コックピットのなかの木彫り2009-10-07 23:43:56

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 コックピットと言えば、日本語ではもっぱら航空機、ヨットなどの操縦室を指しますが、"Cockpit"は、本来「闘鶏場」を意味する言葉です。

 上の写真は、ウィリアム・ホガース(William Hogarth)による、タイトルもずばり「The Cockpit」という版画です。絵からもわかる通り、この闘鶏場には相撲の土俵のような丸いステージが作られ、観戦する多くの人が囲み、二羽の雄鶏はどちらが一方が倒されるまで戦わされたものでした。

 イギリスでは紀元前から、オールド・イングリッシュゲームというスタイルで闘鶏が行われていた説がありますが、手元の「賭けとイギリス人」(ちくま新書、小林章夫)によると、イギリスではじめて"Cockpit"を作らせたのはヘンリー8世でした。また、闘鶏にことのほか熱を入れたジェームス1世は、「コック・マスター」という職を作り、鶏の飼育・訓練にあたらせた、ともあります。
 17世紀のピューリタン全盛期に一旦下火になりましたが、18世紀になると再び支持を集め、貴族も商人も金持ちも職人も、あらゆる階層の人が熱中した賭け遊びとなったそうです。

 イギリスに限らず、闘鶏は意外と世界の様々な地方で見られる文化のひとつです。
 元々鶏はアジア原産の野鶏(東南アジアもしくはインド)が家畜となったもので、漢民族は六千五百年以上も前から飼っていましたが、ペルシアを経由してギリシャに入り、そこから徐々にヨーロッパに広がっていたのは今から三千年前だと、これも手元にある、「英国大使の博物誌」(朝日新聞社、平原毅)に記載されています。
 現在、世界中で闘鶏が最も盛んなのはフィリピンなど東南アジアの国々であるようです。


 日本の闘鶏の歴史もだいぶ古く、平安時代には「鶏合わせ」という名で闘鶏がおこなわれていたようです。中国になると、その歴史がさらに長く、「木鶏」の話は、古典の「荘子」にも「列子」にもにも出ています。

 紀渻子為王養鬥雞。十日兒問「雞已乎?」曰:「未也,方虛驕而恃氣。」
 十日又問。曰「未也.猶應嚮景。」
 十日又問。曰「幾矣,雞雖有鳴者,已无変矣。」
 望之似木雞矣。其德全矣,異雞無敢應者,反走矣。

 周の宣王は闘鶏を好み、紀渻子という名人に鶏を訓練させました。十日して、もうよいかと尋ねると、まだまだと答えます。その鶏は驕り高ぶり、気を恃むところがあるからです。
 また十日してから、もうよいかと尋ねると、やはりまだだと答えが返ってきました。相手を疾み視て気を盛んにするからだと説明します。
 さらに十日経って、どうだろうかと尋ねたところ、今度こそよいでしょうと紀渻子がようやくゴーサインを出します。曰く、相手の鶏が声をたてても、この鶏は少しも動ずることがありませんから、とのことでした。
 宣王がその鶏を視ると、まるで木で彫られた鶏のように、何の表情の感情も表さない姿になっていたそうです。


 「双葉散る!双葉散る! 旭日昇天まさに69連勝、70連勝を目指して躍進する双葉山、出羽一門の新鋭安藝ノ海の左外掛けに散る! 時に、昭和14年1月15日、双葉山70連勝ならず!まさに七十、古来やはり稀なり!」
 こうNHK・和田アナが名調子を残したのは、昭和14年1月場所の4日目です。双葉山の連勝を止めた安藝ノ海は一躍時の人となり、部屋へ戻るにも多くの相撲ファンにもみくちゃされ、故郷へは「オカアサンカツタ」の電文を打ったそうです。

 一方、いまだ破られていない69連勝の大記録を残した名横綱・双葉山は、連勝が止まったその夜、神戸の中谷さん、四国の竹葉さんほか応援者たちに、やはり電報を打ちました。
 文面が、「イマダ モッケイ タリエズ フタバ」というものでした。

 モッケイ、とは、むろん「木鶏」です。
 いまだ「木鶏」の境地に及ばない、と古典を引いて横綱が嘆いたのでした。

4人目にならなれる群衆心理学2009-10-21 00:25:11



 これはある音楽祭の場面を捉えた動画です。

 最初は一人の男が妙な踊りをはじめ、ほかの人はただ傍観しているだけでしたが、やがて2人目、3人目が加わると、いきなりもの凄い大集団に膨れあがりました。

 大衆のなかには、指導者に盲従しやすい(あるいは扇動されやすい)4人目が、大量にいるようです。
 ちょっとぐらい荒唐無稽なことでも、みんなでやれば怖くない、そういう気分にさせるのは、3人ぐらいいればできてしまう場合があります。
 言ってみれば、大きな牛を引っ張るには細い紐でも十分です。


 「暴動」、「熱狂的な流行」、「社会運動」といった群衆の行動を、共通の特性を持つものとみなし、ひとつの分野に属する事象として捉えた最初の学者だと言われているのが、ギュスターヴ・ル・ボンです。その話によれば、群衆は「衝動の奴隷」であり、「被暗示性」が強いため、理性や批判は発揮されず、「極端から極端へ走る」そうです。

 群衆心理はすべて悪い結果に導くわけではないかと思いますが、人類の歴史上、偏狭で邪悪な失敗例が枚挙に遑がないほど多いのも事実です。また、一旦潮が始まったら、自己の見識を持って簡単に流されないのは、残念ながら、少数であるような気がします。

10年前の希望、いまの人工惑星2009-10-28 01:26:51

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 いま10年前、1999年の10月に、日本初の火星探査機「のぞみ(希望)」が火星に到着、するはずでした。


 「のぞみ」は、1998年7月4日に内之浦の鹿児島宇宙空間観測所から、M-Vロケット3号機によって打ち上げられました。
 途中トラブルが起こり、軌道計画の大幅な修正を行なって、はじめの予定より4年遅れて2003年12月に火星に接近しました。しかし、さらにトラブルが起きて、火星周回軌道に乗せるために必要な装置を働かす事が出来ず、最終的には火星軌道への投入を断念しました。

 上の写真は、「FlowingData」のサイトで見た「Mission(s) To Mars」のポスターです。このポスターを見ても、火星探索計画には失敗が多いことがわかります。火星に届かなかった数多い軌跡のひとつに、日の丸とともに「NOZOMI」が記されているのは確認できます。

 火星探査の任務は失敗しましたが、地球や月のスウイングバイする際にも、「のぞみ」の観測機器は多くの貴重なデータを残してくれたそうです。


 いま、「のぞみ」はほぼ火星の軌道に近い太陽を中心とする軌道上で、永久に飛び続ける人工惑星となりました。