「浮生六記」より ― 2007-12-05 23:27:40

沈復の「浮生六記」を読み直した。
というより、最後まで、まともに読んだのは初めてかと思います。
岩波文庫の日本語訳、学生時代に読んだかも知れませんが、ほとんど記憶が残っていません。
ということで、特に好きな文を、数箇所だけ転載します。
君画我繡、以為詩酒之需。布衣菜飯可楽終生、不必作遠遊計也。
沈復の妻、林語堂が「中国文学史上最可愛的女人」と推している陳芸、素朴な田舎生活を楽しんでいるとき、夫に言った言葉です。
一応前触れがあって、時代が清・乾隆年間、まだ若い婦人が遠出しにくい、礼法の厳しい時代なので、作者が妻に「惜卿雌而伏、苟能化女為男、相与訪名山、捜勝跡、遨遊天下、不亦快哉」と言ったことがあり、それに呼応しての話です。
「布衣菜飯可楽終生」のところ、響きもよく、富貴浮雲の境地が伺え、好きです。
夏蚊成雷、私擬作群鶴舞空。心之所向、則或千或百、果然鶴也。
沈復の幼少時代の遊びというか、夏の蚊が飛ぶところを、鶴の舞いに見立てるところです。
ポイントは「心之所向」でしょうか?心にそう思って見れば、蚊も鶴に見えるということですね。
この想像力と遊び心、面白いです。
丑時潮始至、若雲峯万畳、巻海而来。...水怪搏風、金蛇制電、天柱欲折、地軸暗揺、雪波濺衣、直高百尺。
琉球に行って、大潮を見たときの話ですが、迫力のある表現ではないかと思います。
もちろん、このような名文はほかにも多数あり、決してこの部分だけではないですが、代表として。
五百年謫在紅塵、略成遊戯;三千里撃開滄海、便是逍遥。
(whyさんのご指摘で、12/7 23時訂正)
作者沈復の作品、夢の中に作ったものだそうです。
白状すれば、これを読んで、はっとさせられて、この記事も半分以上はこの句を転載するために書いたようなものです。
ですが、「此中有真意、欲弁已忘言」というし、ここでは載せるまでとしましょう(笑)
コメント
_ mouse ― 2007-12-06 08:55:28
_ why ― 2007-12-07 07:52:05
この本、何度も耳にしているのに、いまだに読んでいません。探してみようかしら。
「君画我繡、以為詩酒之需。布衣菜飯可楽終生、不必作遠遊計也。」素敵ですね。かの梁鴻、孟光夫妻の「挙案斉眉」を彷彿させます。物欲に溢れる今の時代では、清貧の思想を地で行くのは難しいかもしれませんが、一人や二人居ても良いと思いますね。
「夏蚊成雷、私擬作群鶴舞空。心之所向、則或千或百、果然鶴也。 」こういう、人生をとことん楽しむ前向きな生き方、見習いたいものです。
「丑時潮始至、若雲峯万畳、巻海而来。...水怪搏風、金蛇制電、天柱欲折、地軸暗揺、雪波濺衣、直高百尺。 」この迫力、インパクト強いですね。昔銭塘江の大逆流を見たときのことを思い出しました。
「五百年在紅塵、略成遊戯;三千里撃開滄海、便是逍遥。」あれ?一文字足りないのでは・・・
「君画我繡、以為詩酒之需。布衣菜飯可楽終生、不必作遠遊計也。」素敵ですね。かの梁鴻、孟光夫妻の「挙案斉眉」を彷彿させます。物欲に溢れる今の時代では、清貧の思想を地で行くのは難しいかもしれませんが、一人や二人居ても良いと思いますね。
「夏蚊成雷、私擬作群鶴舞空。心之所向、則或千或百、果然鶴也。 」こういう、人生をとことん楽しむ前向きな生き方、見習いたいものです。
「丑時潮始至、若雲峯万畳、巻海而来。...水怪搏風、金蛇制電、天柱欲折、地軸暗揺、雪波濺衣、直高百尺。 」この迫力、インパクト強いですね。昔銭塘江の大逆流を見たときのことを思い出しました。
「五百年在紅塵、略成遊戯;三千里撃開滄海、便是逍遥。」あれ?一文字足りないのでは・・・
_ T.Fujimoto ― 2007-12-07 07:57:05
mouseさん、おはようございます。ナイスボケです(笑)
コーラは、アメリカに住んでいたせいか、姉の子供たちもほとんど毎日飲んでいました。
ご飯にかけて食べるのは、でもさすがにしていないと思います。どういう味なのでしょうね?コーラで鳥の手羽先を煮込むのは、一時期流行っていたようですが。
コーラは、アメリカに住んでいたせいか、姉の子供たちもほとんど毎日飲んでいました。
ご飯にかけて食べるのは、でもさすがにしていないと思います。どういう味なのでしょうね?コーラで鳥の手羽先を煮込むのは、一時期流行っていたようですが。
_ T.Fujimoto ― 2007-12-07 23:21:46
whyさん、ご指摘ありがとうございます。
一文字抜けてしまいました。訂正させて頂きます。
一文字抜けてしまいました。訂正させて頂きます。
_ T.Fujimoto ― 2007-12-08 00:21:54
whyさん、こんばんは。
沈復、陳芸は、歴史的に無名な、ごく普通の文人夫婦ですが、「伉儷情深、令人盡絶傾慕之念」と林語堂が語るその夫婦愛は、梁鴻、孟光もその比ではないかと思うぐらいです。
物欲は、それほどないですが、お金は絶対にないよりはあったほうがいいでしょう。そのあたり、六記のひとつ「坎坷記愁」を読んでも、きっとそう思います。
沈復、陳芸は、歴史的に無名な、ごく普通の文人夫婦ですが、「伉儷情深、令人盡絶傾慕之念」と林語堂が語るその夫婦愛は、梁鴻、孟光もその比ではないかと思うぐらいです。
物欲は、それほどないですが、お金は絶対にないよりはあったほうがいいでしょう。そのあたり、六記のひとつ「坎坷記愁」を読んでも、きっとそう思います。
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雪碧とか七喜なんかに乗り換えたら、いや、
飲み変えたらだめなんでしょうね。ククク…
そういえば大学のとき、北京から来たおばあさん
先生がいました。彼女は可楽が大好きで、ご飯
にもかけて食べるほどだと聞きました(まゆつば
ではありますが)。