武林高手2012-09-02 22:06:48

 近頃、我が家の小6の子供は、金庸の武侠小説をよく読んでいます。

 中国語では読めなく、もっぱら日本語訳版ですが、近所の図書館に置いてある「倚天屠龍記」、「射鵰英雄伝」、「神鵰剣侠」(神鵰侠侶)、「連城訣」、「雪山飛狐」、「飛狐外伝」は、一通り読め終えたところです。
 ちょっと前は田中芳樹と赤川次郎を好んで読んでいましたが、どうやらそれ以上の熱の入れようです。男の子は、やはり武侠小説が好きだな、と改めて思いました。もちろん、自らの体験談も踏まえて、ですが。(http://tbbird.asablo.jp/blog/2006/09/21/531978)。


 金庸も古龍も梁羽生も、武侠小説につきものなのは、様々な「武功」に長けた各幇各派のつわものたちです。
 この達人たちが内力外功を駆使しての闘いは、武侠小説の大きな魅力のひとつであり、「三国演義」での千軍万馬、豪傑同士の一騎打ちとは違うし、「封神演義」での仙人、道士の妖術を尽くしての大戦争ともいささか趣向が異なり、かなり独特な世界観を醸し出しています。

 しかし、唐代の伝奇に、そのはしりがないわけでもないです。
 金庸も自らどこで書いているのを読んだ記憶があるような気がしますが、「聶隱娘」の登場人物は、当代の武侠小説ぽいです。特に一撃必殺、決して二度手を下さない「妙手空空兒」は、神出鬼没なだけでなく、誇り高いところも、まさに武侠小説に登場する「武林高手」そのものです。


 このような奇人、達人が、中国の古代に本当に存在していたのでしょうか?
 まあ、まさかでしょうね。

 しかし、徳齢女史の「西太后秘話」を読むと、慈禧太后が暮らしていた頃の頤和園に、ある「まる坊主の怪人」が、一時期出没したそうです。
 警備の厳しい頤和園で、この怪人は「鹿のように速く走り」、慈禧太后の寝宮まで自由に出入り、「なんじの生命はわが掌中にあり」と書かれた紙切れを一度ならず置いたそうです。
 なかなか「武林高手」ぽくはないでしょうか?

 と言っても、この怪人も最後は宮廷の守衛たちにより築山の石の下で捕らえられ、李蓮英の拷問でちゃんと理由も白状せぬまま死んだそうです。この辺が、リアルなところでしょうか?

タンポポと子供2012-09-08 23:33:50

 花のなかで何が好きだと聞かれた場合、澁澤龍彦はタンポポだと答えるそうです。

 澁澤の「玩物草紙」をいま読んでいますが、桜や梅や菊などは日本古来の伝統的情緒が染みつき、牡丹や蘭は支那趣味が濃厚で、薔薇や百合も陳腐で、タンポポの、花鳥風月的な情緒によって汚染されていないところが良い、と書いています。

 汚染されていないというか、なるほど、長い間にタンポポは名前すらなく、文化人からは完全に無視されたような感じです。
 一方で、原っぱで遊ぶ子供たちは、昔からこの植物は大好きです。タンポポの名は、元々鼓を意味する小児語であったと、澁澤も柳田國男の説を引いています。


 まあ、昔から子供たちは遊びの天才であり、名付けの名人でもあります。
 柳田國男の「草の名と子供」を開くと、ほかにもたくさんの例が挙げられています。
 例えば、ウツボグサは花の形が弓の靫(うつぼ)に似ているから(http://tbbird.asablo.jp/blog/2010/07/19/5226586)ですが、子供たちは靫など見たことがなく、愛媛県の上浮穴郡では「ネコの枕」、長野県の埴科郡などでは「蛇の枕」で呼んでいたそうです。
 アザミ(薊)は山口県の柳井では「ウサギ草」、カタバミは岩手、秋田あたりでは「雀の袴」、彼岸花を奈良県北部の子供たちは「狐のカミソリ」だと呼んでいるそうです。

 英語の「Dandelion」はフランス語の「dent de lion」から、つまり「ライオンの歯」です。タンポポの葉のぎざぎざしたところからの連想でしょうが、もしかしてこれも子供たちが考え出した名前かも知れません。

 タンポポのもっともタンポポたる特徴は、言うまでもなく、あの小さな冠毛のふわふわしたところ、ふっと吹けば、風に乗ってぱらぱらになって飛んでゆく、あの軽い鞠のような球体なのでしょう。
 童話「The Story of Dandelion (The Bag of Gold)」の最後、妖精が "Dandelion will make children happy."と言い、ゆえに子供たちはタンポポが好き、だと結んでいます。


 親友の影響もあり、僕も若い頃はタンポポが大好きになっていました。
 恥ずかしいながら、中国語で詩とも歌とも付かない変なものを書いたこともあります(http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/03/31/1357564)。

 しかし思えば、これこそつまらぬ「花鳥風月的な情緒」に陥ってしまっていたかも知れません。
 「たんぽぽ花咲り三々五々、五々は黄に三々は白し」と歌ったのは蕪村です。
 単純な描写は子供たちの観察眼に通じ、少なくとも野に咲く小さなタンポポには、これがちょうど良い塩梅なのでしょう。

モビルスーツ、もしくはパトレイバー一歩手前かも?2012-09-14 23:53:22


 おお、これは格好良いかも知れません。
 双腕鋼獣アスタコNEO、みたいなタイトルを付けて、良い感じ(笑)。


 子供のはしゃぎよう、おもしろいです。

 で、やはり、と言うべきでしょうか? 開発者は無類のガンダム好き  、だそうです。

物無定味、適口者珍2012-09-19 00:40:51

 中国の古い諺に、「三世長者知被服、五世長者知飲食」というのがあります。

 三代続く富家にあってはじめて着る物のことがわかり、五代続く富家にあってはじめて飲食のことがわかる、といった意味だと思いますが、それだけ、飲食探求の道は険しく、贅の限りを追及する風潮が金持ちたちの間にあったかも知れません。
 宋代の「事林広記」に出る話ですが、李太尉がある日料理人に向かって、鯰を百斤買って羹を二杯作れ、と命じたので、料理人は合点がいかず問い返しました。李太尉曰く、両頬の肉だけ取って作るのだ、ということです。
 この話が元になったか、わが日本にも、鯛の頬の身ばかりでかまぼこを作ったとか、イイダコのいいを集めて飯に炊いたとか、変な話が残っています。好事家の幻想も加わってひたすら大袈裟に伝わっただけかも知れませんが、飽食時代にあっては、ついついこういう軽薄なグルメブームが立つものです。にわか通人と志すも、実際のところは大の野暮だったりします。

 青木正児の「酒の肴」で読んだ話です。
 宋太宗があるとき近臣の蘇易簡に「食物では何が最も珍品か」と尋ねたところ、蘇は「口に合うたものが珍品(適口者珍)」だと答えたそうですが、誠に頷けます。
 珍奇で高価なものが美味しい、のではなく、時に合い、場所に合い、食べる人の口に合うものが、本当の美味だと言えましょう。


 そもそも、高価な珍味がいつまでも高価なままとは限らず、逆に安かったものがいつの間に高級品になったりもします。

 実はいま、塚田孝雄の「食悦奇譚~東西味の五千年」(時事通信社)を読んでいますが、その記述によれば、風流で聞こえる室町時代の将軍足利善政は酒の後、必ず抹茶の湯漬けを口にするのを習慣としていました。当時ではお茶は貴重品、それをまぜた湯漬けも、茶漬けが広まった十八世紀以降では考えられないほど、大変な贅沢だったようです。
 一方、今日では豊富な具を混ぜて多彩な味を作り出している炊き込みご飯は、江戸時代に「かて飯」と呼ばれた農漁民の主食がルーツであると書いてあります。元々、雑穀に芋や野菜、豆などを加えて量を増し、腹を満たす「下等料理」だったそうです。

 作家の出久根達郎は、幼少時に家が貧しくて、やむにやまれずに椎の実やドングリや芋ヅル、南瓜の種やイナゴの煮たものや炒ったものなど、いろいろ食べていたのが、それぞれがいまでは乙な肴だったり、珍味としてそこぶる珍重されたりするのを見て、溜息が出たそうです。

 まさしく、「物無定味、適口者珍」というべきです。


 木下謙次郎の「美味求新」(新光社、昭和二年)に言います。
 「味神は必ずしも富豪貴族の庖厨に来らずして、屡々愛求と趣味に富みたる質素なる人の食卓を見舞ふものとす。」

 次の歌を詠んだ江戸時代の歌人、橘曙覧の元にも、味の神が訪れたかも知れません。

 楽しさは稀に魚煮て子どもらと うましうましと言ひて食ふ時

領土問題と外交2012-09-24 00:23:57

 経験がある人は多いかと思いますが、過ごした環境も受けた教育もまったく異なる他人を、理屈だけで説得、論破するのは、極めて難しいことです。

 「追っ払えばいいんだよ」と簡単に言い放す危ないおじさんは論外だとしても、日本の政治家の多くは、国際交渉に関する勉強が足りないような気がします。
 感情的、喧嘩腰になるのがダメなのは、まあ、誰でもわかります。冷静に、論理的に、毅然とした態度を取るだけで事が足りるかと言えば、当然そうでもないです。
 他社と商談を行う民間企業のマネージャーだって、ハーバード交渉術ぐらいのことは、先立って勉強するはずです。


 例えば、尖閣諸島の問題。
 立ち話とは言え、APECのとき、野田佳彦首相は中国の胡錦濤主席と話をしていました。
 
 報道によれば、胡錦濤さんは、「中国は(日本が)島を購入することに断固反対する。中国政府の領土主権を守る立場は絶対に揺るがない。日本は事態の重大さを十分に認識し、まちがった決定を絶対にしないようにしなければならない」と明確に言ったそうです。
 続く「中国といっしょに日中関係の発展の大局を維持しなければならない」の話も、明らかにこの島問題の対応が前提になっています。

 野田首相は首脳会議終了後、胡主席との会談を聞かれて、「現下の日中関係については大局的観点から対応したいと申し上げた」と語ったそうですが、本当にそうだとすれば、胡錦濤さんの話のポイントを抑えていないように思えます。
 また、実際、翌日の10日すぐに「尖閣国有化」閣議決定を宣言しました。
 胡錦濤さんから見れば、厳しい態度で話をして、抑制的な判断を依頼したのに、まったく無視され、眼中にないかのように感じた可能性があります。


 確かに尖閣諸島には領土問題がない、という日本政府の立場から、国有化だと言っても単なる内政問題で、論理的に問題がないでしょう。しかし、実情は違うのは誰もが知っています。大部分の日本人が尖閣諸島は日本の固有領土だと考えているのと同じ、大部分の中国人は釣魚島は中国の領土だと考えています。

 政治、外交、いずれにしても取り仕切るのは人間です。
 相手の考え方を理解したうえ、自らの立場を説明し、円滑に物事が運ぶやり方を模索します。急を要する場合を除き、特に敏感な部分は、例え取る施策が変わらないとしても、背景、目的を説明して事前に理解を得る努力は、絶対にしたほうが良いと思います。
 弱腰外交だと批判するのはお門違いです。本当に言うべきことを、言うべき人が、しかるべきタイミングで、もっとも円滑な言い方で言い切る、そういう技術のことだけです。


 日韓間の竹島問題のゴタゴタにしても、相手が勇み足気味でやってしまったとき、体面を保てられる形で退路を残してあげるやり方はないものでしょうか?
 そのほうが格好良いと、僕は感じます。

家業と亀と鐘2012-09-24 23:29:52

 就職試験の面接で、「家業は何ですか?」と聞かれて、
 「カキクケコです」と答えた人がいたらしいです。

 「アイエウ王とカキクケ公」という絵本があります。
 サシスセ僧も登場するようです。原案は武井武雄の「アイウエ王物語」、大正末期に「小学生全集」に発表されたという、意外と歴史の古い話です。

 「カキクケ コグマ」というタイトルの絵本もありました。
 昭和19年の発行で、文はサトウ・ハチロー、絵は澤井一三郎です。出久根達郎がそのエッセイで取り上げていますが、戦時中の本とは思えないほど、美しいカラー印刷だそうです。
 しかし、「テツパウノ オトニオドロイテ、オウチトハ ハンタイニ ムラノハウヘ スタコラスタコラ」とか、文章はやはり古風です。
 「テツパウ」がわからなかったのですが、鉄砲のことらしいです。


 単語の「家業」と「カ行」を聞き分けるのは難しいですが、文脈とシチュエーションから、通常は推測できるものです。しかし、電話での聞き間違いが、たまたま文脈まで繋がってしまう場合も、あります。

 やんごとなき人が、奈良の二月堂で大亀を見たという記事、念のために間違いないかを、奈良支局に確認しました。
 「大きな亀ですよね?」
 「えゝ、大きな鐘です」と先方。

 「鶴カメの亀ですね」
 「そう、つり鐘の鐘」

 「動物の亀ですよね」
 「そうですよ、大仏の鐘です」
 
 校正暦30年の加藤康司が著した、「赤えんぴつ 新聞づくり三十年」というエッセイに出ている話です。
 この本は誤植に関する話も多いです。

 先日、「誤植」について書きました(http://tbbird.asablo.jp/blog/2012/02/21/6341996)が、おもしろい誤植をひとつ、漏らしてしまいました。
 「艶かしい声がして、水もしたたるような美しい婆が現れた。」

 文章の前後から、「婆」は「姿」の誤植だとわかるものです。
 いや、艶かしい声を持つ美しいお婆さんがいても、別に何もおかしくない、かも知れませんが。