虎狩りや敵国日本について ~ジョセフ・C・グルー2015-11-03 11:04:40



元アメリカ中日大使のジョセフ・グルー氏による日本の紹介映像が残っています。
東京の地下鉄や街道を往来する人々、工場で働く男女と田舎風景、職人と神社で手を合わせる婦人、学童に軍人に武士道精神などと、実に多彩です。

1932年から10年近く駐日大使を務めたジョセフ・グルー氏が、日米開戦後に帰国し、駐日時代の経験を「滞日十年」に著し、講演旅行では大変な人気を博したそうです。

来日前の若いときに書いた「Sport and Travel in the Far East,」(1910年)は、ルーズベルト元アメリカ大統領の愛読書としても有名です。



ハイライトは、なんと言っても最終章の中国での虎狩りなのでしょう。

馬の家畜化の始まり2015-11-18 21:23:51

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 "Just So Stories"は、日本では「なぜなぜ物語」と訳されていますが、イギリスのノーベル賞作家ラドヤード・キップリング(Rudyard Kipling)が書き、1902年に出版された、子供のための童話集です。

 「How the Whale Got His Throat」、「How the Camel Got His Hump」など13篇の話のなかでも、もっとも長いのが「The Cat That Walked by Himself 」(http://www.boop.org/jan/justso/cat.htm)です。このなか、野生馬が、急に人間の仲間になったくだりが、以下に如くです。

 When the Man and the Dog came back from hunting, the Man said, 'What is Wild Horse doing here?' And the Woman said, 'His name is not Wild Horse any more, but the First Servant, because he will carry us from place to place for always and always and always. Ride on his back when you go hunting.

 「ワイルド・ホースがここに何をしているのか?」、犬と狩りから帰ってきた男が聞くと、女は言った、「彼はもうワイルド・ホースではなく、召使頭になったのよ。なぜなら彼はいつもいつも私たちをあちこちに運んでくれる。猟に行くとき、彼の背中に乗って。」


 実際のところは、どうだったのでしょうか?
 馬・ロバの家畜化は約6000年も前から始められたと、考古学者は考えています。

 ウマ科の動物は、後氷河時代末期に巨大な群れをなし、草原ステップ地帯全域に広がり、そして急激に増加する人類の集団にとっては、狩りの対象でした。
 すると、どうしても気になるのは、人類はいつ、何をきっかけに馬の家畜化に成功したか、という問題です。その前に少なくとも何千年間も渡って、せいぜい食糧としてしかしていなかったのに、です。

 これにはいろいろな説があります。
 馬を最初に家畜化に成功した英雄は、実はペットを欲しがっていた少年だったのではないか、という、アメリカの古生物学者ジョージ・G・シンプソン(George Gaylord Simpson)の説が、私には魅力的です。

 「その少年は、役に立たない動物を連れまわって、おそらくまず父親に叱られたのであろう」、とも。

ふたたび纏足について2015-11-28 11:26:42

 中国は元の伊世珍が「琅嬛記」中巻に、「修竹閣女訓」なるものを引いて、纏足について記しました。(http://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=878971

 本壽問於母曰:「富貴家女子必纏足,何也?」其母曰:「吾聞之聖人重女而使之不輕舉也,是以裹其足,故所居不過閨閾之中,欲出則有帷車之載,是無事於足者也。聖人如此防閒,而後世猶有桑中之行,臨邛之奔。範睢曰『裹足不入秦』,用女喻也。」(《修竹閣女訓》)

 女を家を守らしめるために古代の聖人が定められた遺制であるとあるのは、史実でない民間説話的なものにしろ、結果的にそういう効用も認められたことが伺えます。
 旧トルコ帝国の皇帝は、ハーレムの女たちに木の短靴を履くようい義務付けたが、拘束しようという意識が潜在していたように思われます。

 むかしの記事(http://tbbird.asablo.jp/blog/2008/12/22/402133)には、whyさんがコメントを付けてくださったことがあります:
 「安徽省鳳陽出身の馬氏はいわゆる淮西女子で、纏足をする風習のない地域に育ったそうです。ゆえに、巷で大きな西瓜を抱えた足の大きい女性を描かれた謎かけの絵が貼り出された時には大いに朱元璋の怒りを買ったとか。ま、淮西イコール懐西、見事な「文字獄」ですけどね。」

 なるほど、馬皇后は生涯自然足だったわけです。
 ある時、そんな大きい足をして、よくも皇后だなどといわれたものだ、と太祖が戯れたのに対して、馬皇后は、この脚がなかったら、どうして天下を治めて行かれましょうか、と答えたそうです。
 けだし皇后は有知、よく書史をこのみ、太祖の補佐を努めた人であり、「鳳陽花鼓詞」(?)の「脚大踹得江山穏」とあるのが、このことを詠んだそうです。


 「足は自由についてこねないが、自由を実践する」と書いたのは、辻まことですが、自由が制限されてしまう足も、あるということです。

 寺山修司の「幻想図書館」を読むと、「靴をはいて行けるところには、自由という名の土地はない」と言うインドの詩人の言葉が引用されているのに目につきます。
そして、「ピカピカに磨かれたホワイト・カラーのサラリーマンの靴を見ていても感じられる。彼らもまた、見えない纏足によって、現代の社会機構に拘束されてしまっている。」と結びます。

 拘束された足をもっては完全な自由にたどり着けないのは、確かにそうなのかも知れません。ですが、社会の営みは多かれ少なかれ、ルールという名の制限があってはじめて成り立つゲームのようなもので、致し方なし、ということなのでしょう。