壁の絵と鉄アレイの忘れ形見2007-02-12 09:06:38

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 昨夜、whyさんのコメントに返信を書くとき、不意に、橋の写真をモチーフに描いた絵のことを思い出しました。

 決してうまくないですが、あの頃は時々水彩で遊んでいました。
 引っ越し時に捨てたのか、絵そのものはもう見つからなくなりましたが、思いかけず、むかしの写真に証拠が残っています。


 入社して2年目、当時住んでいた会社の寮の部屋です。
 壁に貼っているのが、そうでした。



 これは、もう1枚、反対側を写した写真です。



 まだ本もあまりたまっていなく、ホームセンターで買った組み立て花壇を、本棚代わりにしました。



 本人が写っているということは、誰かほかの人が撮ったのか?
 あまりその記憶がなく、隣部屋のH塚くんだったかも知れません。
 それにしても、わ、若かった (笑)


 それもそのはず、もうちょっとで15年は経ってしまいます。
 隣室にいた同期入社のH塚くんは、そのあと体調をくずして故郷に帰っていたが、ほどなく、若くして亡くなりました。

 H塚くんが寮に残していた2つの鉄アレイ、1つは僕が頂きました。壁に貼っていた絵と違って、これは2回引っ越ししたいまも、我が家の物置の一角に置いています。

 忘れ形見、というほどではないかも知れませんが、まあ、多少はそのような意味も。

カリュプソの島、オジジアンの島2006-11-02 02:12:45

カリュプソの島
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 絵は、マンチェスター市立美術館に所蔵されているドレイパーの作品です。「カリュプソの島」というタイトルですが、海の重さが、素人目にもお見事です。

 この島は、ホメーロスの「オデュッセイア」に登場しています。

 長いトロイ戦争にようやく勝利したギリシア軍の英雄たちは、ギリシアへ帰還する道にも様々な苦難に遭い、無事に帰れた者は少数でした。とりわけ数奇な運命に会ったのが、木馬の計略を考え出して、勝利に大きく貢献したオデュッセウスです。
 このへんが「オデュッセイア」の話ですが、ポセイドンの怒りを買ってしまったオデュッセウスは、しまいには船も部下もすべて失って、10年間もの間に、島から島への放浪し続けていました。で、一番長居したのが、海のニンフ・カリュプソが住んでいた島で、ここで二人は愛し合い、7年間も暮らすことになりました。

 話によると、島には4つ清流が合流して一条となり、大地を巡っています。彼方のやわらかな野には、すみれとせりが咲き乱れて、動物相は主に梟、はやぶさ、うみからすなどの鳥です。榛の木、白楊、かぐわしい糸杉の森が生い茂る森に囲まれた岩屋のなかに、カリュプソが住んでいる、ということになっています。
 島の名前は、オギュギア(Ogygia)。

 とすると、島の住民は Ogygian、かも。

 Ogygian、競馬の世界では、オジジアンという訳で有名ですが、エイシンワシントンなどを輩出した種牡馬の名前です。

 その父は名馬ダマスカス(Damascus)。
 古都ダマスカスはシリアの首都。「架空地名大辞典(The Dictionary of Imaginary Places)」によると、西地中海に位置するオギュギア(Ogygia)島とは、地中海を隔てて、遙かに望む、ということになりますかね。

ムーラン・ド・ラ・ギャレット2006-10-04 23:55:14

ムーラン・ド・ラ・ギャレット
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 ムーラン・ド・ラ・ギャレットは、オーギュースト・ルノワールの絵のなかでも、たぶん一番有名な作品なのではないでしょうか。とにかく、いたるところで見かけることができます。

 十数年前、大学を卒業するちょっと前というので、結構いい大人になってからですが、突然印象派の絵画にはまった時期がありました。
 生涯の友人HCC氏の影響もありましたが、その頃はさほどへそ曲がりでなかったためか(^^;)、「モンマルトル 青春の画家たち」などの本を読んで、容易く、すっかりその世界に引き込まれていました。

 ジョルジュ・ミシェル、テオドール・ジェリコーからエドゥワール・マネ、エドガー・ドガ、オーギュースト・ルノワール、カミーユ・ピサロ、クロード・モネを経て、トゥルーズ・ロートレック、ジーノ・セヴェリーニ、アメデオ・モジリアニなどに至る、多くの名画家たちが、パリの北にある小さな丘モンマルトルの上で、貧困と闘いながら、自分の絵を求めていました。
 いま我々になじみがあるこれらの名前は、当時モンマルトル周辺にたくさんいた画家のなかでも、努力して夢を追い、やがて自分の世界を切り開いた人たちのものでしょうね。

 これらの画家たちのなかでも、日本人は、これぞ印象派という感じの、モネとルノワールが好きだと思います。
 あとになって、どんどん興味のベクトルが発散してしまったが、自分も初めはそうだったと思います。学生時代の下宿にはガンダムのポスターを貼っていたが、社会人になって、まず寮の部屋の壁に貼っていたのはモネのポスター2枚だったと記憶しています。
 ポスターが見つからなかったが、画集のなかにあったムーラン・ド・ラ・ギャレットも大いに気に入った一枚でした。

 時が流れて、人はいろんなものを学び、いろんなものを失い、好みもどんどん変わっていきます。ですが、ムーラン・ド・ラ・ギャレットは、幸い、いまでも大好きな一枚です。細かい技術論はともかく、僕はこの絵から、にぎやかで楽しい、そしてなにより暖かい空気を感じます。