鳴らぬなら 鳴るまで待とう 鉄アレイ2012-02-09 23:04:04

 あの7キロの鉄アレイが、相変わらず我が家にあります。(http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/02/12/1178183
 故人の遺品は決して声を発せず、無言のままで、いつまでも鎮座しています。


 アレイは「亜鈴」とも書きますが、どうしてこの当て字を使ったか、多少気になっていました。
 英語では、ない、ですね。

 「明治がらくた博覧会」(林丈二、晶文社)を読んで、同じことを考えた人がいたのに気づき、笑ってしまいました。


 「一昨日の雷鳴は東京ばかりではなく、横浜はもっとも烈しき由にて、同港は午後五時頃より盆を傾ける大雨降り出し、其中より電光閃きわたるかと思えば久しく中絶せし雷公は、支度万端整いしと見え、舶来物を見倒して買った虎の皮の犢鼻褌(ふんどし)をシッカとしめ、学校用のダンベルは己が元祖だと云わぬばかりに両手を上下し、乱拍子にゴロッゴロごろごろと鳴り渡り、余りはしゃぎ過ぎたのか雲脚を踏み外してごろごろストンと落雷た......」
 まずこれは明治21年、朝刊紙に切り替えて間がない頃の「都新聞」に載っている記事だそうです。

 饒舌な記者の文章に目を奪われましたが、「学校用のダンベルは己が元祖だ」のくだりに、特に興味深い発見がありました。
 なるほど、本の挿絵に、明治19年の「東京絵入新聞」の「小学校生徒着」の広告と、明治21年の「あまと新聞」の「小児学校器」の広告が載っていますが、いずれも絵の子供は手にアレイを持っています。
 当時の学校教育で、アレイが使われていたようです。

 明治30年発行の「美満津商店定価表」にも、ちゃんと「鐵製啞鈴 (IRON DUMB BELLS)」、「木製啞鈴 (WOOD DUMB BELLS)」が、絵入りで掲載されています。

 やはり昔から英語ではダンベル(dumb bell)でした。

 いまでも中国語では「啞鈴」と書きますが、日本語も昔はそうでしたね。
 発話障害者に配慮して現代ではあまり使いませんが、もろん「唖(おうし)」とは口がきけないことであります。

 「dumb」は「物の言えない、口のきけない」という意味なので、「啞鈴」はその意訳、音の出ない鈴です。
 カタカナばかり目にすると、つい外来語のように錯覚してしまいました。

 無言のままであるのは当然ですが、それでも「鈴」であるゆえ、いつか「雷公」が手に取って、ゴロッゴロごろごろと鳴らしてしまうことも、あるかも知れません。