富と夢の国の貧しい人々2016-10-04 22:28:07

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 この写真(↑)を、「アメリカ文化のヒーローたち」で、本間長世先生は以下のように評しました。
 「アーカンソー州で写した貧しい家族のやせた母親の長い大きな顔ににじむ困苦の表情は、さながら彼の絵画の作品に現れる顔の、ある種のものを思い起こさせる。」

 撮影したのはベン・シャーン、核実験で被爆した第五福竜丸をテーマにしたシリーズなどにより、日本でもよく知られる画家、写真家です。


 第一次世界大戦によりヨーロッパは荒廃したものの、アメリカでは被害が限定的で、日本もそうでしたが、むしろ戦争特需により一時的な繁栄がもたされました。日本ではすぐにその反動で不景気になりましたが、アメリカではその繁栄が長く続き、その分、バブルがはじけ、1929年10月ニューヨーク株式市場の大暴落に始まった大恐慌は、凄まじい規模のものとなりました。
 なんと4年間で、工業生産が50%減り、1933年には失業者が1300万人に昇ったそうです。
 大恐慌がアメリカ社会に貧困をもたらし、特に南部の小作農民や最下層のプアホワイトたちは窮状に陥って、屋根も崩れているような家に住み、いつか衣食住がなんとか満たされるようなときが来ることを願うばかりでした。
 作家のアースキン・コールドウェルが述べたところによれば、子供たち栄養失調のために体型が歪み、女たちはぼろをまとって小銭を、男たち空腹に耐えかねて蛇、牛糞、粘土を食べるまでになったそうです。

 1932年、フランクリン・ルーズヴェルトが大統領になり、ほとんど伝説的とさえなったニューディール政策を掲げ、それまでは否定されてきた政府による経済介入を行いました。
 大統領のブレーントラストのひとり、グリーンベルト・タウン計画の責任者でもあった、元コロンビア大学教授のレックスフォード・ガイ・タグウェルは、ロイ・ストライカーを中心に写真家たちのチームを作りました。
  写真家たちはアメリカのあらゆる地域に出動し、大恐慌がアメリカ各地にどのような影響を及ぼしたか、再定住局や農場保障局がどんなプロジェクトを行ったかを示す写真を撮るように指示されました。
 当時農場保障局の別の課に雇われていたベン・シャーンは、1935年秋に南部を三ヶ月間旅行して撮影した写真も、ストライカーは歴史部のほうでも使わせてもらうようにしたようです。


 第二次世界大戦後、飢えに貧しさに苦しむ日本人は、通り行くアメリカ兵からチョコレートやガムをもらい、アメリカがどこまでも裕福で豊かな国だと思い描き、そのわずか十数年前、アメリカにかくも貧しく、悲惨な世界が存在したなど、まったく思いもしなかったのでしょう。

【レース回顧】 2016菊花賞2016-10-23 17:35:39

 逃げたミライヘノツバサが淀みのない流れを作り、一番人気のサトノダイヤモンドは中団、二番人気の皐月賞馬ディーマジェスティはサトノダイヤモンドを見るようにやや後ろに構える展開でした。

 曇り空の下の京都競馬場、第77回の菊花賞であります。
 道中二番手以降は入れ替わりの忙しい競馬となりましたが、三コーナーでディーマジェスティが外から追い上げると、その内にいるサトノダイヤモンドも合わせて手応え良くポジションを上げていきます。
 直線に入ると、早いのではないかと思うほど、サトノダイヤモンドがすぐに先頭に立ちましたが、ディーマジェスティとともに追い上げるレインボーラインやエアスピネルの追撃を問題にせず、突き放すように先頭で淀3000メートルのゴールを通過しました。
 サトノダイヤモンドはこれで、オーナーとともに悲願のG1初制覇となりましたが、元々世代レベルの高い現三歳世代でもピカイチの素質を持っている、と言われる馬です。均整の取れた馬体に軽快なフットワーク、血統的にも奥がありそうです。距離が短くなればディーマジェスティの巻き返しもあるかも知れませんが、凱旋門賞に遠征して菊花賞不出走になったマカヒキも帰ってきます。そのなかでも、サトノダイヤモンドは間違いなく、これからの中央競馬をリードして行くエースだと思わせるだけのレースをしたと思います。

 さあ、秋は続きます、