勉強しまっせ2014-08-15 10:01:19

 「勉強しまっせ、引っ越しのサカイ~」というコマーシャルが、かつてテレビで流れていました。

 手元の字引(学研現代新国語辞典)によれば、「勉強」という単語には以下の意味があすようです:
(1) 知識、技能などを身につけようと努め励むこと。
(2) (将来役に立つであろう)貴重な体験
(3) (商人)安い値段で品物を売ること。

 「引越しの堺」が謳っている「勉強」は、無論(3)の意味ですが、主に関西地区で多く使われている表現で、他の地域では用例が少なく、そもそも意味がわかっていない人もいるかも知れません。


 出久根達郎のエッセイにに出てきたものですが、読売新聞の明治11年7月6日号に、以下の三行広告が掲載されているそうです。
 「府下の諸君子御不要之書籍御払下相成候はヾ多少に不限格別勉強高価に申請候間 郵便御報知を希ふ直に主張可仕候但し凡金一円以下の品は御持込可被下候 表神保町三番地書肆 自然堂敬白」

 古書店の新聞広告です。
 この「勉強」が明治11年にはすでに使われていることと、安く売ることだけでなく、勉強して高く買う場合にも使われることが、わかります。
 根は同じだと思いますが、辞書の書き方では不十分です。


 では、中国語の「勉強」は、というと、手元に台湾の「東方國語辞典」がありますが、それを引くと、以下の意味が出てきます:
(1) 不自然。
(2) 能力不夠、理由不足而強做。
(3) 人家不願意做而強迫他。

 古い用例は、ネットで見つけたものですが、漢・劉向編「列女伝」(http://ctext.org/lie-nv-zhuan/zhou-nan-zhi-qi/zh)に、「國家多難,惟勉強之」のくだりがあります。

 いずれにしても、「無理をして頑張る」の意味が含まれています。
 してみれば、商売人の勉強しまっせは、無理して安くしますよ(もしくは高く買い取らせてもらいますよ)の感じが濃く残り、学生たちのお勉強よりも、中国語の原意に近いと言えましょう。


 さて、若者の読書離れにはいくつもの原因が絡んでいるでしょうが、まず、苦労なく耳目に入り込んでくる映像や音声とは違って、読書には多少の根気を強いるから、楽したい年頃には嫌われるものです。
 学校の「勉強」は、無理やりやらされているから反発もするものだと言えますが、一方で、基本的な教養、知識は、子供の頃にこそ多少無理しても詰め込み、身につけるべきものなのかも知れません。

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