先程の会話 - しゃくりを止める方法2010-01-13 23:05:24

 「パパ、しゃっくりを止める方法は知っている?」
 「そうね、まずできるだけ長く息を止めて、それからゆっくり大きく息を吸ってみたら」

 「そういうのはもう試した。」
 「あ、そう。だったら思いっきり大量に水を飲んでみたら?」
 「ゲロが出そうなぐらい?」
 「そこまではいらないけど。」

 「ふーん」
 「あるいは、胸のところをトンと叩いてみて、止まるかも。」
 「力一杯?」(拳を握る)
 「いや、まあ、そこまでは別にいいじゃないかな...」

 「そういえばね。何千年前のギリシャの哲学者、医者、作家たちの対話を記した本があって、実はそのなかにもしゃっくりを止める話が出ているのよ。」
 「は...」


 プラトンの対話篇「饗宴」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A5%97%E5%AE%B4)です。
 喜劇作家アリストパネスは、自分が演説する番になってもしゃっくりが止まらないから、しゃっくりを止めてくれるか、でなければ代わりに発言してくれるか、と医者のエリュクシマコスに頼んだ話だったと思います。
 その両方を引き受けたエリュクシマコスが教えたのは、息を止めるか、うがいをするか、それでもだめなら鼻をほじってクシャミを出させる、いまとも大して変わらない方法でした。

 その本で読んだときは、このくだりはおもしろくて、文章の一部を当時の読書ノートに抄録しました。いま探し出してみると、日付は1991年1月20日、もう19年前です。


 「ソクラテスとか知ってる?まあ、古代のすごく有名な哲学者とか作家とか出ていて、いろんな哲学の話をしたりしたけど、どうやってしゃっくりを止めるかの話も出ていて、なんかおもしろいだろう?」

 「もう寝よう。」
 「しゃっくりは大丈夫?」
 「いまじゃないよ。とっくに止まっている。今度またなったときにどうしうかと思って聞いただけ。」
 「あ、そう。」
 「何千年前の人と変わらないから、進歩もあまりしてないということだね。」

コメント

_ sharon ― 2010-01-14 09:12:57

しゃっくりを止める方法、そうですね、自分の子供の時も悩んでいました、特に授業中に。
確かに進歩もあまりしてないですね。

_ yoshi ― 2010-01-14 13:00:27

本当に変わってないよね。
母に教えたしゃっくりを止める方法:口を止めて唾液を飲み込む、止めるまでやる。
効く時ときかない時もあったが、いつもそうしています。っていうか、そうしかできないんだ(V)
そう言えば、人間は母親のお腹に中から既にしゃっくりをしています。

_ T.Fujimoto ― 2010-01-16 00:25:20

sharonさんも悩まされたのですか?確かに止めたくてもなかなか止まらないときは、ちょっとイライラしてしまいます。
理屈はよくわからないですが、そういえば、最近はほとんどしゃっくりをした記憶がないです。

_ T.Fujimoto ― 2010-01-16 00:35:33

yoshiさん、胎児もしゃっくりするんですね。
そういえば、手元にある柳澤桂子の著書にもそんなことが書かれています。受精後第10週ぐらいからだとか。おもしろいですね。

そう言えば、yoshiさんのところで新型インフルエンザの無対策を書いたら、ほどなく本当に例の新型にかかってしまいました。諦めの良さで勝負して、そういう結果になったことは、とりあえずご報告します (^^;)

_ 花子ママ ― 2010-01-16 09:06:18

そういえば、最近はしゃっくりが出ないな。なぜだろう?
「鼻をほじってクシャミ・・・」これは初耳ですな。
いずれも独り言です、気になさらないでくださいね^^
あ、でも最後の一行に感服。
息子さんはきっと哲学者になるかもしれませんね。

_ 花うさぎ ― 2010-01-16 09:29:23

しゃっくりをとめるには、息を止めて心臓求めてしまえばいいですね。(冗談です)

ところで新型インフルエンザですが、うちでは娘が年末に、息子が年初に予防接種をして、まだ誰も罹っていません。
新型インフルエンザは30代半ばをすぎると罹る確率が低くなるらしいと聞いたので、
私自身は罹らないだろうと油断していますが、Fujimotoさんはお若いですね。

_ why ― 2010-01-17 14:42:19

どなたも触れないようで、少し自信がなくなりましたが、しゃっくりをする人にわざと突然大声を出して驚かせたりするって方法はありませんでしたっけ?不意打ちを食らわせることで、しゃっくりを引っ込ませるものです。効き目があるかもしれません。

Fujimotoさん、インフルエンザはもう大丈夫ですか。風邪の一種だと思えばなんてことはないのかもしれませんが、何でも厄介な風邪だとか。早く治るといいですね。ま、一遍引いてしまえば、もうこの冬は大丈夫でしょうから、悪いことばかりではありませんね。お体をお大事に。

_ why ― 2010-01-17 14:52:13

私もこの記事を拝読して感心しました。お子さん、本当に聡明な子ですね。小学生にしてこのセリフ、まさに後生畏るべし。将来楽しみですね。

追伸:柳澤桂子さんの本をお読みになったんですね。なんだか愛読者として嬉しいです。(最近は中国の電子ブックを手に入れたので、中国語の本ばかり読んでいます。翻訳された外国の名作を少し読んでみたら、あまりにもの悪文に頭がくらくらしました。どうやらプロの手によるものではないようです。)

_ T.Fujimoto ― 2010-01-19 22:50:50

花子ママさん、してみれば、しゃっくりもなりやすい年令があるのですかね。残念ながら、というよりうれしいことに、私たちは卒業したのでしょうか?
まあ、哲学者こそ年令制限があるはずで、小学生ではまだまだでしょう。きっとなる、かも知れません、というのなら、そうかも知れませんが (^^;)

_ T.Fujimoto ― 2010-01-19 22:55:42

花うさぎさん、しゃっくりだけでなく、インフルエンザまでもがおじさん、おばさんに遠慮してくれるのですか?職場での流行り方を見ると、あまりそうとも言えないような気がします。
熱の上がり方が違うのはどうも確からしく、この年になると、39度はなかなか越えられないようです。

_ T.Fujimoto ― 2010-01-19 23:04:22

whyさん、不意打ちで驚かすのはなんとなく効きそうで、いい方法かも知れません。ただ、しゃっくりを打ち上げられたあとに不意打ちとは、意外とシチュエーションとして難しいかも知れませんね。

インフルエンザは去年の11月のことですから、もう本人も忘れかけている頃です。経験談に限れば、本当につらいのは一昼夜ぐらいで、あとは軽くフラフラするのがしばらく続く程度で、どうということはなかったのです。

_ T.Fujimoto ― 2010-01-19 23:18:50

whyさん、手元にある柳澤桂子さんの本はだいぶ古くあるもので、ご紹介して頂いてからはほかの著書や夫君の本も読んでみたいと思いましたが、まだ機会に恵まれていません。そのうちに... (^^;)
インフルエンザではなく、中文の悪訳で頭がくらくらですか?まあ、アマチュアの手による翻訳がプロの目に審査されて、なかなか合格は難しいかも知れませんな(笑)。 英文→中文の翻訳を、姉も2,3冊ほど台湾の出版社から出していますが、どうも英文的な言い回しをどう処置するかがだいぶ難儀だったようです。

_ why ― 2010-01-23 22:46:40

Fujimotoさんがお読みになった柳澤桂子さんの本はどんなタイトルのものですか。私は彼女の生命科学の普及本も好きですが、短歌も本当に素敵ですね。科学者ならではの視点とセンスが文学者と違った光り方があって、惹きつけられました。

もともとはプロの作家ではなかったかもしれませんが、専門分野で活躍する科学者の書いたものはやはり知識豊富で、蘊蓄があっていいですね。藤原正彦さんの文章もとても面白いなと思います。大して読んだわけでなく、たまたま手にしたものでしたが、本当に楽しい内容でした。もっと読みたい一人です。

お姉さまはきっと優秀な翻訳家でしょうね。なんてたってFujimotoさんのお姉さまですもの。台湾の文学作品はほとんど知りませんが、大陸よりは遥かにレベルが高いという定評があります。ほんの少し読んだものを見ても確かにその通りだと納得しました。

_ T.Fujimoto ― 2010-01-25 00:36:57

whyさん、こんばんは。姉が訳した本は記念に2冊もらっていますが、どっちも実用書で、文学作品ではありません。

本棚にある柳澤桂子さんの本は「生命の奇跡 DNAから私へ」(PHP新書)です。あとはたぶん講談社ブルーバックスのものを読んだことがあるぐらいです。
しかし仰るとおり、専門分野で卓越した成績をあげた理科系の大家からも、素晴らしい文学作品がたくさん出ていますね。科学の啓蒙書を楽しくわかりやすく書く寺田寅彦さんや大林辰蔵さんのような方もいれば、藤原正彦さんのような方もいます。台湾に住んでいた頃は、陳之藩博士の散文が好きでしたし。

_ 花うさぎ ― 2010-01-25 08:36:51

柳沢女史は、母校の卒業生で有名だったので、若いころにちょっとだけ読んだ記憶があります。
確か、戦後、瀕死の子猫などを拾ってきて、なんとか助かってほしいと思いながら世話をするのだけれど、手の中で息を引き取っていくのをなすすべもなく見守ることしかできなかったという経験の中で生命のたいせつさを感じるようになった(うろおぼえです)というような話を読んだ気がします。
そういう繊細で豊かな感情の上に立って生物学を研究された方の視点は、やはり無機質で感情を排した科学の目しかもたない人たちとは異なり、たしかに深い洞察力を持つものですね。(と言いながら、その後、まったく著書に触れていません)

藤原正彦先生の名前は、最近新聞の書評などで知るようになりました。私が在学していたころに母校で教壇にたってらっしゃったようなのですが、当時、全くその名を知りませんでした。
本当に、私はアンテナが低いというか、知的感度が低い人だったんですね。
なんだか、今、我ながら、呆れてしまっています。

_ yoshi ― 2010-01-26 12:51:13

そっか!そちらもA型に罹ったのか!実は例の記事後まもなく、息子も罹ってしまってよ。自分が情けなくて、“歪嘴和尚”で自嘲した(;;)。当時あの手持ちの対策冊は活用したよ。でもお陰で、不安の多い予防注射はしなくて済んだので、因祸得福(V)/

_ T.Fujimoto ― 2010-01-27 08:01:33

花うさぎさん、科学も人類を幸せにする目的ですから、人間らしい感情を無視してただ無機質に理を極めようとするだけではどこか足らない、というこですかね。
僕が最初に藤原正彦さんの著書を読んだのは、お茶の水女子大で教授をされた頃に出した「遙かなるケンブリッジ 一数学者のイギリス」です。新田次郎、藤原てい夫妻の息子さんだと聞きましたが、そんなことに関係なく、おもしろかったです。たぶん十五年前ぐらいだと思いますが、「若き数学者のアメリカ」の頃はもうまったく知らなかったので、やはりアンテナが低かったのでしょう。

_ T.Fujimoto ― 2010-01-27 22:53:31

yoshiさん、すみません、きっと歪嘴和尚は僕でした。
まあ、因禍得福とまで言えるは別として、少なくとも先苦後楽なのは確かですね(?)
プラス思考で (^^;)

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