工場2010-06-24 00:01:28

 目的を追求してはならないケースが、どうやら、世の中には時々あるようです。


 「市」の文庫所長として招聘されたローベルト・リンドホフは、「市」でさまざまな不可解の光景や出来事を目撃しました。
 そのひとつ、特にローベルトを困惑させたのは「工場」の存在です。

 「市民」の大多数が暮らす地下には、厳密な規格に基づくサイコロ状の人工石を生産する工場があります。昼夜を問わず、大量に生産し続けたこの人工石の用途は、工場長に聞いても、わからないという答えが返えてきただけです。

 しかし、あまり人が暮らしていない地上に、もうひとつ工場があることをローベルトが見つけました。地下の人工石工場に原料の石粉を供給するこの地上の工場は、石粉を作るために、地下から運び込まれた、きれいなサイコロ状の人工石を砕き続けている......

           (ヘルマン・カザックの「流れの背後の市」より)

コメント

_ 花うさぎ ― 2010-06-24 19:59:04

おもしろい話ですね。

需要がないのに、仕事を作り出すために仕事をしている。

日本でも、いりもしない箱物をつくっていますが、
維持費がばかにならないほどかかりますから、
壊す仕事もセットにするというのは、案外名案ですね。

_ T.Fujimoto ― 2010-06-26 02:20:23

花うさぎさん、これを読んだとき、現実をも照らし合わせ、僕はふたつの違う感想をほぼ同時に持ちました。
ひとつは、我々も、目的を深く考えず、ただあくせくと働いたり、本当は省ける無駄な作業がたくさんあるかも知れないな、とまずは思いました。
すぐにもうひとつ、冒頭にも書いた通り、いや、もしかして目的など考えてはいけないことなのかも、とも思いなおしました。

小学生のときに読まさせれた蒋介石の言葉に、「生活的目的、在増進人類全体之生活。 生命的意義、在創造宇宙継起的生命。」というのがあります。一見なかなかうがった話ですが、ちゃんと考えると、その「宇宙継起的生命」に価値が見いだせなければ、それを創造することになんの価値があるのだろうか、と思いました。
しかし、そこはもう考えてはいけない領域、疑ってはいけない必要な営みかも、といまは考えたりします。ちょっとここまで書くと、つまらない話になって、申し訳ないですが。

_ 花うさぎ ― 2010-06-26 14:56:05

>その「宇宙継起的生命」に価値が見いだせなければ、それを創造することになんの価値があるのだろうか

そうなんですよ。結局はその生命自体の存在意義って何でしょうね。

結局、生まれてきてしまったから生きているわけで、すべての生きる目的や意味なんて、後付けにすぎないのでしょう。
..
『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記 (文春新書)』
頼藤 和寛 著という本がありますが、この著者も余命わずかとなったとき、たどりついた答えはそういうものだったようです。

_ T.Fujimoto ― 2010-06-29 01:21:12

花うさぎさん、生まれてしまったから、とまではいかなくとも、生まれてきたから、という面は否定できないでしょうね。
ですが、いつか書いた蟻塚の話もありますし、生命の「奥秘」がわからないから価値がないと言いきるのも早計かも、と一方で自警もしました。で、いろいろ辿っていくと、どうせわからないなら、つじつまさえ合えば、自身が納得して生きていけば、ある意味ではどう考えても自由かな、と思うようになってきたわけです。

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