降服の跡地に黄金が飛んでいた2010-04-08 00:21:57

 オーロパークは黄金競馬場ですが、英語のちょっと古めかしい使い方で、蝶の好きな人を「オーレリアン(aurelion)」と呼ぶ言い方があるようです。
 蝶マニアをオーレリアンと呼ぶのは、奥本大三郎の随筆によれば、蝶の蛹に金色の紋をちらしたものがあるからだそうです。蛹のことを「クリサリス(chrysalis)」と言いますが、chrys(o)もそもそもは「金」を意味するギリシャ語なのです。

 日本のタテハチョウの蛹の金箔はつつましく感じてしまうほど、台湾のオオムサキマダラなどは、覗き込む人の顔が写るほど、金属の光沢がすごいです。
 そのピカピカの蛹から出てくるオオムサキマダラも、濃い紫の大きな翅を持つ豪華蝶です。オオムサキマダラに限らず、現地で「鳳蝶」と呼ぶ大型蝶は何種類もあって、台湾が日本に統治されていた時代から人気があって、大量に捕獲されていました。


 先日にモーナ・ルーダオ(Mona Rudao、莫那魯道)の霧社事件を書きました(http://tbbird.asablo.jp/blog/2010/02/15/4881027)が、惨劇の舞台になっている南投県霧社から埔里(いまは台中県)のあたりが、まさに蝶類の大産地でした。
 僕が小学生になったかならなかったのとき、埔里に連れて行ってもらったことがあります。ちょうど蝶捕獲の全盛期だったと思いますが、山間に住む採取人が大量に蝶類を捕まえて、ビニール袋かなんかに入れてほとんど目方で売るようです。埔里の加工工場に集められた夥しい蝶は、標本にだけでなく、コップ敷きなど、色鮮やかな翅だけを使って、土産店に売られるような品もたくさん作られていました。

 何十年もそんなことをしていて、蝶の数が一向に減らないのは、どこか人間の知らない黄金郷があって、金色燦然な蛹が累々とぶら下がっていたんだろう、と言われていました。
 しかしその蝶の加工工芸品も、近年ではすっかり廃れてしまったようです。