焼き塩2009-06-09 00:31:02

 漢の王莽が下した詔書(六筦之令)に、「夫『塩』食肴之將;『酒』百藥之長」という名言があります。
 塩も酒も国営にする、という命令です。
 なるほど、酒は三代以来天子から庶民まで心酔した天の美禄ですが、本当に人間が生活したうえで欠かせないのは、塩のほうです。
 なにしろ、ホメロスは「神聖な」とし、ピタゴラスは「正義」の表れ、としているぐらいです。


 青木正児の「酒の肴」を読むと、晋書・載記第十四から、苻朗と塩の話を引用しています。
 会稽王の司馬道子が苻朗のために江南のご馳走を並べて、食事が終わった後にどうだったと聞いたところ、大変結構ですが、ただ塩味が少し生なばかり。後で料理人に聞いてみると、はたしてその通りであった、という話です。

 この塩味の「生」はどういうことか、塩を長く貯蔵するとニガリが滴って、苦みが減るのだが、また新しく苦みがあるのが「生」なのだろう、と青木先生が推論しています。


 「泣き塩」という古典落語(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%A3%E3%81%8D%E5%A1%A9)があって、「焼き塩」を売る爺さんが登場します。
 塩の欠点は湿気に弱いところですが、粗塩を火にかけて、吸湿性の苦汁を除いたのが「焼き塩」というわけです。

 粗塩を火にかけて、ニガリを除いたのが「焼き塩」というわけですが、ひとつは吸湿性の苦汁を除けば、サラサラで湿気に強い塩ができるんだと思いますが、もうひとつは昔、手早く苦みを減らすためではないかと思われます。

 サラダの英語saladは、古フランス語から英語に入った時はすでに生野菜料理のことでしたが、語源は元々塩(salt)と同じ、塩味を付けたものだそうです。
 もちろん、この場合は焼いてはいけなくて、火を通すと野菜炒めかなにかになってしまいます。