カキシハ オレダ2012-03-29 23:43:10

 大正天皇が没したのは大正15年12月25日だったので、昭和元年はたったの一週間しかなかったのです。

 園氷蔵史が編纂した「昭和初年」という本に、その7日間のドキュメントが記されているそうです。
 元々枢密院臨時会議で新元号を「光文」と決定しながらも、東京日日新聞にスクープされたため、「昭和」に急遽変更したことや、天皇が変わって、それまで続いていた大奥お局制度が廃止されたことや、陸軍少佐池田政佑男爵が殉死したこと、などなど、知らないことだらけです。

 いや、「昭和初年」なる書物を、僕が手に取って読んだわけではありません。垣芝折多という人がその著作で取り上げられたのを目にしただけです。


 昭和38年の「<孫の手>史」も取り上げられています。
 木や竹で作られるあの<孫の手>を、著者の加湯いねは皮膚病専門の病院で看護婦として務めながら、研究したそうです。

 瞠目すべきは、幕末から明治にかけて幾度か流行した「孫の手品評会」でしょうか。形の良い品を、好事家たちが集めて、玩賞したそうです。
 使い方は、本式の作法も決められています。搔き方は「廻し搔き」、「桂馬搔き」といった基本から、「春の嵐」や「千鳥の渡り」などの難しい技まで、通り一遍ではなかったようです。


 ほかには、馬尾一の「私は馬が好きであります」(明治39年)とか。
 子供の頃のクロやアヲといった農馬、日清戦争時の鬼露毛、日露戦争の時の飛竜号など、著者が生活をともにした馬たちのことを綿々と綴っています。
 刊行したのは「馬鹿無茶会」です。
 「バカムチャかい」と読んではいけなくて、正しくは「うましかないさかい」だそうです。


 どうでしょうか。役に立たないが、楽しい話ばかりです。
 しかし、第一書の「掃除のすゝめ」から、第百書の「本を読まずに済ます法」まで、作者が取り上げられた百冊は、ひとつとして聞いたこともありません。

 それもそうです。
 この垣芝折多という作者は著者紹介欄では「経歴不明」という四文字のみなら、取り上げたおまけの第百一書がすなわち本書で、タイトルもずばり「偽書百撰」なのであります。