ふたたび婉曲語法について2012-10-16 22:13:48

 ユーフィミズム、つまり婉曲語法は、言いにくいことを露骨に出さずに、遠回しに言うレトリックです。
 イギリス人の言語的悪癖だとされていますが、日本語は、たぶんお上品ぶるヴィクトリア朝の英文に負けないぐらい、やはり婉曲語法が多いです。

 本来この婉曲法は、聞き手が感じる不快感を和らげ、人間関係に角が立たないようにするものだと思います。それで物事が円滑に運べるなら、うまく活用しない手はないです。
 しかし、そうではなく、自らの不都合を避け、恥じ入るべきことに恥じ入らず、他人をごまかすついてに、自分をもごまかしてしまうようなケースが、どうにも目に付きます。


 平成3年の「オール読物」の「おしまいのページ」では、以下のように冷嘲していました:

 「試験に落ちる」を「すべる」と言ふ。さながら能力に関係がない、偶然の事故のやうである。「酒の飲みすぎ」を「酒豪」と言ふ。まるで尊敬しているやうに聞こえる。「誰も読まない本」を「古典」と呼び、その度合がきわめてはなはだしい本を「大古典」と名付ける。
  (中略)
 近頃の政治言葉では、「敗戦」を「終戦」、「何もしない」を「善処する」、「お詫びする」を「痛惜の念」などと表現するらしい。


 いかがでしょうか?
 一部分だけ抜粋してきましたが、この文章を書いたのは丸谷才一さんです。

 長年文壇で活躍してきた小説家にして、美しい日本語の使い手ですが、先日、(本人の文章を借りれば)英文の婉曲語法なら「西に行った」、もしくは「大勢の仲間になった」と言ったところです。
 つまり、残念ですが、今月13日に亡くなられました。