横浜外国人墓地紳士録(1) ~チャールズ・ワーグマン2015-03-25 00:22:40

 明治31年の主婦の日記に、「ポンチ絵」という言葉が登場したのを、私がここで書きました(http://tbbird.asablo.jp/blog/2013/12/27/7159520)が、まんが風の絵を指す「ポンチ絵」という言葉は、どうやら日本最初の漫画雑誌「ジャパン・パンチ」に由来するそうです。

 「ジャパン・パンチ」は、幕末期に記者として来日したチャールズ・ワーグマン(Charles W」irgman)が、イギリスの風刺漫画雑誌「パンチ」を模して、1862年(文久元年)に創刊したものです。
 というようなことを、ウィキペディアでチャールズ・ワーグマンを探した際に知りました。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3


 チャールズ・ワーグマンのことが気になったのは、手元の「根岸の森の物語 ~競馬は横浜で生まれ育った」(馬の博物館編、神奈川新聞社かなしん出版)に氏が紹介されているからで、「ジャパン・パンチ」には根岸競馬の漫画が50点以上掲載されたようです。

 「ジャパン・パンチ」だけでなく、チャールズ・ワーグマンは元々ロンドンで発行されている「イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ」の特派記者兼挿絵画家として来日したもので、「イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ」でも日本の競馬草創期について描いていました。
 例えば、1865年7月8日付の同紙に、英国駐屯軍の練兵場で開催された英第20連隊の駐屯軍競馬に関する記事が掲載されていました。英国駐屯軍の練兵場は、いまの「港の見える丘公園」から神奈川近代文学館のある丘を控えた中区諏訪町一帯にあると言われています。この駐屯軍競馬で、「今回は初めて、日本の役人が参加した。...(中略)...それらの日本人騎乗紳士らのうちの二人は振り落とされたが、彼らのなかなか勇敢で、夕方には別のレースに出て見事に乗りこなしました。」
 チャールズ・ワーグマンによるスケッチには、羽織、はかま、丁髷姿のサムライたち8人が馬に乗って一斉にスタートした様子が描かれています。
 この武士招待競走のことは、「ジャパン・ヘラルド」にも、「この日の呼び物レースでもあったが、素晴らしい競馬だった。」と記しています。

 このとき、チャールズ・ワーグマンはすでに日本人女性の小沢カネと結婚し、長男の一郎も誕生していました。
 ウィキペディアの記載によれば、1867年、ハリー・パークスやアーネスト・サトウに伴い、徳川慶喜との会見に臨むため大坂に赴き、慶喜の肖像画も描いたそうです。


 チャールズ・ワーグマンは58歳、横浜で死去し、いまも横浜外国人墓地で眠っています。