【メモ】醒睡笑2013-06-16 16:06:14

 安楽庵策伝が編著した笑話集「醒睡笑」を読んでみました。
 国語をまじめに勉強していない僕には、この古い文体が難しく、わからないところは飛ばしました。しかし、文意が読み取れたものも、なかなか笑いのつぼが解せない、通読したところで一向おもしろくないネタが多いです。


 そのなかで、それでも比較的におもしろく読めたものを二つほど、メモしておきます。

 「浪人としてゐる武士が、或家に宿をかつた。話をして見ると何に寄らず精しいので、亭主も、いかさま只の人とは見えませぬ、と褒める。武士も内心得意でゐた。寝る時になつて、夜具を出しませうか、といふのを、無用でござる。これまで野陣山陣をしつけ、少しくらゐの寒さなど、平気でござる、と着のままで寝た。けれども夜の更けて行くに従つて、寒さに堪へられなくなつた。それで亭主亭主、と呼んで、この家の鼠の足は洗はせてござるか、と問うた。いや、さやうなことは致しませぬ、といふと、それなら莚を一二枚借りて着ませう。鼠に踏まれては、着物が汚れますから、というた。」
 格好を付け、見栄を張りすぎて困った言い訳が、おかしいです。

 「小僧あり。小夜更けて長棹を持ち、庭をあなたこなたと振廻る。坊主是を見つけ、それは何事をするぞ、と問ふ。空の星が欲しさに、打落とさんとすれども落ちぬ、と。されされ鈍なる奴や、それほど作(工夫)がなうてなるものか。そこから棹が届くまい、屋根へ上れ、と。
 お弟子はとも候へ、師匠の指南ありがたし。」
 師匠のありがたいご指導で、少しは星空に近づけたのでしょうか。


 鹿野武左衛門の「鹿の巻筆」なども、いま読むと、時代の隔たりを感じてしまい、あまりおもしろくないようです。武左衛門が人々の前に落とし話を口演したものは、きっと我々が書物で読むより、はるかに面白かったはずです。

 「醒睡笑」に「平林」というネタもあります。
 「文の上書に平林とある。通る出家に読ませたれば、ひやうりんか、へいりんか、たひらばやしかひらりんか、一八十に木木(ぼくぼく)か、それにてなくばひやうばやしか、とこれほど細かに読みてあれども、ひらばやしといふ苗字は読み当らず。とかく推には何もならぬ。」
 このままだと何もおもしろくないですが、アレンジして落語に仕立てられたもの(http://tbbird.asablo.jp/blog/2012/10/23/6610708)は、結構笑えました。

鄭愁予の「偈」を写したもの2013-06-22 22:22:29

 地球你不需留我。

暖簾と、のれん代2013-06-26 22:32:19

 企業のM&Aが日常的に発生するいまの世の中、「のれん代」という言葉もよく聞かされることになりました。
 端的に言えば、「のれん代」とは「買収価額」から「買収された企業の純資産評価額」を引いた差額です。例えば、2011年にパナソニックが三洋電機の買収を行った際に要した金額は約7000億円に達したが、そのうち「のれん代」が実に5000億円に上ります。


 「のれん」は、漢字で「暖簾」と書きますが、なかなか実物で受けた感じと合わないんですが、元は中国語です。
 「禅林象器箋」(http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823268/37)には、「綿布覆簾面防風気、故言暖簾」とあり、夏で使う「すだれ」が「涼簾」というのと対比しているようです。

 「なうれんにこち吹く伊勢の出店かな」 (蕪村)

 のれんを分ける、というのは本来、長年勤めた奉公人が独立する時に、主人が屋号を名乗ることを許し、時には得意先をゆずってやったりすることです。
 旧主ののれんを掲げるのは、概ね以下のようなものを継承できることに、メリットがあると考えられます:
 ・ブランド・イメージ
 ・製造やサービスに関するノウハウ
 ・得意先、取引先との関係

 多くの企業の株価純資産倍率(PBR)が1倍を超えているのも、買収されるときに買収価額が純資産より高いのも、企業活動を継続したなか、上記ブランド・イメージ、ノウハウ、得意先などの価値があると、評価されたためだと思います。


 ところが、高額なのれん代を支払って企業を買収しても、予期していたほどのシナジー効果が出なければ、価値の判断ミスを認め、会計上に減損処理を行う必要が生じます。
 ここ2年でパナソニック社の大幅赤字の一部は、そののれん代の償却が占めています。

伝馬と、おてんば2013-06-27 23:24:39

 男勝りの活発な女の子を指す言葉に、「おてんば(お転婆)」という言い方があります。

 ウィキペディアでは、元々オランダ語ontembaarに由来する外来語説をメインに取り上げ、辞書の「大言海」もオランダ語源説を採用しています。
 「tembaar」は英語の「tamable」に相当し、「馴らすことのできる」、「馴らしやすい」と言った意味です。「on-」の接頭語を付けると意味が逆になり、「馴らすことのできない」、「手に負えない」と言った感じになるそうです。
 おてんば娘が、手に負えない「じゃじゃ馬」と形容するのと、考え方は近いかも知れません。

 しかし、「広辞苑」ではこのオランダ語源説を、かなり疑っているようです。
 「オランダ語ontembaarからの外来語とする説もあるが『お』を伴わぬ用例が多く、信じ難い。」
 各地の方言で「お」を伴わない語形が採集され、逆の意味の「tembaar」に由来するわけもないし、「広辞苑」がオランダ語源説を否定するのは一理があります。


 いまひとつ、「お伝馬」に由来する説があります。

 「伝馬」は「テンマ」と発音され、大化改新より存在する歴史ある制度です。
 「大宝令」では駅伝制について詳しく規定しており、駅の任務は、官使のために人馬を継ぎ立て、宿食を供することにありました。そのため、駅には「駅馬」を常備し、また、「伝馬」を置いて官使の便に備えていました。
 「伝馬」は飼育が行き届き、公用のみで使われるために酷使されることもなく、民間の駄賃馬と違って、いつも元気で威勢が良いらしいです。それで、「いつも元気で跳ね回ること」を「お伝馬のようだ」と言うのが、そのうち、「オテンバ」に発音が変化したのではないか、という説です。

 駅伝制が平安時代でもすでに衰微し、江戸時代から使われはじめた「おてんば」の語源にするには無理があると、「お伝馬」由来説を疑っている学者さんが説いているのを、本で読みました。

 しかし、実は古来の駅伝制は衰退した後、江戸に入って、別の形の「伝馬」が復活されていました。
 手元の「信州 馬の歴史」(信州馬事研究会編、信濃毎日新聞社出版)によれば、徳川家康が関が原の合戦に勝利したあと、軍事上の必要から幹線道路の整備に着手し、五街道を定め、宿場(宿駅)を設置しました。各宿場には一定の人足と馬が常備され、公用の人や物資の継ぎ送りに当たらせて、これを「御伝馬」(ごてんま)と呼んだそうです。

 「大宝令」の駅伝制では「伝馬」よりも「駅馬」のほうが数が多ですが、江戸初期の宿場は「御伝馬」のみ、むしろ後者が直接「おてんば」の語源に相応しいかと思いますが、どうでしょうかね。