【メモ】胡蝶と「上海女人」 ― 2015-06-28 11:21:50
幼い頃、台湾のテレビで「布袋戲」という人形劇を良く見ていました。
雲州大儒俠・史艷文や六合三俠シリーズの話やキャラクターが有名ですが、のちに出た「火燒紅蓮寺」という話も覚えています。
「火燒紅蓮寺」は元々映画でした。
1928年から1931年まで、明星映画公司から、なんとシリーズで計18作品も作られた、武俠映画のはしりであり、人気作品でした。
この映画の主演女優が、胡蝶でした。
胡蝶は、中国映画草創期のスター女優です。1908年上海で生まれ、天津や広州でカトリック教会の学校を学び、そして上海中華電影學校が新設されるや、16歳で応募し、その初期生となった、。
卒業後、天一という制作会社の専属になり、徐欣夫監督の「戰功」でデビューし、やがて映画会社の老舗である明星に移り、「火燒紅蓮寺」シリーズによってその人気は頂点に達しました。
監督に命じられたまま、胡蝶は細いワイヤーに吊られて空中を飛んだり、派手なアクションを演じました。
映画が大いに人気を博し、学校をやめて山奥に入り、剣客になろうとする小学生が出てきたり、社会問題にまでなったため、ついに国民政府から上映禁止命令が出されたほどです。
もっとも、胡蝶は武俠映画のほか、明星の第二スタジオで撮影された現代作品でも主演し、「火燒紅蓮寺」が打ち切られても、その人気が揺らぐことはありませんでした。当時、やはり人気があった阮玲玉はすでに明星を去り、明星製作の映画の主演はほとんど胡蝶が務めたそうです。
1933年1月、映画専門紙「明星日報」が呼びかけた「明星皇后」の投票でも、陳玉梅、阮玲玉を抑えて、胡蝶が圧倒的な投票数を集めていました。
当時の上海は諸外国の「租界」を介して、西洋の文化が輸入されていました。
上海の女性誌の記者馬尚龍によれば、上海という「人文」から「上海女人」という新しい気質が生まれていたそうです。
従来の「男尊女卑」の概念を打ち破ろうとする一方、愛嬌を振り撒き、流行に後れまいと思ったときに、「欲しい、欲しい、どうして欲しい」と連発するが、ひとたび礼儀正しくしなければと気づけば、「しない、いらない、遠慮するわ」の女性に変身するそうです。
「笑うときは歯をみせない。歩くときは素足をみせない。話すときはゆっくり。せっかちにしない。口喧嘩しない。みせびらかさない。おちこまない。高ぶらない。横から口を出さない......」(「中国という世界 ~人・風土・近代」(竹内実、岩波新書)より)
胡蝶に限らず、女優の白楊、阮玲玉ら、歌手の周璇、さらに作家の張愛玲などにも、この気質は際立って見られるそうです。
胡蝶は戦時中に香港に移り住み、1949年に夫が亡くなった後は一時期女優業から身を引きましたが、1959年に復帰し、香港や台湾で撮影されたいくつかの作品に参加しました。
そのうち、名監督李翰祥がメガホンを取った「後門」により、52歳の胡蝶は、第七回のアジア太平洋映画祭の最優秀女優賞を獲得しています。
1975年、台湾からカナダに移り、1989年に帰らぬ人となりました。
雲州大儒俠・史艷文や六合三俠シリーズの話やキャラクターが有名ですが、のちに出た「火燒紅蓮寺」という話も覚えています。
「火燒紅蓮寺」は元々映画でした。
1928年から1931年まで、明星映画公司から、なんとシリーズで計18作品も作られた、武俠映画のはしりであり、人気作品でした。
この映画の主演女優が、胡蝶でした。
胡蝶は、中国映画草創期のスター女優です。1908年上海で生まれ、天津や広州でカトリック教会の学校を学び、そして上海中華電影學校が新設されるや、16歳で応募し、その初期生となった、。
卒業後、天一という制作会社の専属になり、徐欣夫監督の「戰功」でデビューし、やがて映画会社の老舗である明星に移り、「火燒紅蓮寺」シリーズによってその人気は頂点に達しました。
監督に命じられたまま、胡蝶は細いワイヤーに吊られて空中を飛んだり、派手なアクションを演じました。
映画が大いに人気を博し、学校をやめて山奥に入り、剣客になろうとする小学生が出てきたり、社会問題にまでなったため、ついに国民政府から上映禁止命令が出されたほどです。
もっとも、胡蝶は武俠映画のほか、明星の第二スタジオで撮影された現代作品でも主演し、「火燒紅蓮寺」が打ち切られても、その人気が揺らぐことはありませんでした。当時、やはり人気があった阮玲玉はすでに明星を去り、明星製作の映画の主演はほとんど胡蝶が務めたそうです。
1933年1月、映画専門紙「明星日報」が呼びかけた「明星皇后」の投票でも、陳玉梅、阮玲玉を抑えて、胡蝶が圧倒的な投票数を集めていました。
当時の上海は諸外国の「租界」を介して、西洋の文化が輸入されていました。
上海の女性誌の記者馬尚龍によれば、上海という「人文」から「上海女人」という新しい気質が生まれていたそうです。
従来の「男尊女卑」の概念を打ち破ろうとする一方、愛嬌を振り撒き、流行に後れまいと思ったときに、「欲しい、欲しい、どうして欲しい」と連発するが、ひとたび礼儀正しくしなければと気づけば、「しない、いらない、遠慮するわ」の女性に変身するそうです。
「笑うときは歯をみせない。歩くときは素足をみせない。話すときはゆっくり。せっかちにしない。口喧嘩しない。みせびらかさない。おちこまない。高ぶらない。横から口を出さない......」(「中国という世界 ~人・風土・近代」(竹内実、岩波新書)より)
胡蝶に限らず、女優の白楊、阮玲玉ら、歌手の周璇、さらに作家の張愛玲などにも、この気質は際立って見られるそうです。
胡蝶は戦時中に香港に移り住み、1949年に夫が亡くなった後は一時期女優業から身を引きましたが、1959年に復帰し、香港や台湾で撮影されたいくつかの作品に参加しました。
そのうち、名監督李翰祥がメガホンを取った「後門」により、52歳の胡蝶は、第七回のアジア太平洋映画祭の最優秀女優賞を獲得しています。
1975年、台湾からカナダに移り、1989年に帰らぬ人となりました。
コメント
_ 二胡ちゃん ― 2015-06-30 23:41:27
_ T.Fujimoto ― 2015-07-02 07:31:12
二胡ちゃんさん、おはようございます。VCD自体懐かしいです(笑)
台湾へ行かれたのですね。布袋戯博物館は知らなかったのですが、どんな感じですか?「紅蓮寺」のほうは、台語ではなく国語(北京語)だったような気がします。当時の台湾では国語普及運動を進めていて、方言番組を減らすようにテレビ局に圧力がかかったようです。
台湾へ行かれたのですね。布袋戯博物館は知らなかったのですが、どんな感じですか?「紅蓮寺」のほうは、台語ではなく国語(北京語)だったような気がします。当時の台湾では国語普及運動を進めていて、方言番組を減らすようにテレビ局に圧力がかかったようです。
_ 蓮 ― 2015-07-02 07:50:49
>上海という「人文」から「上海女人」という新しい気質が生まれていたそうです。
この「人文」は「文化」とどう違うのでしょうか?
この「人文」は「文化」とどう違うのでしょうか?
_ 二胡ちゃん ― 2015-07-02 17:51:32
元は大稲埕にあったようですよ。「林柳新紀念偶戯博物館」という名でビルの中で4階まであったかな?実演もあるそうですが、行った時は展示品を見ただけでした。屋上にベトナムの水上劇用の小さなプールもありました。
台湾の言語は政治と深く関わっていますものね。最近は台語が音楽でもドラマや映画でもよく聞きますね。閩南語に興味津々ですが(国語もままならぬのに)…
実は台南へも初めて行ったんですよ~。
台湾の言語は政治と深く関わっていますものね。最近は台語が音楽でもドラマや映画でもよく聞きますね。閩南語に興味津々ですが(国語もままならぬのに)…
実は台南へも初めて行ったんですよ~。
_ T.Fujimoto ― 2015-07-07 22:45:52
蓮さん、こんばんは。
「人文」と「文化」は、たぶん大差ないじゃないでしょうか?
試しに手元の辞書を調べると、「人類所創造的文化」と出ました。とは言え、人類以外の生物が文化を創ることは、いまのところまだ考えられないような気がします。
「人文」と「文化」は、たぶん大差ないじゃないでしょうか?
試しに手元の辞書を調べると、「人類所創造的文化」と出ました。とは言え、人類以外の生物が文化を創ることは、いまのところまだ考えられないような気がします。
_ T.Fujimoto ― 2015-07-07 23:09:51
二胡ちゃんさん、こんばんは。
ベトナムの水上人形劇も混在する博物館ですか?おもしろそうですな。
幼い頃、地元の祭りなどでは野台劇をやることがよくありますが、おおむね台語の布袋劇か歌仔劇かになります。それが、1970年代の終わり頃になると、だいぶ少なくなったような気がします。
国語普及のため、当時の政府は台語や客家話と言った方言の使用を抑制し、学校では禁止にされたぐらいです。最近ではむしろ方言の価値を認め、地方の伝統文化を再発掘するほうに力を入れているようで、時代も変われば変わるものです。
ベトナムの水上人形劇も混在する博物館ですか?おもしろそうですな。
幼い頃、地元の祭りなどでは野台劇をやることがよくありますが、おおむね台語の布袋劇か歌仔劇かになります。それが、1970年代の終わり頃になると、だいぶ少なくなったような気がします。
国語普及のため、当時の政府は台語や客家話と言った方言の使用を抑制し、学校では禁止にされたぐらいです。最近ではむしろ方言の価値を認め、地方の伝統文化を再発掘するほうに力を入れているようで、時代も変われば変わるものです。
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3月に台北へ行った時、廸化街の近くに「布袋戯博物館」を偶然発見。覗いてみました。
「紅蓮寺」人気のある話なんですね。武侠もののシリーズは、黄飛鴻しか知りませんでした。