【メモ】ラスト・エンペラーのファインディング・ニモ2014-04-16 23:48:39

 慈禧太后は「老仏爺」とも呼ばれていました。
 その女官を勤めていた徳齢女史が「Old Buddah」という本を書き、1928年ニューヨークで出版されましたが、タイトルは「老仏爺」に因んだものだと思われます。
 東方書店から出ている日本語訳版(「西太后秘話」)は手元にありますが、以下の段落はその引用です:

 「醇親王邸の人はみな熟睡中でしたが、お使いがやってきたので、家じゅう大さわぎになりました。いたるところにともしびがつけられ、召使いや腰元たちはつぎつぎに起きだしました。~それにひとりの子どももむりやりに起こされました。すぐに皇帝にされるためにです。」

 光緒帝が亡くなったときのことです。
 慈禧太后が宮中に入る前の恋人である栄禄は、慈禧太后によって軍機大臣まで取り立てられ、しかも栄禄の娘が生んだ男の子は、やがて光緒帝を継ぎ、清王朝の最後の皇帝となりました。
 第60回アカデミー賞作品賞「ラスト・エンペラー」の主人公、溥儀であります。
 皇帝と名ばかりで、慈禧太后の傀儡でしかなかった少年時代、「ラスト・エンペラー」の劇中、そんな溥儀少年の唯一の心の慰みは、玉座に隠した壷の中に飼っていた一匹のコオロギでした。


 時が流れ、柴田清という日本人が、エンゼルフィッシュやグッピーなどを大連経由で輸入し、満州で熱帯魚ブームを巻き起こした評判が溥儀の耳に入り、仮宮殿に招かれました。
 当時の溥儀は満州国の皇帝と名ばかりの、日本軍の傀儡でしかなかったので、政治向きのことに極力関心をもたぬように仕向ける日本や関東軍の方針に置かれていました。
 したがって、柴田氏が見せた熱帯魚に皇帝が異常な興味を示したことを、日本側当局は歓迎しました。
 以降、しばらくは毎週のように皇帝からお召しがあり、珍種を宮内庁に買い上げてもらうようになったそうです。

 本のタイトルは残念ながら失念しましたが、荒俣弘の著書で読んだのは、その頃の話です。

 大連から柴田氏の許へ、珍品入荷の知らせが届きました。ディズニー&ピクサーで製作した映画「ファインディング・ニモ」でも主人公に抜擢された、「クマノミ」です。
 クマノミは海水魚であり、当時は海水魚を飼育するノウハウがなかったため、長期間飼育することは技術的に不可能でした。それでもぜひ帝に、ということで、数本の壺に海水を汲み、魚を汽車で遥々新京まで運んだのでした。

 どうやらコオロギ以上の慰めになったか、溥儀の喜び方はひとかどではなかったそうで、そのクマノミが死ぬまでの数日間、毎日飽きずに眺め続けました。

コメント

_ 蓮 ― 2014-04-28 00:07:03

いろいろな人生がありますね。

_ T.Fujimoto ― 2014-04-30 09:35:27

蓮さん、おはようございます。
確かに仰る通り、強くなったり弱くなったり、笑ったり泣いたり、王になったり道化になったり。C'est la vie、いろいろあるのが人生ですね。

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