【メモ】銭形平次の財団2016-02-21 23:18:16

 「不景気と言や、親分、ちかごと銭形の親分が銭を投げねえという評判だが、親分の懐具体もそんな不景気なんですかい」
 「馬鹿にしちゃいけねえ、金は小判というものをうんと持っているよ。それを投げるような強い相手が出て来ないだけのことさ」
 書き出しの無駄口話が落語の枕のようなもので、「銭形平次捕物控」の魅力のひとつです。

 実際、銭形平次とお静との所帯は「年がら年中、ピイピイの暮し向き、店賃が三つ溜まっているが、大家は人が良いから、あまり文句を言わない」というから、小判など一生手にしなかったかも知れません。

 そんな清廉潔白で貧しい平次が敵に投げつけたのは、むろん小判ではなく、寛永通寳です。
 ウィキペディアの「銭形平次捕物控」の項で、「平次が劇上で投げたとされる寛永通寳真鍮當四文銭(十一波)」が写真付きで紹介されています。
 しかし、小説のなかでは「ちょっと重い鍋銭」と書かれています。ウィキペディアの「寛永通寳」を参照すると、「鉄銭は鍋銭(なべせん)とも呼ばれ」と出ており、真鍮四文銭よりも安い鉄一文銭のほうなのかも知れません。


 銭形平次の作者の野村胡堂も、第一高等学校を経て東京帝国大学法科大学に入学するが、学資に困ったゆえ中退になっていた人です。

 胡堂の夫人のハナは日本女子大卒で教師となり、新聞記者時代の胡堂を経済面からも支えていました。
 ハナ夫人の親しい同僚に、夫がすでに亡くなった井深さんという女性がいて、その息子の大(まさる)は野村家にしょっちゅう遊びに行っていたそうです。
 長じて、東京・日本橋の旧白木屋店内に個人企業「東京通信研究所」を立ち上げたが、運転資金に窮すると、胡堂は心よく融通しました。その頃、野村胡堂の銭形平次が売れていました。
 のち、井深大の会社は「ソニー」と改名しました。

 胡堂は晩年、私財のソニー株約1億円を基金に財団法人野村学芸財団を設立しました。
 経済面で学業継続が困難になった学生等への奨学金の交付を目的のひとつとしていますが、これはやむなく学業を断念した胡堂の経験が背景になっているのでしょう。