婦女銀袋賽 ~女のへそくり競走2017-11-03 16:23:33

 香港競馬会のホームページによる、明後日11月5日の香港競馬は「莎莎婦女銀袋日」と名付けられています。(http://campaigns.hkjc.com/ladies-purse-day/ch/?b_cid=EWHPRTC_1_1718SALPD_GEN_171010」)。
 「莎莎」はスポンサーの会社名で、この日のメインレースはG3の「婦女銀袋賽」であると紹介されています。婦女銀袋賽の英文名称は"Ladies' Purse"ですが、香港競馬でも最も歴史の長いレースのひとつです。
 Wikipediaによると、最初に行われたのはなんと1846年であり、しばらく中断され、第二次大戦後に再開されたのは1947年だったそうです。

 実は、このLadies' Purseこそが、競馬の歴史上で賞金体系が出来上がるきっかけを作ったレースのひとつだと言われています。


 1862年の5月1日と5月2日、日本では横浜で初めての組織的な近代競馬が開催されましたが、そのプログラムが掲載されている1862年4月26日付の「ジャパン・ヘラルド」を、早坂昇治が著作の「文明開化うま物語 ~根岸競馬と居留外国人」(有隣新書)で紹介しています。
 開催2日目(5月2日)の第4競走は、「婦人財嚢競走 半マイル 賞金四〇ドルのスイープ・ステータス」と出ています。

 財嚢とはサイフであり、婦人財嚢競走はすなわち"Ladies' Purse"ほかなりません。
 わかりやすく言えば、競馬を見物に来た婦人たちに袋を回して寄付を募り、それを賞金の一部にあてる、という趣向のレースです。この日第2レースの「チャレンジ・カップ」は賞金が100ドル、第5レースの「横浜賞」は賞金が75ドル。婦人財嚢競走の正規賞金(40ドル)はほかのレースより低いですが、予め奥様方のご寄付を期待しているゆえ、だと思われます。

 婦人財嚢競走は、横浜競馬が根岸に移った後も毎開催のように行われ、戦前では上野不忍池の共同競馬や目黒競馬で実施された記録が残っています。
 香港の「婦女銀袋賽」では、その昔、勝ち馬の騎手は婦人たちとともに昼食をとれる特典付き、だと言われています。日本ではそのような慣習を聞いたことがないが、それでも勝てば、名士の貴婦人から祝辞とともに賞金が入った袋が渡されます。他レースより出走馬が多いことからも、その人気の高さが伺われます。

 1970年の「神奈川の写真誌 明治初期」(有隣堂) では、「女のへそくり競走」とあだ名を付けています。
 まさに、なんとか婦人たちのへそくりを巻き上げようと、居留地の紳士たちが知恵を絞ってひね出したアイデアだったかも知れません。