鱗のある身体はワニ、背骨は魚、尾は蛇、鼻ずらは豚 ― 2010-05-03 06:30:28
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ネットで検索したら、恐らく乾期の葉が落ちているバオバブ並木を撮った、とても美しい写真が見つかりました(http://yoshiokan.5.pro.tok2.com/madaga/nori162madaga.html)。
バオバブだけではなく、下には横飛びサルとカメレオンの写真も収められています。観光客向けのガイドブックによると、バオバブと原猿類、そしてカメレオンは、マダガスカルの三名物です。
上の写真は前回のバオバブ同様、僕の小学生時代のコレクション、1973年版のカメレオン切手の一部です。
カメレオンという名前は、古典ギリシャ語そしてラテン語に始まるようで、レオンは獅子、カメは「地上の」を意味するそうです。現在の英語やフランス語、そして日本語に至るまで、ほぼそのまま引き継がれていますが、地上を這うライオンと言われても、どこがライオンなのか僕にはピンと来ません。そもそもライオン自体も地上で生息する動物ですし。
中国語では俗に「變色龍」と呼び、カメレオンの特徴である体色の変化をストレートに表して、わかりやすいです。
平原毅の「英国大使の博物誌」を読むと、「カメレオンの体色は変わるといっても、どんな色にでもなれるわけではない。」だそうです。「私がモロッコのカメレオンを観察した限りでは、緑色と茶色系統の色はかなり自由に体現することができ、橙色、黄色、萌黄色、ベイジュとなるし、黒となることも白灰色になることもある。しかし、青系統の空色や紺色にはなれないし、桃色や紅や赤色にもなれないようだ。」
そして、「環境によって体色を変えるのも事実だが、自分の感情によっても体色が変わる。」だそうです。
奥本大三郎の随筆にも、その実例が挙げられています。
「二匹のカメレオンを樹上で対決させてみた。マダカスカルでのことである。現地の人によれば雄と雌だ、とのことであったが、雌がカーッと逆上するように、全身灰色からレンガ色に変色したので驚いた。こういうふうに雌あ派手な色に変化するのは、雄が気に入らないときであって、拒否の印であるという。」
大プリニウスの「博物誌(Naturalis historia)」には、「アフリカにはカメレオンも産するが、インドにおけるほど多くは産しない。」と書いています。実際のところ、カメレオンに関しては、世界の6割の種類がここマダガスカルに生息していると現在は言われ、二千年前の博物誌は、マダガスカルまで包含できていなかったかも知れません。
澁澤龍彦の「私のプリニウス」を引くと、プリニウスは以下のように続きました:
「カメレオンは形も大きさもトカゲのようであるが、足はまっすぐでトカゲより長い。魚と同じく横腹と腹の区別がなく、背骨も魚のように突き出している。身体はずっと小さいけれども、その鼻ずらは豚のそれによく似ている。尾はきわめて長く先が細くなり、蛇のようにくるくる巻いている。爪は鉤状に曲がり、運動はカメのように緩慢で、鱗のある身体はワニのように......」
「しかし何よりも驚くべきは、その体色の変化であろう。実際、カメレオンhしばしば目や尾の色、あるいは身体全体の色を変えるのであり、自分のそばに接近するものとそっくり同じ色になるのだ。但し赤や白にはならない......」
「動物のなかで飲んだり食ったりしないのはカメレオンだけで、空気以外のものを口にしないのである。」
古代ローマの博物学者、よく観察されていると見るか、デタラメを書いていると見るかは、読み人それぞれの自由です。僕としてはおもしろかったし、この程度の誤記でいちいち顔色を変えることもないかな、と思います。
ネットで検索したら、恐らく乾期の葉が落ちているバオバブ並木を撮った、とても美しい写真が見つかりました(http://yoshiokan.5.pro.tok2.com/madaga/nori162madaga.html)。
バオバブだけではなく、下には横飛びサルとカメレオンの写真も収められています。観光客向けのガイドブックによると、バオバブと原猿類、そしてカメレオンは、マダガスカルの三名物です。
上の写真は前回のバオバブ同様、僕の小学生時代のコレクション、1973年版のカメレオン切手の一部です。
カメレオンという名前は、古典ギリシャ語そしてラテン語に始まるようで、レオンは獅子、カメは「地上の」を意味するそうです。現在の英語やフランス語、そして日本語に至るまで、ほぼそのまま引き継がれていますが、地上を這うライオンと言われても、どこがライオンなのか僕にはピンと来ません。そもそもライオン自体も地上で生息する動物ですし。
中国語では俗に「變色龍」と呼び、カメレオンの特徴である体色の変化をストレートに表して、わかりやすいです。
平原毅の「英国大使の博物誌」を読むと、「カメレオンの体色は変わるといっても、どんな色にでもなれるわけではない。」だそうです。「私がモロッコのカメレオンを観察した限りでは、緑色と茶色系統の色はかなり自由に体現することができ、橙色、黄色、萌黄色、ベイジュとなるし、黒となることも白灰色になることもある。しかし、青系統の空色や紺色にはなれないし、桃色や紅や赤色にもなれないようだ。」
そして、「環境によって体色を変えるのも事実だが、自分の感情によっても体色が変わる。」だそうです。
奥本大三郎の随筆にも、その実例が挙げられています。
「二匹のカメレオンを樹上で対決させてみた。マダカスカルでのことである。現地の人によれば雄と雌だ、とのことであったが、雌がカーッと逆上するように、全身灰色からレンガ色に変色したので驚いた。こういうふうに雌あ派手な色に変化するのは、雄が気に入らないときであって、拒否の印であるという。」
大プリニウスの「博物誌(Naturalis historia)」には、「アフリカにはカメレオンも産するが、インドにおけるほど多くは産しない。」と書いています。実際のところ、カメレオンに関しては、世界の6割の種類がここマダガスカルに生息していると現在は言われ、二千年前の博物誌は、マダガスカルまで包含できていなかったかも知れません。
澁澤龍彦の「私のプリニウス」を引くと、プリニウスは以下のように続きました:
「カメレオンは形も大きさもトカゲのようであるが、足はまっすぐでトカゲより長い。魚と同じく横腹と腹の区別がなく、背骨も魚のように突き出している。身体はずっと小さいけれども、その鼻ずらは豚のそれによく似ている。尾はきわめて長く先が細くなり、蛇のようにくるくる巻いている。爪は鉤状に曲がり、運動はカメのように緩慢で、鱗のある身体はワニのように......」
「しかし何よりも驚くべきは、その体色の変化であろう。実際、カメレオンhしばしば目や尾の色、あるいは身体全体の色を変えるのであり、自分のそばに接近するものとそっくり同じ色になるのだ。但し赤や白にはならない......」
「動物のなかで飲んだり食ったりしないのはカメレオンだけで、空気以外のものを口にしないのである。」
古代ローマの博物学者、よく観察されていると見るか、デタラメを書いていると見るかは、読み人それぞれの自由です。僕としてはおもしろかったし、この程度の誤記でいちいち顔色を変えることもないかな、と思います。
「スペイン」の聞き較べ ― 2010-05-08 01:30:29
ホアキン・ロドリーゴの有名になりすぎた「アランフェス協奏曲」は、多くの人に愛聴されるだけでなく、さまざまなジャンルのミュージシャンにインスピレーションを与えているようです。
巨匠級に限定しても、パコ・デ・ルシア(Paco De Lucía)がオーケストラとの共演、マイルス・デイビス(Miles Dewey Davis)とギル・エヴァンス(Gil Evans)のコラボレーション「スケッチ・オブ・スペイン」、MJQ(Modern Jazz Quarter)やジム・ホール(Jim Hall)による演奏、そしてチック・コリア(Chick Corea)とReturn to Foreverによる「スペイン」などがあげられます。
チック・コリアの「スペイン」は、ここからさらにさまざまな形の演奏を生んでいます。ちょっと検索するだけでも、例えばGRPオールスターズやラベック姉妹(Marielle et Katia Labèque)、さらに「人類共通の歌を捜して」(http://tbbird.asablo.jp/blog/2009/09/07/4566246)で登場させて頂いたボビー・マクファーリン(Bobby McFerrin)など、いまやジャズの名曲になっています。
この曲が好きです。
YouTubeでもたくさんヒットしました。
こちら本家、チック・コリアとReturn to Foreverの音です:
これは、Jazz Pistolsというドイツで活動するジャズグループのライブ映像です:
グラミー賞も取ったアル・ジャロウ(Al Jarreau)は、この曲に詩をつけて歌いあげました:
一昨年に他界した越智順子さんも、この「スペイン」を十八番にして、ここぞという時に歌います。僕は横浜ドルフィーでその迫力のライブを見聞きすることができて、感激しました。 あまり音の良いのはないですが、一応これもYouTubeで映像が見つかりました。
「スペイン」の聞き較べをしているうちに、夜が更けてしまいそうです。
巨匠級に限定しても、パコ・デ・ルシア(Paco De Lucía)がオーケストラとの共演、マイルス・デイビス(Miles Dewey Davis)とギル・エヴァンス(Gil Evans)のコラボレーション「スケッチ・オブ・スペイン」、MJQ(Modern Jazz Quarter)やジム・ホール(Jim Hall)による演奏、そしてチック・コリア(Chick Corea)とReturn to Foreverによる「スペイン」などがあげられます。
チック・コリアの「スペイン」は、ここからさらにさまざまな形の演奏を生んでいます。ちょっと検索するだけでも、例えばGRPオールスターズやラベック姉妹(Marielle et Katia Labèque)、さらに「人類共通の歌を捜して」(http://tbbird.asablo.jp/blog/2009/09/07/4566246)で登場させて頂いたボビー・マクファーリン(Bobby McFerrin)など、いまやジャズの名曲になっています。
この曲が好きです。
YouTubeでもたくさんヒットしました。
こちら本家、チック・コリアとReturn to Foreverの音です:
これは、Jazz Pistolsというドイツで活動するジャズグループのライブ映像です:
グラミー賞も取ったアル・ジャロウ(Al Jarreau)は、この曲に詩をつけて歌いあげました:
一昨年に他界した越智順子さんも、この「スペイン」を十八番にして、ここぞという時に歌います。僕は横浜ドルフィーでその迫力のライブを見聞きすることができて、感激しました。 あまり音の良いのはないですが、一応これもYouTubeで映像が見つかりました。
「スペイン」の聞き較べをしているうちに、夜が更けてしまいそうです。
愛の風 ― 2010-05-20 00:27:50
美浦・鈴木勝美厩舎にアイノカゼという名前の5歳馬がいます。
アイノカゼ、アユノカゼというのは東風です。
万葉集の末二巻の中、アユノカゼに東風の二字を当てたものが有名なので、多くの辞書はこの語を東風としています。しかし、本来は風の向きに関係なく、海岸に向かってまともに吹く風のことだと、柳田国男が「海上の道」で述べています。
「東風」という漢字を当てたのは、越中文人の居住地が、ちょうど西隅に偏していたことを意味するもの、と柳田先生が続きました。
あるいはそうではなく、これは私見ですが、「東風」の漢字にしたのは例の赤壁の諸葛亮、「万事具備、只欠東風」の典故に依ったかも知れません。
ともかく、アユノカゼもしくはアイノカゼというのは、数々の渡船を安らかに港に入れさせたり、または様々な海の好ましい漂流物、ものぐさを渚に吹き寄せ、海岸に打ち上げたりする風のことだそうです。
柳田国男は取り上げなかったのですが、アユ(アイ)とは会う(会い)のことだとする説もあります。
アイが吹かぬか荷が無うて来ぬか
たゞしやにがたの河止めか
というような歌になると、入船に都合の良い風はすべてアイの風となり、海に住む者にとって心のときめく風が悉く該当します。
ほとんど、愛の風。
僕の20年以上の競馬歴のなか、いままで一番馬券で損したのがキングヘイローです。
そのなぜか愛しいキングヘイローの仔アイノカゼは、今年の2月に20ヶ月ぶりの2勝目を挙げて、ただいま休養中です。巡り合わせが悪いか、これまでのところ、好ましいものぐさを、いっさい僕に吹き寄せてはくれていません。
アイノカゼ、アユノカゼというのは東風です。
万葉集の末二巻の中、アユノカゼに東風の二字を当てたものが有名なので、多くの辞書はこの語を東風としています。しかし、本来は風の向きに関係なく、海岸に向かってまともに吹く風のことだと、柳田国男が「海上の道」で述べています。
「東風」という漢字を当てたのは、越中文人の居住地が、ちょうど西隅に偏していたことを意味するもの、と柳田先生が続きました。
あるいはそうではなく、これは私見ですが、「東風」の漢字にしたのは例の赤壁の諸葛亮、「万事具備、只欠東風」の典故に依ったかも知れません。
ともかく、アユノカゼもしくはアイノカゼというのは、数々の渡船を安らかに港に入れさせたり、または様々な海の好ましい漂流物、ものぐさを渚に吹き寄せ、海岸に打ち上げたりする風のことだそうです。
柳田国男は取り上げなかったのですが、アユ(アイ)とは会う(会い)のことだとする説もあります。
アイが吹かぬか荷が無うて来ぬか
たゞしやにがたの河止めか
というような歌になると、入船に都合の良い風はすべてアイの風となり、海に住む者にとって心のときめく風が悉く該当します。
ほとんど、愛の風。
僕の20年以上の競馬歴のなか、いままで一番馬券で損したのがキングヘイローです。
そのなぜか愛しいキングヘイローの仔アイノカゼは、今年の2月に20ヶ月ぶりの2勝目を挙げて、ただいま休養中です。巡り合わせが悪いか、これまでのところ、好ましいものぐさを、いっさい僕に吹き寄せてはくれていません。
これも愛の風 ― 2010-05-23 22:55:45
愛の風は、実在します。
すでにプリニウスが「博物誌」で、雄のナツメヤシと雌のナツメヤシについて詳しく記してあるのに、動物と同じように植物にも性があることは、なぜか十数世紀にも渡って、なかなか正しく認識されていませんでした。
植物に性があるだけでなく、動物同様に近親繁殖を嫌うものが多いのも知られています。しかしなにぶん植物はおおかた定住していて自由に動けないので、どうしても仲介者や外部の代理人が必要になります。
「動物媒介」と呼ばれる戦略を取る植物がたくさん存在します。昆虫、鳥、あるいは人間などを運び屋として利用しますが、そのためには色鮮やかな花、甘い花蜜、もしくは大きな果実をぶら下げる必要があります。
第二の戦略こそが風媒植物たちが取っている、「風に乗る恋」とでも言える方法です。このタイプの植物は、基本的に花は小さくて目立たないですが、その代わりに大量の花粉を作らなければなりません。確実性よりも量、鉄砲を撃ちまくる形で勝負します。
陸の大部分の面積で、現在生態学的に支配的な位置にある植物は後者の、風を媒介で受粉する種類です。世界中の植物のうち、風を恋の代理人とするのは、種類の数は10パーセントしかならないですが、個体数で数えると生えている植物の90パーセントが風媒植物になるそうです。
「風の博物誌」(ライアル・ワトソン)によると、ほとんどの花粉が飛ぶには最低時速10キロメートルの風が必要です。風が時速20キロメートルまで達して、気流に乗ってしまえば、平均的な花粉粒は100キロメートル離れた地点に到達することも可能です。
ネズの花粉が出発地から480キロメートルの地点で採集された記録があります。カラマツは700キロメートル、エゾマツは1000キロメートル、一部のモミの木にいたっては1200キロメートル......
ロマンチストなら、花粉たちの、愛を見つけるための果てしない長旅を想像して、その幸せを祈りましょう。
面倒な花粉症を思い出したら、そういう気分にならないかも知れませんが。
すでにプリニウスが「博物誌」で、雄のナツメヤシと雌のナツメヤシについて詳しく記してあるのに、動物と同じように植物にも性があることは、なぜか十数世紀にも渡って、なかなか正しく認識されていませんでした。
植物に性があるだけでなく、動物同様に近親繁殖を嫌うものが多いのも知られています。しかしなにぶん植物はおおかた定住していて自由に動けないので、どうしても仲介者や外部の代理人が必要になります。
「動物媒介」と呼ばれる戦略を取る植物がたくさん存在します。昆虫、鳥、あるいは人間などを運び屋として利用しますが、そのためには色鮮やかな花、甘い花蜜、もしくは大きな果実をぶら下げる必要があります。
第二の戦略こそが風媒植物たちが取っている、「風に乗る恋」とでも言える方法です。このタイプの植物は、基本的に花は小さくて目立たないですが、その代わりに大量の花粉を作らなければなりません。確実性よりも量、鉄砲を撃ちまくる形で勝負します。
陸の大部分の面積で、現在生態学的に支配的な位置にある植物は後者の、風を媒介で受粉する種類です。世界中の植物のうち、風を恋の代理人とするのは、種類の数は10パーセントしかならないですが、個体数で数えると生えている植物の90パーセントが風媒植物になるそうです。
「風の博物誌」(ライアル・ワトソン)によると、ほとんどの花粉が飛ぶには最低時速10キロメートルの風が必要です。風が時速20キロメートルまで達して、気流に乗ってしまえば、平均的な花粉粒は100キロメートル離れた地点に到達することも可能です。
ネズの花粉が出発地から480キロメートルの地点で採集された記録があります。カラマツは700キロメートル、エゾマツは1000キロメートル、一部のモミの木にいたっては1200キロメートル......
ロマンチストなら、花粉たちの、愛を見つけるための果てしない長旅を想像して、その幸せを祈りましょう。
面倒な花粉症を思い出したら、そういう気分にならないかも知れませんが。
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