武侠から異種格闘技戦(1)2006-09-08 21:26:13

 我が家唯一の中国語の辞書は、9年前に台湾で購入した「革新版 東方国語辞典」(台湾なので、漢字は繁体字)です。
 この辞書にはなぜか「武侠」、「武侠小説」といった言葉が載っていません。近年は日本でも、金庸氏をはじめ、武侠小説の翻訳やドラマが一部のマニアに受けていますが、現代の中華圏文化にあって、武侠小説は極めて重要な地位を占めているにも関わらず、です。

 実は、調べてわかりましたが、描写されている世界とは違って、「武侠」は比較的新しい言葉です。葉洪生という武侠小説の研究家によると、「武侠」という複合語が中国語に出現したのは清王朝の最後、しかも日本から伝わったものです。
 すなわち、1902年に一世風靡した押川春浪の小説「武侠の日本」から、横浜の在日中国人が中国語に持ち込んだ、という話です。


 押川春浪は1907年に「東洋武侠団」という小説を書き、さらに 1912年「武侠世界」という雑誌を創刊しました。

 1914年押川春浪が38歳でなくなると、「武侠世界」の主筆を引き継いだのは針重敬喜でした。
 先日、たまたま「講道館柔道対プロレス初対決」(丸島隆雄著)という本を買って読みましたが、なんと、その針重氏の「武侠世界」は1921年(大正10年)に、恐らく日本ではじめての本格的な「柔道vsプロレス」の異種格闘技戦を主催した、とのことです。

 1910年代にかのFrank Gotchが引退し、アメリカのプロレス界はJoe Stecher, Stanislaus Zbyszko, Evan“Strangler”Lewisの3強時代に突入していました。ほかにもEarl Caddock, Jim Londos, John Pesekなどの強豪がおり、アメリカンプロレス百花繚亂の黄金時代とも言えます。

 Ad Santelもまたこのガス灯時代にあって、名前がブリタニカの百科事典に載っている、数少ない名プロレスラーでした。
 そのAd Santelが、はるばる日本に来て、講道館柔道に挑戦状を叩きつけたわけです。