ロバのパン屋さん2012-12-25 21:00:10

 ロバノパンヤという名前の競走馬が活躍したのは前世紀末です。
 1999年のユニコーンステークスでウイングアローの2着に、大井のスーパーダートダービーで同じくウイングアローの3着に入ったとき、重賞のひとつやふたつはすぐに勝てるだろう、と思っていました。

 「かもがわ出版」から出ている「ロバのパン物語」(南浦邦仁)を、神保町(新刊書店)で購入したのは、その頃です。


 本は、当然でしょうが、ロバノパンヤ号とは直接関係がなく、「ロバのおじさんチンカラリン、チンカラリンロンやってくる......」のテーマソングで知られるロバのパンの話です。

 「ロバのパン本部」の正式名称は「株式会社ビタミンパン連鎖店本部」と言って、先代の桑原貞吉が昭和二年京都でまんじゅうと蒸しパンを始めたのが、そのルーツらしいです。
 ロバのパン屋と言っても、ビタミンパン連鎖店グループで馬車を引いていたのは、木曽馬など小型の在来馬でした。大阪の「ロバのパン本舗」で一度だけロバに車を引かせたことがありましたが、日本ではなかなかロバは手に入らず、やっと手に入れた一頭も老齢のせいか、なかなか言う通り働けず、ロバの行商は一日でやめたそうです。

 ビタミンパンの全盛期は昭和30年代ですが、その後も営業は続いています。
 もちろん馬車ではなく、軽トラックでの販売に変わっていましたが、僕が大阪で大学生をやっていた頃にもまた見かけることがあります。しかし、どうも関東に住む人に聞くと、ロバのパンは知らないと言う人が多いです。「ロバのパン物語」の記載によれば、数は少ないものの、全盛期は東京、神奈川県など東日本にも加盟店があったはずですが。

 「ロバのパン物語」の本に、シングルCDが1枚付いて、近藤圭子の歌う「パン売りのロバさん」が聞けるようになっています。





 ちなみに、同期のウイングアローのほうはJapan CupダートやフェブラリーSなど、G1レースでも好走し続けていたのに対して、競走馬のロバノパンヤは、当初期待されたほどは活躍せず、準オープンで1勝を上げただけで、オープンや重賞での勝ち鞍は、つい最後までなかったと思います。