40年前の凱旋門賞(1) ― 2010-09-25 12:59:26
欧州古馬競走の最高峰・凱旋門賞は、次の日曜日、10月3日に行われます。
シーザスターズ(Sea The Stars)やザルカヴァ(Zarkava)のようなスターがいないですが、宝塚記念を制したナカヤマフェスタと皐月賞馬のヴィクトワールピサ、今年の凱旋門賞には日本からのチャレンジーが2頭参戦予定です。ディープインパクトのときと違って、現地での評価はさほど高くないようですが、どっちも調子はまずまずと伝えられ、日本調教馬が2頭同時に凱旋門賞に出走するのは史上初めてのことで、日本の競馬ファンの間では盛り上がってきています。
日本調教馬が初めて凱旋門賞に挑戦したのは1969年、旧表記で7歳(現在の6歳)時のスピードシンボリです。後にシンボリルドルフを育て、名調教師として名を馳せた「ミスター競馬」野平祐二氏が、ロンジャンまで駆けつけて騎乗していました。
スピードシンボリの凱旋門賞での着順は、「はてなキーワード」で調べると10着(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B9%A5%D4%A1%BC%A5%C9%A5%B7%A5%F3%A5%DC%A5%EA)ですが、ウィキペディアのほうを見ると着外(11着以下は公式記録にないので着順不明)になっています(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AA)。
これはウィキペディアのほうが正確だと思います。公式記録を見ても、10着に名前の残っているのは Balto産駒のZborという馬です。
但し、ウィキペディアでも「野平祐二」の項では、「1969年、再びスピードシンボリで海外遠征を敢行。キングジョージクイーンエリザベステークス(9頭中5着)や、凱旋門賞(24頭中10着)に騎乗。」との記述があります。スピードシンボリが10着に入った、という間違ったソースが、どこかで流れていたと思われます。
非公式であれば、「The Grand History of The Prix de I'Arc de Triomphe」(http://tbbird.asablo.jp/blog/2006/09/23/534846)で表記した順列を見る限り、スピードシンボリは出走馬24頭中の13着、ということになります。
凱旋門賞の公式記録で全出走馬の着順が残るようになったのは1971年以降です。スピードシンボリが挑戦した翌年、ササフラ(Sassfras)が勝った1970年の凱旋門賞も、公式記録上に着順が載っているのは 10着の A Charaまでです。
シーザスターズ(Sea The Stars)やザルカヴァ(Zarkava)のようなスターがいないですが、宝塚記念を制したナカヤマフェスタと皐月賞馬のヴィクトワールピサ、今年の凱旋門賞には日本からのチャレンジーが2頭参戦予定です。ディープインパクトのときと違って、現地での評価はさほど高くないようですが、どっちも調子はまずまずと伝えられ、日本調教馬が2頭同時に凱旋門賞に出走するのは史上初めてのことで、日本の競馬ファンの間では盛り上がってきています。
日本調教馬が初めて凱旋門賞に挑戦したのは1969年、旧表記で7歳(現在の6歳)時のスピードシンボリです。後にシンボリルドルフを育て、名調教師として名を馳せた「ミスター競馬」野平祐二氏が、ロンジャンまで駆けつけて騎乗していました。
スピードシンボリの凱旋門賞での着順は、「はてなキーワード」で調べると10着(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B9%A5%D4%A1%BC%A5%C9%A5%B7%A5%F3%A5%DC%A5%EA)ですが、ウィキペディアのほうを見ると着外(11着以下は公式記録にないので着順不明)になっています(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AA)。
これはウィキペディアのほうが正確だと思います。公式記録を見ても、10着に名前の残っているのは Balto産駒のZborという馬です。
但し、ウィキペディアでも「野平祐二」の項では、「1969年、再びスピードシンボリで海外遠征を敢行。キングジョージクイーンエリザベステークス(9頭中5着)や、凱旋門賞(24頭中10着)に騎乗。」との記述があります。スピードシンボリが10着に入った、という間違ったソースが、どこかで流れていたと思われます。
非公式であれば、「The Grand History of The Prix de I'Arc de Triomphe」(http://tbbird.asablo.jp/blog/2006/09/23/534846)で表記した順列を見る限り、スピードシンボリは出走馬24頭中の13着、ということになります。
凱旋門賞の公式記録で全出走馬の着順が残るようになったのは1971年以降です。スピードシンボリが挑戦した翌年、ササフラ(Sassfras)が勝った1970年の凱旋門賞も、公式記録上に着順が載っているのは 10着の A Charaまでです。
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