先週末の競馬 ― 2010-10-04 23:04:08
先週末の競馬はとてもエキサティングでした。
まずは土曜日のアメリカ、ベルモントパーク競馬場で行われたフラワーボウル招待ステータス(米G1)に、日本からは松永厩舎のレッドデザイアが出走しました。
レッドデザイアは去年の秋華賞馬(桜花賞、オークスはいずれもブエナビスタの2着)で、ジャパンカップ3着、3月はドバイのマクトゥームCR3(G2)で強敵相手に勝利しています。ドバイワールドカップは11着に終わりましたが、今回はブリーダズカップ・フィリー&メアターフを狙って、その前哨戦としての出走です。
映像を見ましたが、結果から言えば勝ち馬アーヴェイ(Ave)から1馬身差の3着でした。本番に較べれば楽な相手に勝ち切れなかったが、休み明けのレースとしてはまずまずだったかも知れません。
同じくアメリカ、日曜日にはもうひとつ牝馬限定のG1レース、レディーズシークレット・ステータスが行われました。芝のフラワーボウル招待Sと違って、こちらはハリウッドパークのオールウェザー、あのセニヤッタ(Zenyatta)が出走しました。
わずか5頭立てですが、ゼニヤッタは例によって最後方からレースを進み、最後の直線、逃げ馬を交わしてスウイッチ(Switch)が余力を持って先頭に立ったときはさすがにどうかなと思いましたが、そこからでもセニヤッタはやっぱり差し切ってしまうのですね。これでデビューからの連勝記録はなんと積み重ねてついに北米競馬記録タイの19連勝となりました。どこまで続くのでしょうか?
http://www.youtube.com/watch?v=omHNYaPCU6w
日本では日曜日に短距離のG1・スプリンターズ・ステークスが行われました。
日本ではここ数年、スプリンター戦線に傑出馬が現れなく、今回のレースも前哨戦のセントウル・ステータスで2着に入った香港馬のグリーンバーディー(綠色駿威)が単勝1番人気に押し出されました。
しかし、レースを逃げ切ったのはもう1頭の香港馬、ほとんど人気がなかったほうのウルトラファンタジー(極奇妙)でした。名馬セイクリッドキングダム(蓮華生輝)と同じ厩舎、これが初のG1勝利だったようです。香港調教馬としてはあのサイレントウィットネス(精英大師、2005年勝ち馬)以来のスプリンターズS制覇です。人気のグリーンバーディーは7着に敗れましたが、少なくとも短距離レースにおける香港競馬のレベルの高さは示したと思います。
18頭いる出走馬のうち、2頭だけ参戦してきた香港馬が日本のスプリンターズSで7着と1着に入りましたが、20頭の出走馬がいる今年の凱旋門賞で、日本から参戦した2頭の着順も、7着と、1着にかなり近い2着でした。
あのエルコンドルパサーに並び、日本調教馬としては最高着順の2着に大健闘したナカヤマフェスタは、いくら褒めても褒めたりないと思います。日本でもG1で人気になったことがないですが、今年の宝塚記念を快勝したように、みんなが思っているよりもかなり強い馬になったかも知れません。ナカヤマフェスタは4歳、もう1頭のビクトワルピザは3歳と、どちらもまだ若く、今後の活躍も期待できそうです。
先週末の競馬はとてもインターナショナルでした。
まずは土曜日のアメリカ、ベルモントパーク競馬場で行われたフラワーボウル招待ステータス(米G1)に、日本からは松永厩舎のレッドデザイアが出走しました。
レッドデザイアは去年の秋華賞馬(桜花賞、オークスはいずれもブエナビスタの2着)で、ジャパンカップ3着、3月はドバイのマクトゥームCR3(G2)で強敵相手に勝利しています。ドバイワールドカップは11着に終わりましたが、今回はブリーダズカップ・フィリー&メアターフを狙って、その前哨戦としての出走です。
映像を見ましたが、結果から言えば勝ち馬アーヴェイ(Ave)から1馬身差の3着でした。本番に較べれば楽な相手に勝ち切れなかったが、休み明けのレースとしてはまずまずだったかも知れません。
同じくアメリカ、日曜日にはもうひとつ牝馬限定のG1レース、レディーズシークレット・ステータスが行われました。芝のフラワーボウル招待Sと違って、こちらはハリウッドパークのオールウェザー、あのセニヤッタ(Zenyatta)が出走しました。
わずか5頭立てですが、ゼニヤッタは例によって最後方からレースを進み、最後の直線、逃げ馬を交わしてスウイッチ(Switch)が余力を持って先頭に立ったときはさすがにどうかなと思いましたが、そこからでもセニヤッタはやっぱり差し切ってしまうのですね。これでデビューからの連勝記録はなんと積み重ねてついに北米競馬記録タイの19連勝となりました。どこまで続くのでしょうか?
http://www.youtube.com/watch?v=omHNYaPCU6w
日本では日曜日に短距離のG1・スプリンターズ・ステークスが行われました。
日本ではここ数年、スプリンター戦線に傑出馬が現れなく、今回のレースも前哨戦のセントウル・ステータスで2着に入った香港馬のグリーンバーディー(綠色駿威)が単勝1番人気に押し出されました。
しかし、レースを逃げ切ったのはもう1頭の香港馬、ほとんど人気がなかったほうのウルトラファンタジー(極奇妙)でした。名馬セイクリッドキングダム(蓮華生輝)と同じ厩舎、これが初のG1勝利だったようです。香港調教馬としてはあのサイレントウィットネス(精英大師、2005年勝ち馬)以来のスプリンターズS制覇です。人気のグリーンバーディーは7着に敗れましたが、少なくとも短距離レースにおける香港競馬のレベルの高さは示したと思います。
18頭いる出走馬のうち、2頭だけ参戦してきた香港馬が日本のスプリンターズSで7着と1着に入りましたが、20頭の出走馬がいる今年の凱旋門賞で、日本から参戦した2頭の着順も、7着と、1着にかなり近い2着でした。
あのエルコンドルパサーに並び、日本調教馬としては最高着順の2着に大健闘したナカヤマフェスタは、いくら褒めても褒めたりないと思います。日本でもG1で人気になったことがないですが、今年の宝塚記念を快勝したように、みんなが思っているよりもかなり強い馬になったかも知れません。ナカヤマフェスタは4歳、もう1頭のビクトワルピザは3歳と、どちらもまだ若く、今後の活躍も期待できそうです。
先週末の競馬はとてもインターナショナルでした。
神の踊り子ニジンスキー ― 2010-10-09 00:20:20
タマラ・カルサーヴィナは、20世紀の初頭にあって、あのアンナ・パヴロワと人気を二分していた、ロシア帝室マリインスキー劇場のプリマバレリーナです。
ペテルブルグの舞踊学校にいた頃、男子クラスを覗いたら、ひとりの少年が同級生たちの頭の上まで跳躍して、空中に宙づりになっているように見えたのに驚いた、と後に語りましたが、カルサーヴィナが見て仰天したのは、ほかでもなく、後に神の踊り子と呼ばれたワスラフ・ニジンスキーその人でした。
40年前、英国3歳クラシック三冠を無敗で制した名馬ニジンスキーの名前は、ワスラフ・ニジンスキーに因んで付けたものだと先日にも書きました(http://tbbird.asablo.jp/blog/2010/09/25/5367462)が、ニジンスキーの父は20世紀最も成功した種牡馬ノーザンダンサー(Northern Dancer)で、父の馬名にインスパイアされたのでしょう。
セルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュスが、ロシアからロンドンを経てパリに初めて現れたのは1909年の5月だったそうです。以降、彼らはほぼパリにとどまり、戦時中から1929年まで、すなわちディアギレフが亡くなるまで、毎年のように公演を打って、その名を西欧世界に轟かせました。
レオン・パスクトの衣装と舞台、ジャン・コクトーらの台詞、イゴーリ・ストラヴィンスキーやクロード・ドビュッシーの音楽も、それぞれパリっ子を虜にしましたが、「パリ・一九二〇年 シュルレアリスムからアール・デコまで」(渡辺淳)によれば、「この盛名が何よりも、ダンサーたち、というよりダンスそのものに基づくものであり、ことのほか、ディアギレフがまず見出して愛し、育てた若い男性舞踊手、ワスラフ・ニジンスキーが、ダンスそのものをみずみずしく具現化していたからだというのは本当だろう。」
旧来のバレエ団は女性のバレリーナを主役にするしきたりがありましたが、バレエ・リュスではむしろ男が主役です。
その役を担ったニジンスキーは、高い跳躍と中性的な動き、魅力に特徴があるようです。「薔薇の精」のグラン・ジュテ役などは、フォーキンに言わせれば、ニジンスキーは高い跳躍をしたわけではなく、空気のように軽く詩的な舞踊を演じたそうです。 また、「ニジンスキーは半分人間半分猫科の動物のような柔らかくしかも長い跳躍をした。」とも語っていました。
「天使よ奇跡の子よ、完璧を体現するものよ、神の踊り子ニジンスキー」といった伝説的な扱いもありましたが、調べてみれば、ワスラフ・ニジンスキーが活躍した期間はそう長いものではありませんでした。
1913年の南アメリカ公演へ向かう船上で、ロモラ・ド・プルスカと電撃結婚したら、ディアギレフが烈火の如く怒り、ニジンスキーを解雇しました。1916年には一度ディアギレフに呼び戻されて北米公演に参加しましたが、その頃になるとニジンスキーに統合失調症の兆候が現れ始め、仲間たちを恐れて部屋に閉じこもるようになったようです。
ニジンスキーの後半生は、精神病院を盥回しにされ、ついにバレエの世界に戻ることはなく、最後は1950年に亡くなりました。
2006年トリノ・オリンピックのフィギュアスケート金メダリスト(バンクーバは銀メダル)のエフゲニー・プルシェンコが、2003~2004年のシーズンに踊った曲が「tribute to Nijinsky」(ニジンスキーに捧げて)というタイトルでした。最も成功したプログラムだと言われながら、なぜかプルシェンコ本人が、心身ともに最も苦痛だと語った演目でもあります。
2003年のアイスショーの映像がYouTubeに上がっていますが、後半は天才ニジンスキーの晩年の悲哀を唄っているように聞こえました(http://www.youtube.com/watch?v=bRVpVITHo5k&feature=related)。それがプルシェンコ自身にも苦痛をもたらしたのでしょうか?
ペテルブルグの舞踊学校にいた頃、男子クラスを覗いたら、ひとりの少年が同級生たちの頭の上まで跳躍して、空中に宙づりになっているように見えたのに驚いた、と後に語りましたが、カルサーヴィナが見て仰天したのは、ほかでもなく、後に神の踊り子と呼ばれたワスラフ・ニジンスキーその人でした。
40年前、英国3歳クラシック三冠を無敗で制した名馬ニジンスキーの名前は、ワスラフ・ニジンスキーに因んで付けたものだと先日にも書きました(http://tbbird.asablo.jp/blog/2010/09/25/5367462)が、ニジンスキーの父は20世紀最も成功した種牡馬ノーザンダンサー(Northern Dancer)で、父の馬名にインスパイアされたのでしょう。
セルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュスが、ロシアからロンドンを経てパリに初めて現れたのは1909年の5月だったそうです。以降、彼らはほぼパリにとどまり、戦時中から1929年まで、すなわちディアギレフが亡くなるまで、毎年のように公演を打って、その名を西欧世界に轟かせました。
レオン・パスクトの衣装と舞台、ジャン・コクトーらの台詞、イゴーリ・ストラヴィンスキーやクロード・ドビュッシーの音楽も、それぞれパリっ子を虜にしましたが、「パリ・一九二〇年 シュルレアリスムからアール・デコまで」(渡辺淳)によれば、「この盛名が何よりも、ダンサーたち、というよりダンスそのものに基づくものであり、ことのほか、ディアギレフがまず見出して愛し、育てた若い男性舞踊手、ワスラフ・ニジンスキーが、ダンスそのものをみずみずしく具現化していたからだというのは本当だろう。」
旧来のバレエ団は女性のバレリーナを主役にするしきたりがありましたが、バレエ・リュスではむしろ男が主役です。
その役を担ったニジンスキーは、高い跳躍と中性的な動き、魅力に特徴があるようです。「薔薇の精」のグラン・ジュテ役などは、フォーキンに言わせれば、ニジンスキーは高い跳躍をしたわけではなく、空気のように軽く詩的な舞踊を演じたそうです。 また、「ニジンスキーは半分人間半分猫科の動物のような柔らかくしかも長い跳躍をした。」とも語っていました。
「天使よ奇跡の子よ、完璧を体現するものよ、神の踊り子ニジンスキー」といった伝説的な扱いもありましたが、調べてみれば、ワスラフ・ニジンスキーが活躍した期間はそう長いものではありませんでした。
1913年の南アメリカ公演へ向かう船上で、ロモラ・ド・プルスカと電撃結婚したら、ディアギレフが烈火の如く怒り、ニジンスキーを解雇しました。1916年には一度ディアギレフに呼び戻されて北米公演に参加しましたが、その頃になるとニジンスキーに統合失調症の兆候が現れ始め、仲間たちを恐れて部屋に閉じこもるようになったようです。
ニジンスキーの後半生は、精神病院を盥回しにされ、ついにバレエの世界に戻ることはなく、最後は1950年に亡くなりました。
2006年トリノ・オリンピックのフィギュアスケート金メダリスト(バンクーバは銀メダル)のエフゲニー・プルシェンコが、2003~2004年のシーズンに踊った曲が「tribute to Nijinsky」(ニジンスキーに捧げて)というタイトルでした。最も成功したプログラムだと言われながら、なぜかプルシェンコ本人が、心身ともに最も苦痛だと語った演目でもあります。
2003年のアイスショーの映像がYouTubeに上がっていますが、後半は天才ニジンスキーの晩年の悲哀を唄っているように聞こえました(http://www.youtube.com/watch?v=bRVpVITHo5k&feature=related)。それがプルシェンコ自身にも苦痛をもたらしたのでしょうか?
ピアノ連弾デュオ ― 2010-10-22 23:41:27
斎藤兄弟のピアノ連弾デュオ「Les Freres」。このオリジナル曲は昨日スカパーで初めて聞いたばかりですが、音楽も見た目も、実に愉しいです。
こちらは中村姉妹(Les soeurs Nakamura)の「ニュー・シネマ・パラダイス」。残念ながら演奏風景はないですが、やはり素晴らしいです。
こちらは中村姉妹(Les soeurs Nakamura)の「ニュー・シネマ・パラダイス」。残念ながら演奏風景はないですが、やはり素晴らしいです。
13回忌 ― 2010-10-26 01:27:04
いまさらながら、法事が終わって、ずいぶんと月日の経つのが疾いことに、改めて気付きました。
「世の中に寝るほど楽はなきものを
知らぬうつけが起きて働く」
狂歌か何かよくわかりませんが、そうだそうだと頷いた頃から、何がどう変わったか、朝の日が出る前から勝手に目が覚める体になりました。
たまに10時前に早寝したら、この通り、夜が更ける前に起きてしまう様です。
江戸っ子の熱風呂は苦手で、温泉に行ってもぬるいほうに浸かっていたが、どうもここ何年かは熱いのにも平気になりました。
「老いは漸く身に迫つてくる」にはまだまだだと思っていますが、こういうところとか、にぶくなったのは確かなようです。
「世の中に寝るほど楽はなきものを
知らぬうつけが起きて働く」
狂歌か何かよくわかりませんが、そうだそうだと頷いた頃から、何がどう変わったか、朝の日が出る前から勝手に目が覚める体になりました。
たまに10時前に早寝したら、この通り、夜が更ける前に起きてしまう様です。
江戸っ子の熱風呂は苦手で、温泉に行ってもぬるいほうに浸かっていたが、どうもここ何年かは熱いのにも平気になりました。
「老いは漸く身に迫つてくる」にはまだまだだと思っていますが、こういうところとか、にぶくなったのは確かなようです。
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