青函連絡船 ― 2008-03-09 01:57:16
金曜日、出勤前にNHKをぼうと見ていたら、青函連絡船始航100周年のニュースが報じられました。
残念ながら、一度も乗船したことがなかったのですが、青函連絡船の響きは、僕にも、北の大地への憧れを抱かせるものです。
ニュースでは摩周丸が写っていましたが、1988年に廃止された青函連絡船、その最終便を運航したのは、たぶんいまも青森の港、青函連絡船の旧乗り場に繋留されている八甲田丸です。
少なくとも、前回青森を訪れたときはまだ、活躍していた往時を思い出されそうな姿を留めています。
青函連絡船始航時は、当時最新鋭の蒸気タービン船を使って、青森-函館間を4時間で結んだそうです。
もっと古い時代では、本州から北海道へ渡るのも並大抵なものではなかったようです。十数年前に駅でもらった小冊子を読むと、いかに苛酷な旅であったかが伺えます。
なんでも、風向きや潮流などが思わしくないと、動力を持たない船は思うように進められず、ひと月も海上さまよったり、最悪そのまま目的地にたどり着けなかったこともあったそうです。
そうすると、船内は汚れ物にまみれ、食料、特に貴重な真水は厳しくコントロールされ、阿鼻叫喚の地獄絵巻になってしまいました。
江差の灯火をようやく見えた頃、船内では見ず知らずの他人もが、手を取り合って喜んだそうです。
まさに隔世の感です。
残念ながら、一度も乗船したことがなかったのですが、青函連絡船の響きは、僕にも、北の大地への憧れを抱かせるものです。
ニュースでは摩周丸が写っていましたが、1988年に廃止された青函連絡船、その最終便を運航したのは、たぶんいまも青森の港、青函連絡船の旧乗り場に繋留されている八甲田丸です。
少なくとも、前回青森を訪れたときはまだ、活躍していた往時を思い出されそうな姿を留めています。
青函連絡船始航時は、当時最新鋭の蒸気タービン船を使って、青森-函館間を4時間で結んだそうです。
もっと古い時代では、本州から北海道へ渡るのも並大抵なものではなかったようです。十数年前に駅でもらった小冊子を読むと、いかに苛酷な旅であったかが伺えます。
なんでも、風向きや潮流などが思わしくないと、動力を持たない船は思うように進められず、ひと月も海上さまよったり、最悪そのまま目的地にたどり着けなかったこともあったそうです。
そうすると、船内は汚れ物にまみれ、食料、特に貴重な真水は厳しくコントロールされ、阿鼻叫喚の地獄絵巻になってしまいました。
江差の灯火をようやく見えた頃、船内では見ず知らずの他人もが、手を取り合って喜んだそうです。
まさに隔世の感です。
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