歳費と田中正造2012-03-07 22:47:03

 ネットニュースを読むと、国会議員の歳費を1人あたり年間300万円削減する方針で、民主党が提案し、自民、公明両党が賛成する方向で調整中だそうです。

 歳費は議員の給与だと言われていますが、議員の給与ほどわかりにくいものもないかも知れません。月額130万円ほどの歳費のほか、文書通信費なるものが月額100万円程になるようです。さらに期末手当、各種手当ても入れると、報酬は合計で年間約4200万円にのぼり、これは世界最高水準だと言われています。


 日本でも、少なくとも19世紀まで、議員の歳費は高額ではなかったようです。
 1899年、軍備拡張のために地租増徴を含む増税案の成立をはかる山県内閣は、議員たちの支持を取り付けるべく、他方で議員歳費増額のための法律改正を目指しました。すなわち議長の歳費 4000 円、副議長の歳費 2000 円、議員歳費 800 円をそれぞれ 5000 円、3000 円、2000 円にと、一挙2.5倍も改定するものでした。
 
 そのとき、田中正造は憲政本党を代表して反対演説しましたが、絶対多数で法案が通ると、正造は「わいろ的である」とし、歳費全額を辞退しました。

 いま手元に、「新・田中正造伝 現代に生きる正造思想」(朝日新聞宇都宮支局)と、「白い河 風聞・田中正造」(立松和平、東京書籍)がありますが、いずれも歳費辞退の件を言及しており、「足尾銅山鉱毒の儀につき質問」を政府提出してから8年経過したときの話です。

 常に金に困り、女中さんにまで借金した田中正造は、郷里のわずかの土地建物もすでに小中農教会に寄付済みで、亡くなった際に残されたのが菅笠と合財袋ひとつだけなのは、有名な話です。
 袋の中は、日記、草稿、新約聖書、帝国憲法とマタイ伝を綴じ合わせたもの、それに渡良瀬川の石ころ数個、鼻紙でした。

 その代わり、佐野町春日岡山惣宗寺で行われた葬儀は、場所の割りに、会葬者が3万人を数えたそうです。