助けにならない、と書かれたものを見かけました。
<http://health.nikkei.co.jp/hsn/hl.cfm?i=20080501hk000hk>
「学んだことを試すテストには文章題が優れた手段となるが、教えるための手段としては有用とはいえない」ともあります。
どうでしょうね。
具体例の助けを借りて失敗するのは、深い思索をせず、簡単にわかったように思い込んだ結果ではないかとも思えます。難しい概念を真に理解するためには、やはりそれなり苦労して模索、、咀嚼する必要があるのでしょう。
遣唐使の国際結婚 ― 2008-12-22 23:09:43
先日、錢起の漢詩を写したところ(http://tbbird.asablo.jp/blog/2008/11/26/3976716)、whyさんよりコメントを頂き、中国に住み着いた遣唐使の方が現地の女性と結ばれ、国際結婚の歴史の始まりを作ったのかも、という話がありました。
ちょっと調べてみると、どうやら唐代、日本の留学生が中国の女性と結婚するのは、それほど珍しいケースではなかったようです。
第7次遣唐使の学問僧弁正は、唐の女性と結婚して朝慶・朝元という二人の男子をもうけ、朝慶は母親のそばに留まり、弟の朝元は少年の身ながら第8次遣唐使の帰国船に単身乗って来日していました。来日後、秦朝元と名乗って朝廷に仕え、さらに733年第9次遣唐使の判官として随行し渡唐していました。
第8次遣唐大使・藤原清河は唐の婦人と結婚して、66歳に一女を得て、喜娘と名付けられたこの娘は779年、宝亀の遣唐使とともに苦労して日本に帰り、父の故郷を訪ねたそうです。この話を題材にした梓沢要の小説「喜娘」は、なんかの歴史文学賞を取ったようです。
第8次遣唐副使、阿倍仲麻呂の従者として入唐した留学生羽栗吉麻呂も、やはり在唐中に翼と翔という双子を得ました。第9次遣唐使の帰国の際に、吉麻呂は二子を連れて帰国し、兄弟はその後朝廷に仕えたが、弟の翔は759年第11次遣唐使の録事として渡唐してそのまま唐土にとどまり、その後兄の翼も776年第14次遣唐使の准判官として40年ぶりに渡唐し、翌年9月に帰国したそうです。
このように、混血児たちは国際交流の先兵としても、ちゃんとその役割を果たしたのですね。
ちょっと調べてみると、どうやら唐代、日本の留学生が中国の女性と結婚するのは、それほど珍しいケースではなかったようです。
第7次遣唐使の学問僧弁正は、唐の女性と結婚して朝慶・朝元という二人の男子をもうけ、朝慶は母親のそばに留まり、弟の朝元は少年の身ながら第8次遣唐使の帰国船に単身乗って来日していました。来日後、秦朝元と名乗って朝廷に仕え、さらに733年第9次遣唐使の判官として随行し渡唐していました。
第8次遣唐大使・藤原清河は唐の婦人と結婚して、66歳に一女を得て、喜娘と名付けられたこの娘は779年、宝亀の遣唐使とともに苦労して日本に帰り、父の故郷を訪ねたそうです。この話を題材にした梓沢要の小説「喜娘」は、なんかの歴史文学賞を取ったようです。
第8次遣唐副使、阿倍仲麻呂の従者として入唐した留学生羽栗吉麻呂も、やはり在唐中に翼と翔という双子を得ました。第9次遣唐使の帰国の際に、吉麻呂は二子を連れて帰国し、兄弟はその後朝廷に仕えたが、弟の翔は759年第11次遣唐使の録事として渡唐してそのまま唐土にとどまり、その後兄の翼も776年第14次遣唐使の准判官として40年ぶりに渡唐し、翌年9月に帰国したそうです。
このように、混血児たちは国際交流の先兵としても、ちゃんとその役割を果たしたのですね。
お正月競馬 ― 2008-12-25 00:10:26
昨今の不況で、競馬ファンの財布がますます紐が固くなったか、JRAの売り上げがどうやら下がっています。
例年だと1月5日に恒例の金杯を開催して競馬初めとなりますが、来年は1月4日の日曜日にJRAプレミアム付きの中山金杯を行います。
一応は企業努力として評価できます。
とは言え、地方競馬は大晦日もお正月もやっているし、活気が高い香港競馬でさえ1月1日に11のレースを行うことが発表されています。地方競馬との絡みはあろうかと思いますが、比べてみるとJRAの改革はまだまだぬるいかも知れません。
例年だと1月5日に恒例の金杯を開催して競馬初めとなりますが、来年は1月4日の日曜日にJRAプレミアム付きの中山金杯を行います。
一応は企業努力として評価できます。
とは言え、地方競馬は大晦日もお正月もやっているし、活気が高い香港競馬でさえ1月1日に11のレースを行うことが発表されています。地方競馬との絡みはあろうかと思いますが、比べてみるとJRAの改革はまだまだぬるいかも知れません。
【レース予想】2008有馬記念 ― 2008-12-28 07:54:51
金に縁なき衆生にも年の瀬。
いくら競馬の神様に愛想を尽かされてはいても、年末最後の祭りには参加したいものです。
ウオッカとディープスカイ、天皇賞とJCを連戦した名優は、ひとまずお疲れさま。ここではJCをスキップしたダイワスカーレット、天皇賞を回避したマツリダゴッホ、メイショウサムソン、JCで突如彗星のごとく頭角を現したスクリーンヒーローがいます。
前売りの1番人気はダイワスカーレット。それもそうでしょう。その安定感は当代随一、どこにも付き入れる隙間がありゃしません。マツリダゴッホとも周知の通り中山の鬼、去年の連対馬2頭は、誰もが思うように、今年も最有力です。
ペースが速くなって前が崩れたときのドリームジャーニーとアルナスライン、このへんも付け加えたいところです。
◎ ダイワスカーレット
○ ドリームジャーニー
▲ マツリダゴッホ
△ アルナスライン
△ スクリーンヒーロー
いくら競馬の神様に愛想を尽かされてはいても、年末最後の祭りには参加したいものです。
ウオッカとディープスカイ、天皇賞とJCを連戦した名優は、ひとまずお疲れさま。ここではJCをスキップしたダイワスカーレット、天皇賞を回避したマツリダゴッホ、メイショウサムソン、JCで突如彗星のごとく頭角を現したスクリーンヒーローがいます。
前売りの1番人気はダイワスカーレット。それもそうでしょう。その安定感は当代随一、どこにも付き入れる隙間がありゃしません。マツリダゴッホとも周知の通り中山の鬼、去年の連対馬2頭は、誰もが思うように、今年も最有力です。
ペースが速くなって前が崩れたときのドリームジャーニーとアルナスライン、このへんも付け加えたいところです。
◎ ダイワスカーレット
○ ドリームジャーニー
▲ マツリダゴッホ
△ アルナスライン
△ スクリーンヒーロー
三宝 ― 2008-12-30 01:00:13
金庸の武侠小説で最初に読んだのは「倚天屠龍記」。新聞での連載を毎朝、楽しみにしていたのは、前にも書いた通りです(http://tbbird.asablo.jp/blog/2006/09/21/531978)。
図書館の開架に「倚天屠龍記」の日本語訳を見かけ、懐かしくてその第五巻を手に取りました。
一気に読み進んだが、明教教祖の主人公・張無忌が、囚われている謝遜を求めて少林寺を訪ねたところですが、
空聞と張無忌・楊逍・殷天正らは時候の挨拶を交わすとすぐに黙り込んだ。張無忌が言った。
「方丈神僧、われら一同用もなく三宝殿に参ったわけではございません。こうして方丈にお目通り願いましたのは、わが教の謝法王を釈放していただきたいからです。......」
小説には羅漢堂、達磨堂、般若院、方丈精舎などの建物が登場しますが、少林寺には三宝殿という名前の建物は存在しません。
誤訳だと言えないかも知れませんが、用もなく三宝殿に参ったわけではない、と書いても、日本の読者の多くは意味がわからないだと思います。
たぶん原文は「無事不登三寶殿」、大事な要があるこそ訪ねてきたことを表す慣用句です。
ところで、「無事不登三宝殿」はよく使っても、なぜ「三宝殿」なのか、「三宝」とはなにかは、実はよく知らなかったので、ついてに調べてみました。
仏教では佛、法、僧(”釋氏要覽”:「 三寶、謂佛、法、僧也。」)。
また、道教では耳、目、口。
だとか。
三種の神器ではまさかないでしょうが、もっと具体的な仏具、法器をひそかに想像していたのが、まったくの見当違いでした。
図書館の開架に「倚天屠龍記」の日本語訳を見かけ、懐かしくてその第五巻を手に取りました。
一気に読み進んだが、明教教祖の主人公・張無忌が、囚われている謝遜を求めて少林寺を訪ねたところですが、
空聞と張無忌・楊逍・殷天正らは時候の挨拶を交わすとすぐに黙り込んだ。張無忌が言った。
「方丈神僧、われら一同用もなく三宝殿に参ったわけではございません。こうして方丈にお目通り願いましたのは、わが教の謝法王を釈放していただきたいからです。......」
小説には羅漢堂、達磨堂、般若院、方丈精舎などの建物が登場しますが、少林寺には三宝殿という名前の建物は存在しません。
誤訳だと言えないかも知れませんが、用もなく三宝殿に参ったわけではない、と書いても、日本の読者の多くは意味がわからないだと思います。
たぶん原文は「無事不登三寶殿」、大事な要があるこそ訪ねてきたことを表す慣用句です。
ところで、「無事不登三宝殿」はよく使っても、なぜ「三宝殿」なのか、「三宝」とはなにかは、実はよく知らなかったので、ついてに調べてみました。
仏教では佛、法、僧(”釋氏要覽”:「 三寶、謂佛、法、僧也。」)。
また、道教では耳、目、口。
だとか。
三種の神器ではまさかないでしょうが、もっと具体的な仏具、法器をひそかに想像していたのが、まったくの見当違いでした。
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