咬文嚼字、食言而肥 ― 2011-05-24 23:11:17
書籍は精神の糧ですが、場合によっては口にも入れます。
日本語のページは見つかりませんでしたが、噂で聞く「The International Edible Book Festival」、もしくは「Edible Book Day」で検索したら、たくさんのページにヒットしました。
「国際食書日」とでも訳しましょうか?
書籍をテーマにした料理を作っては、みんなで見て頬張る、はなはた意味不明ですが、なぜか結構流行っているようです。
この「国際食書日」に4月1日が選ばれたのは、フランスの美食家Jean-Anthelme Brillat-Savarinの誕生日だから、というのもありますが、ウィキペディアによれば、エイプリルフールの日が「食言」するのに最も相応しいから、でもあります。
2000年頃から始まるイベントで、まだそう長い歴史はありません。
「古今著聞集」巻十六に「無沙汰の智了房」という一段があり、登場している智了房という男は、すでに十三世紀に、しかも本物の書物を食べていたかも知れません。
智了房という人は万事だらしがないですが、能筆なところだけが取り柄で、ある人から「古今集」の写本を頼まれました。
ところがなかなか納品しないので、依頼主がしびれを切らし、もういいから、預けた「古今集」と写すための料紙を返してくれ、と言ってきました。
すると、先だってのころ痢病(下痢)が続いた際、紙に困りまして、やむをえず、料紙をみな使ってしまいましたのですが...と智了房が言いました。
じゃ、もういいから、預けた本だけ返してくれ、というと、「其事に候、其本をも紙みそうづに皆つかうまつりて候をばいかゞし候べき」と返ってきました。
「紙みそうづ」で全部使ってしまいましたが、どうしましょうか、とまあ、人を食ったような答えでした。
「みそうづ」は「みぞうず」、「未曽水」、つまり雑炊のことです。
この文章には少なくとも2つの解釈があります。
雑炊みたいな下痢便がひきもきらず、本もすべて尻拭き紙に使ってしまった、というのがそのひとつです。(<http://home.att.ne.jp/red/sronin/_koten/0093chiryobo.htm>)
いやいや、「みぞうず」に「紙」が冠されているから、これは紙を入れた雑炊のことに違いない、といま読んでいる「たべもの噺」(小学館ライブラリー)の作者・鈴木晋一は説いています。
「古今著聞集」の本文だけ見れば、確かに紙を入れた雑炊説が妥当ぽいですが、はたしてそんな食べ物が日本にあったのでしょうか?
そこで作者は、「料理物語」に出てくる杉原紙を入れる「杉原もち」の話や、疫病のまじないとして「めぐり」という紙入り米粉団子のすいとんが皇族に進められた話をあげ、自説に押し通そうとしています。考えてみれば随分とどうでも良い話ですが、横道にそれた面白さがたまりません。
ともかく鈴木説の通りだとすると、智了房は薬餌のようなものとして「古今集」を食べた、ということになります。
まあ、実際は預かった物を横領して何かに換えてしまったのを、ウソで飾り、言い訳をしたに過ぎないようにも思えますが。
だいぶ時代が下っての話になりますが、出久根達郎の小説「むほん物語」に、挿話として、書物を土鍋で煮て食べた侍が出てきます。
江戸は天明年間、大飢饉の惨状を目にしたひとりの江戸番の侍が、救荒食を研究し、身辺の悪書を煮て食することに思いつきました。味噌で味付けし、山椒を振って匂いを消し、さてと試食しました。
ところが外し忘れた綴じ紐が絡み合って、ついノドに詰まり、あげなく窒息してしまいました。武士にあるまじき死に方で、お家の恥だからと、藩は内聞にしました...
フィクションですが、ホラばかりでないと、作者は随筆でネタばらしもしています。
佐藤信淵という経済学者、思想家が食べました、と。蔵書を水につけてふやかし、それを蒸して団子を作り、一家が飢えを凌ぎました。村人も信淵に倣い、寺の経巻を食って餓死を免れたそうです。
味がどうこうの話ではなく、肥えるほど食えたものでもなさそうです。
日本語のページは見つかりませんでしたが、噂で聞く「The International Edible Book Festival」、もしくは「Edible Book Day」で検索したら、たくさんのページにヒットしました。
「国際食書日」とでも訳しましょうか?
書籍をテーマにした料理を作っては、みんなで見て頬張る、はなはた意味不明ですが、なぜか結構流行っているようです。
この「国際食書日」に4月1日が選ばれたのは、フランスの美食家Jean-Anthelme Brillat-Savarinの誕生日だから、というのもありますが、ウィキペディアによれば、エイプリルフールの日が「食言」するのに最も相応しいから、でもあります。
2000年頃から始まるイベントで、まだそう長い歴史はありません。
「古今著聞集」巻十六に「無沙汰の智了房」という一段があり、登場している智了房という男は、すでに十三世紀に、しかも本物の書物を食べていたかも知れません。
智了房という人は万事だらしがないですが、能筆なところだけが取り柄で、ある人から「古今集」の写本を頼まれました。
ところがなかなか納品しないので、依頼主がしびれを切らし、もういいから、預けた「古今集」と写すための料紙を返してくれ、と言ってきました。
すると、先だってのころ痢病(下痢)が続いた際、紙に困りまして、やむをえず、料紙をみな使ってしまいましたのですが...と智了房が言いました。
じゃ、もういいから、預けた本だけ返してくれ、というと、「其事に候、其本をも紙みそうづに皆つかうまつりて候をばいかゞし候べき」と返ってきました。
「紙みそうづ」で全部使ってしまいましたが、どうしましょうか、とまあ、人を食ったような答えでした。
「みそうづ」は「みぞうず」、「未曽水」、つまり雑炊のことです。
この文章には少なくとも2つの解釈があります。
雑炊みたいな下痢便がひきもきらず、本もすべて尻拭き紙に使ってしまった、というのがそのひとつです。(<http://home.att.ne.jp/red/sronin/_koten/0093chiryobo.htm>)
いやいや、「みぞうず」に「紙」が冠されているから、これは紙を入れた雑炊のことに違いない、といま読んでいる「たべもの噺」(小学館ライブラリー)の作者・鈴木晋一は説いています。
「古今著聞集」の本文だけ見れば、確かに紙を入れた雑炊説が妥当ぽいですが、はたしてそんな食べ物が日本にあったのでしょうか?
そこで作者は、「料理物語」に出てくる杉原紙を入れる「杉原もち」の話や、疫病のまじないとして「めぐり」という紙入り米粉団子のすいとんが皇族に進められた話をあげ、自説に押し通そうとしています。考えてみれば随分とどうでも良い話ですが、横道にそれた面白さがたまりません。
ともかく鈴木説の通りだとすると、智了房は薬餌のようなものとして「古今集」を食べた、ということになります。
まあ、実際は預かった物を横領して何かに換えてしまったのを、ウソで飾り、言い訳をしたに過ぎないようにも思えますが。
だいぶ時代が下っての話になりますが、出久根達郎の小説「むほん物語」に、挿話として、書物を土鍋で煮て食べた侍が出てきます。
江戸は天明年間、大飢饉の惨状を目にしたひとりの江戸番の侍が、救荒食を研究し、身辺の悪書を煮て食することに思いつきました。味噌で味付けし、山椒を振って匂いを消し、さてと試食しました。
ところが外し忘れた綴じ紐が絡み合って、ついノドに詰まり、あげなく窒息してしまいました。武士にあるまじき死に方で、お家の恥だからと、藩は内聞にしました...
フィクションですが、ホラばかりでないと、作者は随筆でネタばらしもしています。
佐藤信淵という経済学者、思想家が食べました、と。蔵書を水につけてふやかし、それを蒸して団子を作り、一家が飢えを凌ぎました。村人も信淵に倣い、寺の経巻を食って餓死を免れたそうです。
味がどうこうの話ではなく、肥えるほど食えたものでもなさそうです。
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