【素人写真】二月のある日2016-03-06 14:51:04

 山北町の洒水の滝、人影がなかったのです。











サムライの作法2016-03-20 11:21:47

 もし江戸時代の侍が、たまたま傍輩同士が喧嘩を始め、うち一人が刀を抜いたのに出会ったら、どうすべきなのでしょうか?

 「こんな本があった!江戸珍奇本の世界」(社団法人家の光協会)は、古典秘籍の宝庫である西尾市岩瀬文庫(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B0%BE%E5%B8%82%E5%B2%A9%E7%80%AC%E6%96%87%E5%BA%AB)の目録作成に携わった塩村耕氏の著作であり、文庫に納められている珍奇本の数々を紹介しています。
 そのうちの一冊、侍の生き方マニュアルとも言うべき「八盃豆腐」を紹介するページは、冒頭にあるような問いかけから始めています。

 まず、脇に控えて見守るべきです。
 もし、どちらかが親類か親しい友人で、その人が危うく見えたなら、助太刀をして相手を打たせてやります。もし、両者とも普通の関係なら、一方が打たれたら、相手に申し含め、近辺の寺へ同道して付き添い、人をやって藩に届け出るべき、だと書かれています。
 仲裁に入り、仲直りさせたりするのはよろしくなく、刀を抜きかかった方が「あほう払」の罪(両刀を取り上げられ、追放する屈辱的な刑罰)に処せられるゆえ、です。

 傍輩が家来を手討ち損じ、逃れた家来が自分の屋敷に駆け込んだ場合、道中で家来に持たせたヤリが他家の侍に奪い取られた場合、残罪者を連れて刑場に向かう途中、大寺の高僧が囚人に袈裟を掛け、身柄渡しを懇願して引き下がらない場合など、ほかにも難しい局面についていろいろ書かれているらしいです。


 義と名誉のためには命も投げ出せるのが武士道ですが、こういう侍たち特有の行動規範が、もしあたり前にすべて侍が心得ているなら、教訓書すら無用だったはずです。やはり二世紀半の長い平和な時代に、武士たちのモラルが緩んでいたのでしょう。

 実際、先日読んだ「サムライとヤクザ―」(氏家幹人、ちくま新書)によると、明治維新前のまさに江戸幕府が伸るか反るかの動乱期、幕府軍でよく戦った戦士たちは、元からの侍ではなく、駕篭かきや火消し、博徒など、町の荒くれ者だったそうです。
 戦乱の世から泰平の世への転換と軌を一にして、戦士の作法だった男道は徐々に色褪せし、役人の心得であるほうの「武士道」へと様変わりした、という話でした。