【読後感】「剪燈新話」2008-10-06 22:52:53

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 上はハングルのページ(http://hyangto.pe.kr/L2-B8.htm)で見かけた写真です。
 そのものではないですが、瞿佑の「剪燈新話」をネット上で読みました。どうやら中国の南部を舞台にしている話が多いですが、怪談とか不思議な事件を綴る、ショートショートSFのはしりだと言える内容です。
 作者は元末明初の人ですが、この作品は現代の白話文に近い筆致で書かれ、とても読みやすいです。

 以下は感想というより、印象に残った物の、メモ代わりの雑記みたいなやつです。


・「三山福地志」

 元自實という人は、三山福地でひと眠りしただけで、現実世界では六ヶ月間が過ぎていました。浦島太郎の話は、亜光速による宇宙旅行に類似していると言われていますが、この話も後半はその類型だと言えましょう。
 劉晨、阮肇が仙女に出会った話は「幽明録」に載っていますが、彼らは仙境に半年間逗留されたので、凡世では数百年も過ぎ、世間に出てようやく会えたのは七代後の子孫でした。
 邯鄲の夢枕で知られる「枕中記」や、南柯一夢で知られる「南柯太守伝」などもそうですが、別世界への旅の結果として時間の相対性が語られる例は、中国にはたくさんあるようです。


・「天台訪隠録」

 漢の劉晨、阮肇が道を誤って仙境に迷い込んだが天台山ですが、こちらでも同じ天台山で、徐逸という人が道に迷って異境に入った話です。
 陶淵明の「桃花源記」が有名ですが、この「天台訪隠録」の話も言ってみればほぼ同じような構造です。
 六朝時代にたくさん書かれた志怪小説にも、地底旅行の話などが枚挙にいとまがないほどで、中国の怪談もののひとつの典型だと言えるかも知れません。


・「牡丹灯記」

 「牡丹灯籠」の元、だと前に聞きましたが、読んでみると、あれ?と思いました。
 なるほど、新三郎が喬生、お露が符麗卿、お米が金蓮で、登場人物はそれぞれ対応が取れますが、雰囲気がだいぶ異なり、同じ話だと言われる違和感があります。
 それと、鐵冠道人がだいぶ情け容赦がなく、残酷であるのも印象に残りました。

コメント

_ 花うさぎ ― 2008-10-07 11:17:16

三山福地志については、これまで知りませんでしたが、
「浦島太郎」話は、子供のころ怖いと思いました。
知らない間に、自分が本来持っていた長い人生が、それを享受することなく、過ぎ去ってしまっているって怖いですよね。

それに対して、「邯鄲の夢」は同じような時間のゆがみがあるけれど、逆のゆがみかたで、たくさんのことを経験したけれど、実際に時間はたっていないわけで、「なんとお得!」という感じがします。

何度も損得勘定で考える自分に辟易しますけど。

_ T.Fujimoto ― 2008-10-09 06:33:58

花うさぎさん、浦島太郎の話、子供心には怖ね。
楽しい時間は短く感じて、実は竜宮城ですでに一生分遊んだ(しかも若い体のまま)とならば、まあ仕方ないかと思うこともできますが。
劉晨、阮肇の場合、世間では数百年が経過したと言っても、本人は急に老いてしまう記述はなく、そういう意味では玉手箱を開けなかった、もらわなかった浦島太郎でしょうね。

_ xing ― 2008-10-09 20:32:30

学生時代、「剪燈新話」ー朝鮮「金ごう新話」ー浅井了意「おとぎぼうこ」 ごめんなさい、字がうまく変換出来ない…。と、比較して読んだ記憶があります。鉄冠道人、確かに情け容赦ないですよね。

_ T.Fujimoto ― 2008-10-09 23:04:47

xingさん、金鰲新話も、おとぎぼうこも読んでいませんが、志怪小説、怪奇物という意味で繋がるのでしょうか?
河東記、搜神記、幽明錄、玄怪錄、剪燈餘話、異苑など、あまりちゃんと読んでいないですが、中国にはこういう事実を記したような形の怪談集がたくさんありますよね。

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