【素人写真】「絵を描く人」2008-07-30 23:01:12

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 炎夏の里村から漁港へ行くと、素朴な漁船が浮かんでいる。誰もが通り過ぎ、見逃してしまう風景。
 絵筆を取るあなたが、曲線と色彩をもって、彼らがそこに存在していることを我々に訴えるまで。
 絵を見て、我々はびっくりして気付く。や、確かに彼らはそこにいたね。

コメント

_ なのはな ― 2009-05-18 12:37:07

藤本さん、こんばんは。
かなり遅れてのコメントですが・・^^: 
絵描きさんは、「誰もが通り過ぎ、見逃してしまう風景」。でも、カメラを取る藤本さんが、構図を選んでピントを合わせて、彼の存在を私たちに気づかせてくれたんですね。

卞之琳 の詩<断章>の情景を思い出させます。
你站在桥上看风景,
看风景人在楼上看你。
明月装饰了你的窗子,
你装饰了别人的梦。

藤本さんの写真は、
你站在河旁看风景,
看风景人在码头上看你。
ですね。この写真、物語を含んでいるようで素敵です。

_ なのはな ― 2009-05-18 13:19:39

上記のコメント、なんか難解ですね・・(笑)
ちょこっと訂正:
你坐在河旁画风景,
看风景人在码头上看你。
ダブルポスト、すみません^^;

_ T.Fujimoto ― 2009-05-19 23:55:10

なのはなさん、こんばんは。
ご紹介して頂いた詩は初見ですが、なるほど、いい味が出ていますね。

中国の古い水墨画を見ると、涼亭の中や驢馬の背中に、小さいな人物が描かれていることが多いですが、あれはどうやら風景を愛でる画家自身も、その風景に溶け込んでいる、という表現らしいです。
絵描きにカメラを向けたときはあまり深く考えていなかったのですが、カメラを構えながら誰かに見られていたかも知れません。同じ世の中に生きて、誰もが本当の傍観者になれないですね。
你坐在電脳前寫文章、看文章人在脳海裏想像你

_ why ― 2009-05-20 21:45:59

你坐在電脳前寫文章、看文章人在脳海裏想像你
ふふふ、なるほど、その通りですね。

いつかの横浜の朝焼け(でしたよね)の写真ももそうでしたが、これも一抹の哀愁を帯びた叙情的な一枚ですね。Fujimotoさんの色が濃く出ているように思えました。知らない風景のはずなのに、なぜか懐かしくて胸が詰まるような・・・

しかし、なのはなさんの感性、素敵ですね。ブログの文章に心を打たれ、共感を覚えました。
卞之琳 の『断章』、私も好きです。というよりほとんどこれしか記憶にありませんでした。

_ T.Fujimoto ― 2009-05-21 23:05:25

whyさん、はのはなさんのブログは素敵ですね。「About This Blog」のところに、カリール・ジブランの文を引用されていますが、確かに日常の些細なことに感性をフルに働かした文章、とても心を打たれます。

卞之琳は、すみません、名前すら知りませんでした...

_ なのはな ― 2009-05-22 06:57:48

whyさん、私の下手な文章に共感してくだってありがとうございます。中国へ電話をすることに関しての記事でしょうか? 
私も、卞之琳 の詩は「断章」しか記憶にないです。というか、この人はこの詩のイメージが強すぎて、他の作品は影に隠れてしまった印象があります・・
少し話題から外れるのですが、whyさんの文章は毎回、さりげなく面白い表現が一つ二つ散りばめられていて、いつもとても楽しんで読んでいます。例えば「ほし芋の味」の記事へのコメントで、髪の毛が「静かに横たわっている」という表現。無邪気に、でもしっかりと存在感を放つ一本の髪、思いがけぬ物に直面して当惑するwhyさん、そしてその場の瞬間的に凍りついた空気が伝わってきて、クスリと笑ってしまいました。ツボに入る面白さですね。

_ なのはな ― 2009-05-22 10:44:33

Fujimotoさん、水墨画のお話、興味深いですね。画の中の人は、都を離れ、理想的な世界で逍遥したい画家自身の願望を表しているのかもしれませんね。今度水墨画を見る機会があるときには、それらしき小さい人物を探してみます。^^

私のブログは散漫とした文章を書いているだけですが、引用したカリール・ジブランの文は、素敵でしょう^^高校時代に初めて「預言者」を読んで、圧倒されました。こんなに凄い物を書いていた人がいたんだ!と宝を掘り当てたような気分でしたね。(笑)中でも好きだった箇所は:
Love one another, but make not a bond of love: Let it rather be a moving sea between the shores of your souls.
手元に日本/中国語の翻訳版がないので、適当に訳すると・・ 
愛し合いなさい。でも愛をお互いを束ねる枷にしてはいけません。きらめく海原を、あなた達の魂の岸辺と岸辺の間におきなさい。

_ T.Fujimoto ― 2009-05-23 01:12:32

なのはなさん、こんばんは。
仰るとおりで、whyさんは言の葉の達人ですからね。

あと、「預言者」は僕も高校時代に初めて読みまして、そのとき友人からもらった台湾版は、いまも手元に置いてあります。(http://tbbird.asablo.jp/blog/2007/01/11/1105773

引用された文、この訳者(施一中)は「彼此相愛、但不要譲愛成為束縛。譲愛成為霊魂両岸之間流動の海洋」と訳していますね。

_ なのはな ― 2009-05-25 04:40:01

Fujimotoさんも、ジブランを読まれていたんですね。
私、彼の「漂泊者(さすらいびと)」という本も好きです。「預言者」のジブランはすべてを悟りきったような文章を書いていますが、「漂泊者」は彼の迷いや内面世界がちょっとひねりのきいた文体で寓話風に書かれていて、とても面白かったです。
Fujimotoさんが引用された文章、理想の愛の形ですね。
去体会過多的愛所引起的痛苦;
受傷於對愛的了解,
自願而且愉悦的流血。
の箇所、これほど無防備になるのは実際にはとても勇気がいると思います。でも、一生に一度くらいはこんなふうに思いあえる人に出会ってみたいですね。

_ T.Fujimoto ― 2009-05-25 23:00:49

なのはなさん、「漂泊者」は未読ですが、今度捜してみたいと思います。ご紹介ありがとうございました。

理想の愛は、なかなか到達できない境地なのでしょう。
しかし言葉尻を捉えて言ってしまえば、勇気が必要なのは、見返りを求める気持ちがどこかに潜んでいるかも知れませんね。愛せること自体に喜びを感じ、感謝する気持ちでいっぱいになったら、もうそこには傷つくときの痛みを心配する余地がなくなるような気がします...

_ なのはな ― 2009-05-26 15:14:29

Fujimotoさん、こんばんは。
そうですね、見返りを求める気持ち、たしかにあると思います。
たとえば、だれかを好きになって、自分のことを知ってほしい、好きになってほしいという気持ちになったとき。そこでもう、相手から気持ちの見返りを求めていると思います。
見返りがまったく無い恋をして不完全燃焼して、どんどんおとなになって、’女は好きになるより好かれるほうがいい’とか言っている子、私のまわりにたくさんいます。
でも、人生って何が起こるのか分からないので、ある日突然深い底なしの沼のような恋に落ちて今でもそこで楽み続けている人たちもいるわけで、それはそれでとてもすごいことだと思います。
’清晨醒来時, 帯著一顆軽快的心, 感謝又有一天的愛・・・然後入睡, 心裏為所愛的人祈禱,。’この箇所、とても素敵だと思います。このような日々をふたりでゆっくり繋いでいって、もろもろの見返りをお互いが現実で満たしていくことができる関係って、楽しそう。

_ T.Fujimoto ― 2009-05-28 00:04:23

なのはなさん、現実的にはたぶん仰る通りでしょうね。
いいか悪いかという話ではないですが、前回のコメントを書きながら、僕がイメージしたのは、例えば母親が子供に向けた、ほとんど無償で理屈要らずの愛でした。
でも、たぶん「Love has no other desire but to fulfil itself.」とジブランが歌った形の愛は、親子の間にだけでなく、長い人生のなか、そのように思える相手と出会えることもあるかも知れませんね。

_ なのはな ― 2009-05-28 05:45:56

Fujimotoさん、
詩の文章を、現実に照らし合わせられるかどうかで良い悪いと論じても、意味ないですよね。詩って、そういう風に楽しむものではないし・・。変な方向に話を持っていってしまい、すみません^^;
男女の間の深い愛、きっとあると思います。相性の良い二人の人が、絶え間ない努力を通して育んできた思いやりや信頼関係、その賜物なのでしょう。
Fujimotoさんは愛情の形について丁寧に考えていらっしゃるので、息子さんはきっとお父さんの無償の愛情をたくさん感じていると思いますよ。お父さんに似て、博識で夢があるかっこいい男の子に育って、高校生になるころにはモテモテ♪になってるかもしれませんね^^

_ T.Fujimoto ― 2009-05-30 23:43:26

なのはなさん、すみませんだなんで、こちらこそ恐縮で申しわけありません。
愛って、天性の相性に絶え間ない努力、なるほど、確かにその通りなのでしょうね。

それにしてもなのはなさんの、素晴らしい文章によって語られる瑞々しい感性と発想には、感心しながら、考えさせられます。
実は、「大切なもの」を最初に拝見したとき、あまり共感を覚えたせいか、なのはなさんを自分と同じく男性の方だと想像していました(すみません)。
声が出せなかったときの文章も、長年育った町を離れ、見知らぬ土地に放り出された大昔のことを思い出さながら、感心して唸りました。

_ なのはな ― 2009-05-31 11:48:24

ミニスカートを穿いて、一輪車を漕ぐ絵をブログのメインページにのせる男性ですか?(笑)
とっても可愛らしい方を想像なさっていたんですね。

素性は、
21歳の小娘です。
(なんだか上記で'愛'がどうのこうのとすっごく偉そうなことをいってしまいましたが 笑)
なのでFujimotoさん、私に敬語とか使わないでください。Fujimotoさん、人生の大先輩です、私から見たら。ず~~っと違和感感じてたんですが、言うタイミングがなくて(笑)。

「大切なもの」は、読んでくれる人がいるとは思いもせず、後で自分が読み返そうと思って書いた’呟き’みたいなものだったので、共感されたと言ってくださった方がいて、すごくビックリしました。でも嬉しいです、私の周りではこういう話に共感してくれる人がほぼいないので。
インターネットって、素晴らしいですね^^

_ T.Fujimoto ― 2009-06-02 00:23:55

なのはなさん、すみません、違和感があったのでしょうか?
「生乎吾後其聞道也亦先乎吾、吾從而師之。吾師道也、夫庸知其年之先後生於吾乎?」と先哲が言った通り、歳は関係ないと思いますよ (^^)

それに、インターネットでは匿名にできるし、必要であれば年令や性別さえ隠せます。だからこそ年令などを越えて、利害関係もほとんどない、新しい人間関係が形成できる場だと考え、期待しています。

>インターネットって、素晴らしいですね
はい、そう思います。今後ともよろしくお願いします。

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