昭和最後の名勝負(1) ― 2007-08-14 23:52:24
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今夜は久々に古いビデオを見ました。
携帯で撮った写真から読みとれるかどうかですが、「タマモクロス・オグリキャップ・サッカーボーイ 昭和最後の名勝負」というタイトルです。
僕が購入した最初の競馬関係のビデオであり、内容もまさに僕が競馬を見るようになった最初の年、昭和63年(1988年)の競馬を彩る3頭の名馬にスポットライトをあてたものです。
3頭のうち、まず頭角を現したのはサッカーボーイです。
3歳時(いまの数え方でいえば2歳時)に4戦3勝し、しかもGI阪神3歳ステークスのレコード勝ちを含めて、勝った3戦は、2着馬に9馬身、10馬身、8馬身をつけての圧勝ばかりで、ビデオ中に実況の杉本アナが思わず口走ったように、あのテンポイントを連想させ、テンポイントの再来だと期待されていました。
競馬界の勢力地図は平成になってから概ね西高東低の状態が続きますが、昭和の後期はと言えば、関西馬はずっと関東馬に押されていた時代で、いまと比べれば東西対抗の意識もまだ強く、あのテンポイントのように美浦所属馬に一矢を報う、という期待が大きかったと思います。
社台牧場がダイナの冠号をやめた一期生だったように記憶していますが、
あとから考えると、いきなり印象的な名前を持つスターホースが現れたものです。
但しそのサッカーボーイにしても、競走生活は順風満帆なものではありませんでした。
春のクラシックでは体調や足元に不安があったり、皐月賞は回避し、なんとか出走したダービーも惨敗でした。
ようやく狂っていた調子を取り戻したのは、中日スポーツ4歳ステークスで皐月賞馬ヤエノムテキを撃破し、函館記念で前年のダービー馬メリーナイスに5馬身差をつけてレコード勝ちした頃でしょうか。
サッカーボーイの世代は、あとから見るとタレントが豊富でレベルの高いジェネレーションになりますが、世代の強い馬たちがクラシックレースでいい勝負を演じたわけではありません。
そもそもシーズンを通じて満足な状態で走れた馬さえあまりいません。強いて言えば、後年に秋の天皇賞ももぎ取ったヤエノムテキぐらいなものです。
サクラチヨノオーはダービーの栄冠が最後の勝ち鞍になったし、強行軍でダービー2着まで辿り付いたメジロアルダンも、ダービー後の故障から復活するまで1年間かかりました。
後に歴史的名馬にまで成長したスーパークリークは晩成型で、ぎりぎり間に合った菊花賞で大輪を咲かせましたが、春の時点では無名馬でした。
なにより笠松公営競馬から転入して、無敵な快進撃を続けていたオグリキャップは、クラシック登録がなく(当時はまだ追加登録制度もなく)、裏街道を走らざるを得なかったんです。
後に競馬史上にほとんど類を見ない大人気を得るまでに至ったオグリキャップは、地方12戦10勝(8連勝中)の成績をひさげて、中央入りした最初のレースは、サッカーボーイとサクラチヨノオーとが初めて対戦した弥生賞の裏番組、いまはなきGIII、ペガサスステークスでした。
外から豪快に差し切り、2着のラガーブラックに3馬身差も離したとき、「噂に違わぬ強豪!」だと実況されましたが。
レース前では、ラガーブラックから離された2番人気。半信半疑、微妙な扱いだったようです。
今夜は久々に古いビデオを見ました。
携帯で撮った写真から読みとれるかどうかですが、「タマモクロス・オグリキャップ・サッカーボーイ 昭和最後の名勝負」というタイトルです。
僕が購入した最初の競馬関係のビデオであり、内容もまさに僕が競馬を見るようになった最初の年、昭和63年(1988年)の競馬を彩る3頭の名馬にスポットライトをあてたものです。
3頭のうち、まず頭角を現したのはサッカーボーイです。
3歳時(いまの数え方でいえば2歳時)に4戦3勝し、しかもGI阪神3歳ステークスのレコード勝ちを含めて、勝った3戦は、2着馬に9馬身、10馬身、8馬身をつけての圧勝ばかりで、ビデオ中に実況の杉本アナが思わず口走ったように、あのテンポイントを連想させ、テンポイントの再来だと期待されていました。
競馬界の勢力地図は平成になってから概ね西高東低の状態が続きますが、昭和の後期はと言えば、関西馬はずっと関東馬に押されていた時代で、いまと比べれば東西対抗の意識もまだ強く、あのテンポイントのように美浦所属馬に一矢を報う、という期待が大きかったと思います。
社台牧場がダイナの冠号をやめた一期生だったように記憶していますが、
あとから考えると、いきなり印象的な名前を持つスターホースが現れたものです。
但しそのサッカーボーイにしても、競走生活は順風満帆なものではありませんでした。
春のクラシックでは体調や足元に不安があったり、皐月賞は回避し、なんとか出走したダービーも惨敗でした。
ようやく狂っていた調子を取り戻したのは、中日スポーツ4歳ステークスで皐月賞馬ヤエノムテキを撃破し、函館記念で前年のダービー馬メリーナイスに5馬身差をつけてレコード勝ちした頃でしょうか。
サッカーボーイの世代は、あとから見るとタレントが豊富でレベルの高いジェネレーションになりますが、世代の強い馬たちがクラシックレースでいい勝負を演じたわけではありません。
そもそもシーズンを通じて満足な状態で走れた馬さえあまりいません。強いて言えば、後年に秋の天皇賞ももぎ取ったヤエノムテキぐらいなものです。
サクラチヨノオーはダービーの栄冠が最後の勝ち鞍になったし、強行軍でダービー2着まで辿り付いたメジロアルダンも、ダービー後の故障から復活するまで1年間かかりました。
後に歴史的名馬にまで成長したスーパークリークは晩成型で、ぎりぎり間に合った菊花賞で大輪を咲かせましたが、春の時点では無名馬でした。
なにより笠松公営競馬から転入して、無敵な快進撃を続けていたオグリキャップは、クラシック登録がなく(当時はまだ追加登録制度もなく)、裏街道を走らざるを得なかったんです。
後に競馬史上にほとんど類を見ない大人気を得るまでに至ったオグリキャップは、地方12戦10勝(8連勝中)の成績をひさげて、中央入りした最初のレースは、サッカーボーイとサクラチヨノオーとが初めて対戦した弥生賞の裏番組、いまはなきGIII、ペガサスステークスでした。
外から豪快に差し切り、2着のラガーブラックに3馬身差も離したとき、「噂に違わぬ強豪!」だと実況されましたが。
レース前では、ラガーブラックから離された2番人気。半信半疑、微妙な扱いだったようです。
宮崎競馬 ― 2007-07-27 23:33:11
明日7月28日、JRA小倉競馬のメイン競走は、「宮崎競馬100年記念」というレース名で行われます。
宮崎競馬と言っても、いまとなっては知る人も少なくなったかも知れませんが、厳密に言えば、中央競馬では1994年までに「宮崎競馬」が開催されていました。
もちろん、1963年に地方の宮崎競馬の廃止以降、本当の宮崎競馬場には競馬が開催されていません。
手元の「風の伝説」(広見直樹 著、1991年出版)の記述を引用すれば、
「宮崎競馬場は市内のほぼ中央にあった。以前はその名前のとおり競馬場として使用されていたこともあったが、現在はサラブレッドの育成牧場として生まれ変わっている。デビュー前の競走馬がここで育てられ、訓練され、出番を待つ。」
「その片方で、現役生活を終えたものの、その成績があまり芳しくなかったという理由で種牡馬にも繁殖牝馬にもなれなかった馬たちが、第二の人生を送るためにここに集まっている。」
では、なぜ中央競馬で「宮崎競馬」が1994年まで続いていたかと言えば、日本中央競馬会が成立した1948年当時の競馬法が、改訂もせず、延々と使われていたためです。
まず、競馬法が最初に公布された1923年(大正12年)には、根岸、東京、京都、阪神、札幌、函館、福島、新潟、中山、小倉、そして宮崎の11クラブが競馬開催団体として認められ、それぞれ4日間の開催が最初の「公認競馬」として許されました。
では国営競馬時代を経て、1948年中央競馬会として発足した1948年の時点は、と言えば、競馬法第2条では、中央競馬会が開催する競馬場として、札幌、函館、福島、新潟、中山、東京、横浜(根岸)、中京、京都、阪神、小倉、宮崎の12カ所が記載され、それぞれ年間3開催×8日間の競馬が行えることになっています。
年間合わせて288日(12×3×8)の開催ができる中央競馬会は、実際競走を行っていない横浜と宮崎の日数を、「代替開催」という形で他の競馬場に振り分けたわけです。
この幻の「宮崎競馬」は1994年の競馬法改正で、正式に終焉をみました。
農林水産省令により、中央競馬会で開催できる競馬場は、横浜と宮崎を除く10カ所に変わり、開催日数もそれぞれ最大5開催になったためです。
最初の宮崎競馬が開催されたのは、1907年11月だそうです。
確かに今年で100年になるわけですが、100年記念としてはちょっと早く、冬の開催まで待てないものかと思いました。
宮崎競馬と言っても、いまとなっては知る人も少なくなったかも知れませんが、厳密に言えば、中央競馬では1994年までに「宮崎競馬」が開催されていました。
もちろん、1963年に地方の宮崎競馬の廃止以降、本当の宮崎競馬場には競馬が開催されていません。
手元の「風の伝説」(広見直樹 著、1991年出版)の記述を引用すれば、
「宮崎競馬場は市内のほぼ中央にあった。以前はその名前のとおり競馬場として使用されていたこともあったが、現在はサラブレッドの育成牧場として生まれ変わっている。デビュー前の競走馬がここで育てられ、訓練され、出番を待つ。」
「その片方で、現役生活を終えたものの、その成績があまり芳しくなかったという理由で種牡馬にも繁殖牝馬にもなれなかった馬たちが、第二の人生を送るためにここに集まっている。」
では、なぜ中央競馬で「宮崎競馬」が1994年まで続いていたかと言えば、日本中央競馬会が成立した1948年当時の競馬法が、改訂もせず、延々と使われていたためです。
まず、競馬法が最初に公布された1923年(大正12年)には、根岸、東京、京都、阪神、札幌、函館、福島、新潟、中山、小倉、そして宮崎の11クラブが競馬開催団体として認められ、それぞれ4日間の開催が最初の「公認競馬」として許されました。
では国営競馬時代を経て、1948年中央競馬会として発足した1948年の時点は、と言えば、競馬法第2条では、中央競馬会が開催する競馬場として、札幌、函館、福島、新潟、中山、東京、横浜(根岸)、中京、京都、阪神、小倉、宮崎の12カ所が記載され、それぞれ年間3開催×8日間の競馬が行えることになっています。
年間合わせて288日(12×3×8)の開催ができる中央競馬会は、実際競走を行っていない横浜と宮崎の日数を、「代替開催」という形で他の競馬場に振り分けたわけです。
この幻の「宮崎競馬」は1994年の競馬法改正で、正式に終焉をみました。
農林水産省令により、中央競馬会で開催できる競馬場は、横浜と宮崎を除く10カ所に変わり、開催日数もそれぞれ最大5開催になったためです。
最初の宮崎競馬が開催されたのは、1907年11月だそうです。
確かに今年で100年になるわけですが、100年記念としてはちょっと早く、冬の開催まで待てないものかと思いました。
【馬関係の本】「根岸の森の物語」 ― 2007-07-21 23:28:11
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題記のタイトルからはわかりにくいかも知れませんが、「競馬は横浜で生まれ育った」というサブタイトルもついていて、根岸競馬場について書かれている本です。
「馬の博物館」による編集で、かなしんブックスの1冊として、1995年に神奈川新聞社、かなしん出版から発行、発売されました。
2部構成ですが、第1部は「競馬のふるさと根岸」という題名がつき、この本のメインと言える部分です。
内容は、前に取り上げた「文明開化うま物語」(http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/05/23/1527686)と、いくぶん被っています。
早坂さんの著作同様、この本も、1861年か1862年かに横浜で始まった最初の洋式競馬についてかなりのページをさいています。
そのあと、1866年の初期完成から、根岸競馬場の歴史を、その間起きた様々な出来事も織り交ぜながら、ほぼ年代順に追ってわかりやすく述べています。
例えば、日本在住の外国人、駐在軍の主導による初期は、日本政府の要人もよく出席し、国際友好の舞台になっていたことが、手にとって理解できました。(明治天皇は実に13回も根岸競馬場に来られていたそうです。)
以降、馬券黙許、公認競馬、馬券禁止、馬券再開と時代が流れ、1942年(昭和17年)の最後の秋開催まで、日本近代競馬の発祥地かつ中心地であった根岸の競馬についても、かなりわかりやすく編集されています。
第2部「根岸競馬の思い出」は、元騎手や競馬会関係者による座談会の形式になっています。
まあ、座談会の形式ゆえ内容が散漫になっているのは確かですが、根岸競馬場は坂の上り下りがきつく、カーブも危険なコースであったとか、競馬開催の昼休みには一流の演奏者を招いてのクラシック音楽演奏が行われていたとか、ほかではあまり聞けない、おもしろい話題も出ています。
それと、この本の特徴は、なんと言っても貴重な古い写真や図版が多数掲載されていることです。
文中に挿入されているモノクロの写真や絵だけでなく、本の最初にカラーページが数頁ありますが、そちらも、
根岸競馬場の円形馬場が見える、明治4年に描かれた横浜一覧の絵画とか、
1865年の英字新聞に掲載されていた駐屯軍競馬のイラストを着色した絵とか、
横浜開港資料館に所蔵している明治や大正時代の根岸競馬場の写真とか、
大正や昭和初期、根岸競馬場で実際発売された勝ち馬投票券(馬券)とか、
競馬ファンなら眺めながらいろいろ想像力を馳せ、十分に楽しめるかと思います。
題記のタイトルからはわかりにくいかも知れませんが、「競馬は横浜で生まれ育った」というサブタイトルもついていて、根岸競馬場について書かれている本です。
「馬の博物館」による編集で、かなしんブックスの1冊として、1995年に神奈川新聞社、かなしん出版から発行、発売されました。
2部構成ですが、第1部は「競馬のふるさと根岸」という題名がつき、この本のメインと言える部分です。
内容は、前に取り上げた「文明開化うま物語」(http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/05/23/1527686)と、いくぶん被っています。
早坂さんの著作同様、この本も、1861年か1862年かに横浜で始まった最初の洋式競馬についてかなりのページをさいています。
そのあと、1866年の初期完成から、根岸競馬場の歴史を、その間起きた様々な出来事も織り交ぜながら、ほぼ年代順に追ってわかりやすく述べています。
例えば、日本在住の外国人、駐在軍の主導による初期は、日本政府の要人もよく出席し、国際友好の舞台になっていたことが、手にとって理解できました。(明治天皇は実に13回も根岸競馬場に来られていたそうです。)
以降、馬券黙許、公認競馬、馬券禁止、馬券再開と時代が流れ、1942年(昭和17年)の最後の秋開催まで、日本近代競馬の発祥地かつ中心地であった根岸の競馬についても、かなりわかりやすく編集されています。
第2部「根岸競馬の思い出」は、元騎手や競馬会関係者による座談会の形式になっています。
まあ、座談会の形式ゆえ内容が散漫になっているのは確かですが、根岸競馬場は坂の上り下りがきつく、カーブも危険なコースであったとか、競馬開催の昼休みには一流の演奏者を招いてのクラシック音楽演奏が行われていたとか、ほかではあまり聞けない、おもしろい話題も出ています。
それと、この本の特徴は、なんと言っても貴重な古い写真や図版が多数掲載されていることです。
文中に挿入されているモノクロの写真や絵だけでなく、本の最初にカラーページが数頁ありますが、そちらも、
根岸競馬場の円形馬場が見える、明治4年に描かれた横浜一覧の絵画とか、
1865年の英字新聞に掲載されていた駐屯軍競馬のイラストを着色した絵とか、
横浜開港資料館に所蔵している明治や大正時代の根岸競馬場の写真とか、
大正や昭和初期、根岸競馬場で実際発売された勝ち馬投票券(馬券)とか、
競馬ファンなら眺めながらいろいろ想像力を馳せ、十分に楽しめるかと思います。
【馬関係の本】「サラブレッドの誕生 (山野浩一 著) ― 2007-07-05 23:44:49
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いよいよメインディッシュとでも言いましょうか。
競馬文化界最高峰である山野浩一先生の名作、朝日新聞社から発行された「サラブレッドの誕生」です。
1990年のJRA馬事文化賞を受賞された作品です。
同じ年に賞を分け合った、白井透さん(サラブレッド血統センター)が編纂した「ファミリーテーブル」は、超大作の血統資料であるのに比べると、「サラブレッドの誕生」のほうは、見た目も普通な、200ページぐらいの新書です。
しかし、内容は凄いです。
15年前初めて読み終えたとき、まさに感動で震えが止まらなかった、と記憶しています。
編成は、この類の本としてはよくあるパターンで、第1部は「サラブレッド前史」と題し、化石にしか残っていないエクウス、カバルスから、アラブ馬、サラブレッドへと述べています。
ここで、軽種馬の歴史上重要な存在である、スペイン乗馬学校(スパニシュ・ライトシューレ)のリピッツァナー種、プロイセンのトラケナー種をきちんと扱っているあたりは、さすがです。
一般イギリスやオーストラリアで書かれているサラブレッドの研究書は、最初からサラブレッドが最良な品種であるかのように書いていますが、山野先生はしかし、エクリップスのような馬が、当時の世界で桁外れした速い競走馬であるわけがないと、明確に指摘しています。
第2部は「競馬の冒険」という題名ですが、「冒険」という言葉を選んだところに特色がよく出ていると思います。
競馬というゲームを道具に、民間主体で配合を発展してきたイギリスのサラブレッドが、政府による大規模で画一的な生産を行ったドイツのトラケナーを凌駕した理由は、デモクラシーと、その具現であるスペキュレーションであると、ここでは説いています。
占いと賭の権利こそデモクラシーの基本。人間は様々な「賭」を行って、多くの失敗とともに大きな繁栄を掴んだ動物であると言っているようです。
一見やや奇抜でおもしろい論点ですが、考えれば、かなり賛同できる説ではあります。
ギャンブル(ゲームと同語源)は、未知な物に対する選択・投資、およびその選択の成功に対して報酬を得るシステムであり、広く見れば、人類の進化・発展に大きく寄与している要因になっているのは、ほぼ間違いないと想われます。
しかし、このおもしろい論点も、本書の主題でないことを、「あとがき」では明示しています。
たぶんライアル・ワトソン博士の言葉を借りれば、人間はネオフィリアであり、馬はそうではありません。しかし、馬の持つ恒常的自然と平穏は、逆に人間にとって大きな憧れ、だと山野先生は言います。
第3部は「サラブレッドの生産」と題して、血統・育成・馴致の話を広く扱っています。
が、それに留まらず、もっと深いことも書いています。
「馬は単に気高く見えるだけでなく、実際に極めて誇り高い動物であり ...(中略)... 人と馬とはある約束事の範囲内で極めて高い信頼関係を築けるもので、その信頼関係の中で馬に競走意欲を与え、馬自身が競走に挑むところに競馬というスポーツのすばらしさがあると思う。 ...(中略)... もし、馬が本気で反抗すると誰も馬に競走をさせることはできない。」
「今も馬を畜生として従属させることで人のために働かせることができると考える人は多い。確かに独裁政権のもとで多くの人々を従属させて、独裁者の思うままに人々を動かしてきた数々の歴史があり、...(中略)... そうした考え方を持つことがどれだけ人間を軽蔑すべき物にしているかを考えるべきであろう。」
「馬は草食動物として限られた世界観の中で生きている。それだけ人と比較すると極めてナイヴな存在であることは否定できない。しかし、それは進化史におきてそのような必要性がなかったからで、...(中略)... 馬は人以上に愛を知っている。人以上に信頼すべき物に対して誠意を示す。人以上に自分の使命に対して勇敢であり、使命から逃げようとしない。人以上に我慢強く寛大で律儀である。そうしたことのすべてが、現在の人間に最も求められているものでもあるのではないだろうか。」
馬について書きながら、人間についても書いています。
いよいよメインディッシュとでも言いましょうか。
競馬文化界最高峰である山野浩一先生の名作、朝日新聞社から発行された「サラブレッドの誕生」です。
1990年のJRA馬事文化賞を受賞された作品です。
同じ年に賞を分け合った、白井透さん(サラブレッド血統センター)が編纂した「ファミリーテーブル」は、超大作の血統資料であるのに比べると、「サラブレッドの誕生」のほうは、見た目も普通な、200ページぐらいの新書です。
しかし、内容は凄いです。
15年前初めて読み終えたとき、まさに感動で震えが止まらなかった、と記憶しています。
編成は、この類の本としてはよくあるパターンで、第1部は「サラブレッド前史」と題し、化石にしか残っていないエクウス、カバルスから、アラブ馬、サラブレッドへと述べています。
ここで、軽種馬の歴史上重要な存在である、スペイン乗馬学校(スパニシュ・ライトシューレ)のリピッツァナー種、プロイセンのトラケナー種をきちんと扱っているあたりは、さすがです。
一般イギリスやオーストラリアで書かれているサラブレッドの研究書は、最初からサラブレッドが最良な品種であるかのように書いていますが、山野先生はしかし、エクリップスのような馬が、当時の世界で桁外れした速い競走馬であるわけがないと、明確に指摘しています。
第2部は「競馬の冒険」という題名ですが、「冒険」という言葉を選んだところに特色がよく出ていると思います。
競馬というゲームを道具に、民間主体で配合を発展してきたイギリスのサラブレッドが、政府による大規模で画一的な生産を行ったドイツのトラケナーを凌駕した理由は、デモクラシーと、その具現であるスペキュレーションであると、ここでは説いています。
占いと賭の権利こそデモクラシーの基本。人間は様々な「賭」を行って、多くの失敗とともに大きな繁栄を掴んだ動物であると言っているようです。
一見やや奇抜でおもしろい論点ですが、考えれば、かなり賛同できる説ではあります。
ギャンブル(ゲームと同語源)は、未知な物に対する選択・投資、およびその選択の成功に対して報酬を得るシステムであり、広く見れば、人類の進化・発展に大きく寄与している要因になっているのは、ほぼ間違いないと想われます。
しかし、このおもしろい論点も、本書の主題でないことを、「あとがき」では明示しています。
たぶんライアル・ワトソン博士の言葉を借りれば、人間はネオフィリアであり、馬はそうではありません。しかし、馬の持つ恒常的自然と平穏は、逆に人間にとって大きな憧れ、だと山野先生は言います。
第3部は「サラブレッドの生産」と題して、血統・育成・馴致の話を広く扱っています。
が、それに留まらず、もっと深いことも書いています。
「馬は単に気高く見えるだけでなく、実際に極めて誇り高い動物であり ...(中略)... 人と馬とはある約束事の範囲内で極めて高い信頼関係を築けるもので、その信頼関係の中で馬に競走意欲を与え、馬自身が競走に挑むところに競馬というスポーツのすばらしさがあると思う。 ...(中略)... もし、馬が本気で反抗すると誰も馬に競走をさせることはできない。」
「今も馬を畜生として従属させることで人のために働かせることができると考える人は多い。確かに独裁政権のもとで多くの人々を従属させて、独裁者の思うままに人々を動かしてきた数々の歴史があり、...(中略)... そうした考え方を持つことがどれだけ人間を軽蔑すべき物にしているかを考えるべきであろう。」
「馬は草食動物として限られた世界観の中で生きている。それだけ人と比較すると極めてナイヴな存在であることは否定できない。しかし、それは進化史におきてそのような必要性がなかったからで、...(中略)... 馬は人以上に愛を知っている。人以上に信頼すべき物に対して誠意を示す。人以上に自分の使命に対して勇敢であり、使命から逃げようとしない。人以上に我慢強く寛大で律儀である。そうしたことのすべてが、現在の人間に最も求められているものでもあるのではないだろうか。」
馬について書きながら、人間についても書いています。
【馬関係の本】「天馬駆ける」 (永田雄三、鈴木八郎 共著) ― 2007-06-20 00:00:28
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このシリーズも、数えれば7回目です。
http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/04/11/1394198
http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/04/12/1398019
http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/04/17/1413570
http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/05/12/1501812
http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/05/23/1527686
http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/06/04/1555875
本の題材をあまり限定していないので、ネタは探せばいっぱいありますが、どちらかというと、そろそろ気力のほうが尽きてきました (^^;)
ちょっと軽めな1冊。
1991年北海道タイムス社より発行されたこの「天馬駆ける」を、僕が本屋で見つけて入手したのは、十年前ぐらいだったと思います。
あるいは、もうちょっと前かも知れませんが。
本書は2つの部からなります。
第1部は「ウマい話にはのろう きみだってウマ通になれる」という、いささかふざけた題名をつけていますが、ほとんど自由気まま、そしてかなりフランクに、いろいろな馬関連の話を、計86篇の短文として綴っています。
「左足と右足どちらが大きい」とか、「ウマ語ってナニ語」とか、「長男と次男どちらが強い」とか、「馬の金の玉」とか、どうでもいいとは言わないが、言わないけれど、ほとんどどうでもいいような話が結構あります。
それがどうして、読んでみると結構おもしろかったりします。
肩凝らずに軽く読めるエッセイとしては楽しいし、案外おもしろいデータや知識もなかに含まれたりします。
第2部「馬と人と」は一転して真面目な伝記ものです。
鎌田三郎、下河辺孫一、吉田善哉、岡田繁幸という、いずれも日本のサラベレッド競馬史に残る、残るであろう4人を、
取り上げています。
社台の吉田さん、ビッグレッド等の岡田さんはともかく、下河辺牧場の創設者について詳しく書いているものを、ほかのところでは読んだことがないので、おもしろく読めました。
ちょっと軽めな1冊だと書いてしまったが、改めて読み直すと、実際はそうではなく、いろいろな素材が積み込まれた、ぎっしりと重みのある書物であります。
このシリーズも、数えれば7回目です。
http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/04/11/1394198
http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/04/12/1398019
http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/04/17/1413570
http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/05/12/1501812
http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/05/23/1527686
http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/06/04/1555875
本の題材をあまり限定していないので、ネタは探せばいっぱいありますが、どちらかというと、そろそろ気力のほうが尽きてきました (^^;)
ちょっと軽めな1冊。
1991年北海道タイムス社より発行されたこの「天馬駆ける」を、僕が本屋で見つけて入手したのは、十年前ぐらいだったと思います。
あるいは、もうちょっと前かも知れませんが。
本書は2つの部からなります。
第1部は「ウマい話にはのろう きみだってウマ通になれる」という、いささかふざけた題名をつけていますが、ほとんど自由気まま、そしてかなりフランクに、いろいろな馬関連の話を、計86篇の短文として綴っています。
「左足と右足どちらが大きい」とか、「ウマ語ってナニ語」とか、「長男と次男どちらが強い」とか、「馬の金の玉」とか、どうでもいいとは言わないが、言わないけれど、ほとんどどうでもいいような話が結構あります。
それがどうして、読んでみると結構おもしろかったりします。
肩凝らずに軽く読めるエッセイとしては楽しいし、案外おもしろいデータや知識もなかに含まれたりします。
第2部「馬と人と」は一転して真面目な伝記ものです。
鎌田三郎、下河辺孫一、吉田善哉、岡田繁幸という、いずれも日本のサラベレッド競馬史に残る、残るであろう4人を、
取り上げています。
社台の吉田さん、ビッグレッド等の岡田さんはともかく、下河辺牧場の創設者について詳しく書いているものを、ほかのところでは読んだことがないので、おもしろく読めました。
ちょっと軽めな1冊だと書いてしまったが、改めて読み直すと、実際はそうではなく、いろいろな素材が積み込まれた、ぎっしりと重みのある書物であります。
サクラローレルの思い出とcherry laurel ― 2007-06-05 23:46:36
土曜日のユニコーンステークス、人気のロングプライドが非常に強いレースを見せました。
順調に成長すれば、やがてはダート重賞、G1の常連となりそうな気がします。
父のサクラローレルにとっては、たぶんサクランセンチュリー以来、久々のJRA重賞勝ち馬です。
サクラローレルはレインボークエスト(Rainbow Quest)産の持ち込み、かのナリタブライアンと同期です。
デビューした頃から、比較的に評判は高かったが、3歳(旧4歳)時は球節炎などでクラシックに出走できなく、4歳(旧5歳)春も天皇賞を前に重い骨折を発症するなど、若い頃は故障が多く、出世が遅れていました。
5歳(旧6歳)、長期休養から復帰すると、いきなり絶頂期に入りました。
この年、宝塚記念とJCを回避していますが、天皇賞・春と有馬記念を勝ち、JRA年度代表馬にも選ばれました。
翌年、凱旋門賞挑戦のためにフランスまで行きましたが、前哨戦のレース中にまたも故障し、本番に出走することなく、引退しました。
現役時はそれほど応援していた馬ではなかった、なぜか引退されてしまうと妙に気になる1頭です。結局G1は2勝止まりでしたが、能力はそれ以上に高い、という印象がずっと頭にあります。
サクラローレルの名前は、オーナーの冠号「サクラ」に月桂樹の「ローレル」(Laurel)からなり、「ローレル」は母ローラローラからの連想かも知れませんが、真否は未考です。
さて、知られているように、ローレルは、アポロンとダフネのあの有名な物語に由来し、ギリシャやローマ時代から神聖視された樹木の一つです。
古代オリンピック・ゲームの優勝者に月桂冠を与えるという話を時々聞くが、手元の「英米故事伝説辞典」によると、それは正しくないようです。
すなわち、古代ギリシャ人は、Pythian gamesの優勝者に月桂樹の冠(wreath of laurels)、Olympic gamesの優勝者にはオリーブの冠(wreath of olives)を与えたようです。
ちなみに、Nemean gamesには green parsely、Isthmian gamesには green pineleavesを、その優勝者に与えたそうです。
最後に小咄を1つ。
前記「英米故事伝説辞典」の続き、「英文学風物誌」からの転載によれば、「坊間に 'laurel' の名称で知られている植物は、通例真正の laurel ではなく、一見類似の植物、特に cherry laurel である。」 と出ています。
cherry laurel ですが、
日本語に訳すと、サクラローレルだったりして (^^;)
順調に成長すれば、やがてはダート重賞、G1の常連となりそうな気がします。
父のサクラローレルにとっては、たぶんサクランセンチュリー以来、久々のJRA重賞勝ち馬です。
サクラローレルはレインボークエスト(Rainbow Quest)産の持ち込み、かのナリタブライアンと同期です。
デビューした頃から、比較的に評判は高かったが、3歳(旧4歳)時は球節炎などでクラシックに出走できなく、4歳(旧5歳)春も天皇賞を前に重い骨折を発症するなど、若い頃は故障が多く、出世が遅れていました。
5歳(旧6歳)、長期休養から復帰すると、いきなり絶頂期に入りました。
この年、宝塚記念とJCを回避していますが、天皇賞・春と有馬記念を勝ち、JRA年度代表馬にも選ばれました。
翌年、凱旋門賞挑戦のためにフランスまで行きましたが、前哨戦のレース中にまたも故障し、本番に出走することなく、引退しました。
現役時はそれほど応援していた馬ではなかった、なぜか引退されてしまうと妙に気になる1頭です。結局G1は2勝止まりでしたが、能力はそれ以上に高い、という印象がずっと頭にあります。
サクラローレルの名前は、オーナーの冠号「サクラ」に月桂樹の「ローレル」(Laurel)からなり、「ローレル」は母ローラローラからの連想かも知れませんが、真否は未考です。
さて、知られているように、ローレルは、アポロンとダフネのあの有名な物語に由来し、ギリシャやローマ時代から神聖視された樹木の一つです。
古代オリンピック・ゲームの優勝者に月桂冠を与えるという話を時々聞くが、手元の「英米故事伝説辞典」によると、それは正しくないようです。
すなわち、古代ギリシャ人は、Pythian gamesの優勝者に月桂樹の冠(wreath of laurels)、Olympic gamesの優勝者にはオリーブの冠(wreath of olives)を与えたようです。
ちなみに、Nemean gamesには green parsely、Isthmian gamesには green pineleavesを、その優勝者に与えたそうです。
最後に小咄を1つ。
前記「英米故事伝説辞典」の続き、「英文学風物誌」からの転載によれば、「坊間に 'laurel' の名称で知られている植物は、通例真正の laurel ではなく、一見類似の植物、特に cherry laurel である。」 と出ています。
cherry laurel ですが、
日本語に訳すと、サクラローレルだったりして (^^;)
【馬関係の本】「馬と人の文化史」J・クラットン=ブロック ― 2007-06-04 23:54:04
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清水裕次郎訳、桜井清彦氏監訳、東洋書林発行、原書房発売、となっており、原題は「HORSE POWER ~ A history of the horse and donkey in human societies」、直訳すれば、さしずめ「ホース・パワー ~ 人類社会における馬とロバの歴史」となるんでしょうか?
第1部は「野生のウマとロバ」と題し、考古学および生物学から見た野生のウマ、ロバの話です。
第2部は「誇る祖先もなく、子孫を望みもないウマ科動物」と含みのある題名にしていますが、タイトルから推測される通り、ロバと馬を交配させて生まれるラバやヒニーについて書かれた話です。
そして最後の第3部は「家畜化した馬、ロバ、ラバの歴史」ですが、いわばこの本のメインディッシュ、全書の75%ぐらいのページ数を占めています。
馬とロバの最初の家畜化や、車輪による最初の輸送、乗馬などについての推測もおもしろい内容だし、古代エジプト、スキタイとオリエントの馬から、ギリシャ、ローマの騎兵隊、南北アメリカの征服に至る、ヨーロッパ人中心の視点ではあるものの、広く地球各地域の歴史、伝承を取り入れているところもいいです。
文章のほか、貴重な写真や図面もたくさんあって、とても勉強になりました。
第3部の最後の章は「競馬の歴史」となっていますが、一般にこのタイトルから想像されるサラブレッドの3大祖先の話から始まるものではなく、もっと古く、ホメロス時代の戦車競走から筆を運んでいます。
ちなみに、ホメロスが「イーリアス」のなかで書いている、現存最古?の戦車競走の話は、1着から5着までそれぞれ賞品がつき、レースの参加者(御者と馬)に対する予想にも似た前評判の紹介があったり、レース後の妨害に対する抗議とその審議があったりと、現代競馬の多くの要素がすでに含まれているところが、実に興味深い話です。
清水裕次郎訳、桜井清彦氏監訳、東洋書林発行、原書房発売、となっており、原題は「HORSE POWER ~ A history of the horse and donkey in human societies」、直訳すれば、さしずめ「ホース・パワー ~ 人類社会における馬とロバの歴史」となるんでしょうか?
第1部は「野生のウマとロバ」と題し、考古学および生物学から見た野生のウマ、ロバの話です。
第2部は「誇る祖先もなく、子孫を望みもないウマ科動物」と含みのある題名にしていますが、タイトルから推測される通り、ロバと馬を交配させて生まれるラバやヒニーについて書かれた話です。
そして最後の第3部は「家畜化した馬、ロバ、ラバの歴史」ですが、いわばこの本のメインディッシュ、全書の75%ぐらいのページ数を占めています。
馬とロバの最初の家畜化や、車輪による最初の輸送、乗馬などについての推測もおもしろい内容だし、古代エジプト、スキタイとオリエントの馬から、ギリシャ、ローマの騎兵隊、南北アメリカの征服に至る、ヨーロッパ人中心の視点ではあるものの、広く地球各地域の歴史、伝承を取り入れているところもいいです。
文章のほか、貴重な写真や図面もたくさんあって、とても勉強になりました。
第3部の最後の章は「競馬の歴史」となっていますが、一般にこのタイトルから想像されるサラブレッドの3大祖先の話から始まるものではなく、もっと古く、ホメロス時代の戦車競走から筆を運んでいます。
ちなみに、ホメロスが「イーリアス」のなかで書いている、現存最古?の戦車競走の話は、1着から5着までそれぞれ賞品がつき、レースの参加者(御者と馬)に対する予想にも似た前評判の紹介があったり、レース後の妨害に対する抗議とその審議があったりと、現代競馬の多くの要素がすでに含まれているところが、実に興味深い話です。
【翻訳練習 (中→日)】「安田記念香港馬応援団」 ― 2007-06-02 23:30:33
香港競馬会のホームページに載っている短文です。
明日東京競馬場で国際G1レースの安田記念が行われ、香港から4頭もの遠征馬が来日しています。
約四十名市民報名參加打氣團,將於明午(6月2日)飛往日本,於週日到東京競馬場為出戰安田紀念賽的四匹香港賽駒打氣。
「安田紀念賽香港名駒打氣團」由康泰旅行社舉辦。該社董事長、現役馬匹「旅遊領隊」及「旅遊專家」馬主黄士心太平紳士也會與團友們一起到現場支持香港代表。市民如此熱心,馬會特地致贈「亞洲一哩挑戰賽」紀念版T恤予所有團友以示贊賞。
約四十名の市民からなる応援団は、明日(6月2日)の午後は日本に飛び、安田記念に参加する4頭の香港馬を応援するため、日曜日は東京競馬場へ向かう。
「安田記念香港名馬応援団」は康泰旅行社が主催したツアーであり、会長で、現役馬「旅遊領隊」(トラベルリーダー)および「旅遊專家」(トラベルコンサルタント)のオーナーでもある黄士心氏も、団員たちと一緒に現場で香港代表に声援を送る予定。市民たちの熱心さに感謝し、競馬会は特別に「アジア・マイルチャレンジ」記念Tシャツを全参加者にプレゼントした。
過去兩年,康泰旅行社均舉辦打氣團前往日本觀賞亞洲一哩挑戰賽尾站安田紀念賽兼替參賽的香港代表打氣,而市民反應非常熱烈。前年6月5日,「精英大師」領放至臨門一歩飲恨,團友們也吶喊至聲嘶力竭;去年6月4日,「牛精福星」直路衝刺凌厲,大勝兩乘半,團友們無不興奮莫名,如癡如醉!
康泰旅行社は過去2年も、アジアマイルチャレンジシリーズ最終戦・安田記念観戦および香港代表応援のための日本ツアーを主催し、市民の反応も非常に熱かった。一昨年6月5日「精英大師」(サイレントウィットネス)が逃げてゴール前に惜しくも一歩及ばなかったが、団員たちは声を枯らして力の限り応援していた。昨年6月4日、「牛精福星」(ブリッシュラック)が直線で鋭く抜け出して2馬身半圧勝すると、団員たちはだれもが我を忘れて興奮した。
今年競逐安田紀念賽 (國際一級賽1600米)的香港賽駒為歴來最多的一次,包括去年獲得此賽季軍的「勝利飛駒」、2006年國泰航空香港一哩錦標冠軍「星運爵士」、本年度亞洲一哩挑戰賽第三站冠軍一哩賽盟主「歩歩穩」以及主席錦標得主「好爸爸」。前三駒均為一級賽冠軍而後駒亦曾勝二級賽,堪稱陣容鼎盛。
毎年的安田紀念賽,東京競馬場都是人山人海。香港名駒打氣團早已預定「專享指定席」座位,可於接近終點的理想位置觀看群駒衝線。
今年安田記念(国際G1、1600メートル)に参加する香港馬は史上最多であり、去年このレースで3着に入った「勝利飛駒」(ジョイフルウィナー)、2006年キャセイ・パシフィック香港マイルの優勝馬「星運爵士」(ザデューク)、本年度アジアマイル・チャレンジシリーズ第3戦優勝のマイル王「歩歩穩」(エイブルワン)、およびチェマンズトロフィーの優勝馬「好爸爸」(グッドババ)を含む。前の3頭はいずれもG1優勝馬、もう1頭もG2を勝って、最強メンバーだと言っても差し支えない。
毎年の安田記念、東京競馬場はいつも黒山の人だかりだが、香港名馬応援団はすでに「専用指定席」を予約済み、理想的なポジションで各馬のゴールシーンを観戦できる。
明日東京競馬場で国際G1レースの安田記念が行われ、香港から4頭もの遠征馬が来日しています。
約四十名市民報名參加打氣團,將於明午(6月2日)飛往日本,於週日到東京競馬場為出戰安田紀念賽的四匹香港賽駒打氣。
「安田紀念賽香港名駒打氣團」由康泰旅行社舉辦。該社董事長、現役馬匹「旅遊領隊」及「旅遊專家」馬主黄士心太平紳士也會與團友們一起到現場支持香港代表。市民如此熱心,馬會特地致贈「亞洲一哩挑戰賽」紀念版T恤予所有團友以示贊賞。
約四十名の市民からなる応援団は、明日(6月2日)の午後は日本に飛び、安田記念に参加する4頭の香港馬を応援するため、日曜日は東京競馬場へ向かう。
「安田記念香港名馬応援団」は康泰旅行社が主催したツアーであり、会長で、現役馬「旅遊領隊」(トラベルリーダー)および「旅遊專家」(トラベルコンサルタント)のオーナーでもある黄士心氏も、団員たちと一緒に現場で香港代表に声援を送る予定。市民たちの熱心さに感謝し、競馬会は特別に「アジア・マイルチャレンジ」記念Tシャツを全参加者にプレゼントした。
過去兩年,康泰旅行社均舉辦打氣團前往日本觀賞亞洲一哩挑戰賽尾站安田紀念賽兼替參賽的香港代表打氣,而市民反應非常熱烈。前年6月5日,「精英大師」領放至臨門一歩飲恨,團友們也吶喊至聲嘶力竭;去年6月4日,「牛精福星」直路衝刺凌厲,大勝兩乘半,團友們無不興奮莫名,如癡如醉!
康泰旅行社は過去2年も、アジアマイルチャレンジシリーズ最終戦・安田記念観戦および香港代表応援のための日本ツアーを主催し、市民の反応も非常に熱かった。一昨年6月5日「精英大師」(サイレントウィットネス)が逃げてゴール前に惜しくも一歩及ばなかったが、団員たちは声を枯らして力の限り応援していた。昨年6月4日、「牛精福星」(ブリッシュラック)が直線で鋭く抜け出して2馬身半圧勝すると、団員たちはだれもが我を忘れて興奮した。
今年競逐安田紀念賽 (國際一級賽1600米)的香港賽駒為歴來最多的一次,包括去年獲得此賽季軍的「勝利飛駒」、2006年國泰航空香港一哩錦標冠軍「星運爵士」、本年度亞洲一哩挑戰賽第三站冠軍一哩賽盟主「歩歩穩」以及主席錦標得主「好爸爸」。前三駒均為一級賽冠軍而後駒亦曾勝二級賽,堪稱陣容鼎盛。
毎年的安田紀念賽,東京競馬場都是人山人海。香港名駒打氣團早已預定「專享指定席」座位,可於接近終點的理想位置觀看群駒衝線。
今年安田記念(国際G1、1600メートル)に参加する香港馬は史上最多であり、去年このレースで3着に入った「勝利飛駒」(ジョイフルウィナー)、2006年キャセイ・パシフィック香港マイルの優勝馬「星運爵士」(ザデューク)、本年度アジアマイル・チャレンジシリーズ第3戦優勝のマイル王「歩歩穩」(エイブルワン)、およびチェマンズトロフィーの優勝馬「好爸爸」(グッドババ)を含む。前の3頭はいずれもG1優勝馬、もう1頭もG2を勝って、最強メンバーだと言っても差し支えない。
毎年の安田記念、東京競馬場はいつも黒山の人だかりだが、香港名馬応援団はすでに「専用指定席」を予約済み、理想的なポジションで各馬のゴールシーンを観戦できる。
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