お婆アさん危ないよ2013-08-28 23:54:37

 内田魯庵が書いた「銀座繁盛記」を読むと、円太郎馬車の話が出ています。

 「鉄道馬車が敷かれるまでの市内の交通機関は明治そこそこに文明開化の先駆をした千里軒系統の乗合馬車であった。千里軒系統の乗合と云って今の若い人には貞秀の錦絵でも見なければ解るまいが、木郭の屋根の頗る粗造な原始的の馬車である。(中略)此の痩せさらぼい老馬が喘ぎ々々鼻から息を吹き吹き脂汗を垂らしてガタクリ走っていたのが『お婆アさん危ないよ』と今の自動車よりも恐がられていた。落語家の円太郎が高座で此のガタ馬車の真似をしたのが人気になって、乗合のボロ馬車を円太郎と呼び、今日の自動車のバスまでが円太郎と称される。」

 江戸時代は、事故防止のため、馬や大八車でさえ町中の使用に幕府からしばしば制約の通達が出されていました。時代が変わったとは言え、馬車のようなスピードの出る車が町中を疾走したら、お婆さんに限らず、いままでのんびりしていた市民にとって、非常に危険なことだったようです。
 早坂昇治の著書によると、交通事故のはしりと言えるような人身事故がよく起こっていたそうで、そこで、馬車の前方で人の注意を促すために、大声を出しながら走る「先駆け」という職業が登場しました。

 明治という新しい時代に変わり、足軽たちがそろって職を失いましたが、足に自信のある若者は、馬車会社の「別当」という新しい職を見つけ、「馬なんかに負けるものか」と、先駆けとして事故の発生を未然に防いでいたわけです。