ウイスキーを飲んでハワイへ行こう ― 2011-11-09 23:55:33
ウイスキーを水で割ったりするのは日本人の悪い習慣、酒を造った人に失礼だと、諄々と諭してくれたのは、大学研究室の先輩です。
もうひとつ聞かされたのは、ウイスキーの造り方は途中までビールと同じ、ワインの蒸留酒がブランデーで、ビールの蒸留酒がウイスキーだと言って、原理的には間違いないだそうです。
だいぶ昔の話ですが、つい真偽を確かめず、どちらかと言うと、その蒸留しないほうに心が傾き、酒を作った人に礼を失うこともあまりなく、今日に至っています。
それが年を取って、「生命の水」と昔は言われている、その蒸留したほうも、なんとなくちょっと頂きたくなったこの頃です。
明治44年、後のサントリーである寿屋がはじめて純国産品として発売したヘルメス・ウイスキーは、アルコールに色をつけて香料を入れた程度の代物だったそうです。
「赤玉ポートワイン」で成功した鳥居社長は、国産ウイスキーを作ろうと人材を探していたときに出会ったのが、スコットランド帰りの竹鶴政孝でした。ともに腰をすえてウイスキー醸造の研究に没頭し、10年近い歳月を経て、サントリー・ウイスキーを世に送りました。後に竹鶴は寿屋から離れ、大日本果汁株式会社を設立しましたが、国産ウイスキーのもう一方の雄「ニッカ」は「日果」、つまり大日本果汁株式会社の略です。
寿屋のほうは、1963年にサントリー株式会社に商号も変更しましたが、まだ寿屋だった頃の、その宣伝部には、いま思うと錚々たる顔ぶれが並んでいました。
のちに作家となる開高健、山口瞳、イラストレーターの柳原良平などです。
この三人がチームを組んで、世に出した広告は次々とヒットしました。柳原良平がデザインしたトリスのキャラクターである「アンクルトリス」が人気を博し、「人間らしくやりたいナ」というキャッチコピーも、大いに流行したそうです。
1961年(昭和36年)9月11日の朝日新聞には、人々が目を剥くような広告が載っていました。アンクルトリスが首に花のレイを掛け、トリスで乾杯している絵には、ヤシの木、フラダンスを踊る女性、サーフィンをする男性が配され、山口瞳が考えた「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」のキャッチコピーが、大きく踊っていました。
まだ海外旅行が自由化されていなかった時代で、親父がその頃にもらったパスポートには、外務大臣の直筆サインが入っていたぐらいです。
南国ハワイとなれば、もう夢のまた夢の向こうにある遠い楽園だと思われたのでしょう。
それが抽選だとは言え、330円のトリスを飲めば行けるんだと言われたら、人々のハートががっちり掴まれたのは当然かも知れません。なにしろメーデーのプラカードに「本格的レジャーよ、やって来い!」と要求が書かれた時代です。
しかし、安いウイスキーに海外旅行が当たるのはやりすぎたと、公正取引委員会のほうがクレームを付けたそうです。
もうひとつ聞かされたのは、ウイスキーの造り方は途中までビールと同じ、ワインの蒸留酒がブランデーで、ビールの蒸留酒がウイスキーだと言って、原理的には間違いないだそうです。
だいぶ昔の話ですが、つい真偽を確かめず、どちらかと言うと、その蒸留しないほうに心が傾き、酒を作った人に礼を失うこともあまりなく、今日に至っています。
それが年を取って、「生命の水」と昔は言われている、その蒸留したほうも、なんとなくちょっと頂きたくなったこの頃です。
明治44年、後のサントリーである寿屋がはじめて純国産品として発売したヘルメス・ウイスキーは、アルコールに色をつけて香料を入れた程度の代物だったそうです。
「赤玉ポートワイン」で成功した鳥居社長は、国産ウイスキーを作ろうと人材を探していたときに出会ったのが、スコットランド帰りの竹鶴政孝でした。ともに腰をすえてウイスキー醸造の研究に没頭し、10年近い歳月を経て、サントリー・ウイスキーを世に送りました。後に竹鶴は寿屋から離れ、大日本果汁株式会社を設立しましたが、国産ウイスキーのもう一方の雄「ニッカ」は「日果」、つまり大日本果汁株式会社の略です。
寿屋のほうは、1963年にサントリー株式会社に商号も変更しましたが、まだ寿屋だった頃の、その宣伝部には、いま思うと錚々たる顔ぶれが並んでいました。
のちに作家となる開高健、山口瞳、イラストレーターの柳原良平などです。
この三人がチームを組んで、世に出した広告は次々とヒットしました。柳原良平がデザインしたトリスのキャラクターである「アンクルトリス」が人気を博し、「人間らしくやりたいナ」というキャッチコピーも、大いに流行したそうです。
1961年(昭和36年)9月11日の朝日新聞には、人々が目を剥くような広告が載っていました。アンクルトリスが首に花のレイを掛け、トリスで乾杯している絵には、ヤシの木、フラダンスを踊る女性、サーフィンをする男性が配され、山口瞳が考えた「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」のキャッチコピーが、大きく踊っていました。
まだ海外旅行が自由化されていなかった時代で、親父がその頃にもらったパスポートには、外務大臣の直筆サインが入っていたぐらいです。
南国ハワイとなれば、もう夢のまた夢の向こうにある遠い楽園だと思われたのでしょう。
それが抽選だとは言え、330円のトリスを飲めば行けるんだと言われたら、人々のハートががっちり掴まれたのは当然かも知れません。なにしろメーデーのプラカードに「本格的レジャーよ、やって来い!」と要求が書かれた時代です。
しかし、安いウイスキーに海外旅行が当たるのはやりすぎたと、公正取引委員会のほうがクレームを付けたそうです。
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